03 gennaio, 2007

孤高の独立

「広島・昭和20年8月6日」
という3時間の長編ドラマを観ました。
昭和20年7月16日から8月6日までの広島の
とある4姉弟を追ったドラマです。

父母に先立たれ長女が家業の旅館を継ぎ
妹弟を育てていくのですが、戦時の中次女は
なぜ戦争なんてするんだと思いながら小学校の
教師をし、三女はお国の為に我慢することは
当たり前とバリバリの軍国少女、一番下の
長男は笑顔がかわいい15の少年です。

物語も書きたいのですが、3時間をまとめるのは
至難の業なのでばっさり割愛します。
これはTBS製作のドラマで上の3人の姉妹は
投下された原子爆弾で亡くなってしまい、
生き残った一番下の弟である長男(西田敏行)
が現代の広島平和記念公園で学生を前に語る
回想形式で放映されていたのですが、
このドラマが言いたいことは明快で、
西田敏行演じる長男が発しています。

「あんなもの(原子爆弾)を、
 人間の上におとしちゃいあかんよ。」

「私達はどんな戦争も嫌だと言うしかないんです。」

更に平和記念公園の石碑に刻まれている

「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませんから」

でしょう。

アメリカに文句を言い、日本(大日本帝国)に
文句を言い、最後には自分達は絶対に
戦争はしませんと言う。

原子爆弾を落としたアメリカの虐殺行為を批判するのは、
正当ですが、少なくとも対米戦争において日本が犯した
過ちとは何なのか教えて欲しいし、
どんな戦争も嫌だと言ってしまうことの危うさを
どのように解釈しているのかも教えて欲しいです。

前段において支那に対しては侵略だったかもしれないが、
対アメリカにおいての日本の行為は紛れもなく
自存自衛の戦争だったのであり記念碑に刻まれるような
過ちと言われるものは何もありません。
この文字を見る度に僕はこの「過ち」の主語が誰になる
のか気になります。アメリカなのか日本なのか・・・

後段に関しては僕は侵略者や日本を攻撃する国に対して
国家を守るためであれば(その時にならなければ分からない
ものの)現時点においては戦う覚悟はあると言えます。
そういった懸念が全くないと言えない現在において
(例として朝鮮半島有事や中国の日本攻撃)
どんな戦争も嫌だなどとは言えません。
国家を守るというのはひいては家族を守ることであり、
家族を守るということは国家を守ることであるのです。
隷従の生存か孤高の独立かです。
戦前戦中までの日本人は独立の重要性を理解していた
と思います。今の日本人はどうやら違うようです。

生存の為に一家全員で国外逃亡するという方法も
あろうとは思いますが、国を守ることは国民全体の
義務であることが国際常識であるのに、
このような一家をどこの国がWELCOMEと言ってくれるかは
甚だ疑問です。

自分達の国は自分達で守る
これは至極当たり前のことであり、
こう発言する僕だって、
世界平和を祈るひとりでもあるのです。

Nessun commento: