28 agosto, 2006

風化させるな真実

8月27日付け産経新聞の社会面に、またひとつ左翼連中が喧伝してきたことが
ウソであることを立証する記事が掲載されています。

これは、絶対全部読んでください。

いつもは、長々と書いている僕ですが、今日は完全引用します。
僕のブログの中でも小難しいことを書いているときは、
スルーされる方も、今回は必ず前文読んでいただきたいです。
なんせこれは、僕が書いていることではなく、
その当時を生きた当事者が語っている真実ですから・・・

以下、引用開始 ---

渡嘉敷島の集団自決 「大尉は自ら十字架背負った」

「大尉は、自ら十字架を背負ってくれた」。沖縄戦の渡嘉敷島で起きた集団自決の「軍命令」を新証言で否定した元琉球政府職員、照屋昇雄さん(82)。島民が年金や弔慰金を受け取れるようにするために名前を使われた赤松嘉次元大尉は、一部マスコミなどから残虐な指揮官というレッテルを張られてきた。照屋さんは、自分のついた「うそ」で、赤松元大尉が長年非難され続けてきたことがつらかったという。
 赤松元大尉は昭和19年9月、海上挺身隊第3戦隊の隊長として渡嘉敷島に赴任した。任務は120キロ爆雷を積んだベニヤ製特攻艇を使った米艦船への体当たり攻撃。ところが、20年3月の米軍主力部隊上陸前、作戦秘匿を理由に出撃前に特攻艇の自沈を命じられ、終戦まで島内にとどまった。


 戦傷病者戦没者遺族等援護法では、日本軍の命令での行動中に死傷した、沖縄やサイパンの一般住民は「戦闘参加者」として準軍属として扱うことになっている。厚生労働省によると、集団自決も、軍の命令なら戦闘参加者にあたるという。


 照屋さんは、本来なら渡嘉敷島で命を落とす運命だった赤松元大尉が、戦後苦しい生活を送る島民の状況に同情し、自ら十字架を背負うことを受け入れたとみている。


 こうして照屋さんらが赤松元大尉が自決を命じたとする書類を作成した結果、厚生省(当時)は32年5月、集団自決した島民を「戦闘参加者」として認定。遺族や負傷者の援護法適用が決まった。


 ただ、赤松元大尉の思いは、歴史の流れのなかで踏みにじられてきた。


 45年3月、集団自決慰霊祭出席のため渡嘉敷島に赴いた赤松元大尉は、島で抗議集会が開かれたため、慰霊祭に出席できなかった。中学の教科書ではいまだに「『集団自決』を強制されたりした人々もあった」「軍は民間人の降伏も許さず、手榴弾をくばるなどして集団的な自殺を強制した」(日本書籍)、「なかには、強制されて集団自決した人もいた」(清水書院)と記述されている。


 渡嘉敷村によると、集団自決で亡くなったと確認されているのは315人。平成5年、渡嘉敷島北部の集団自決跡地に建てられた碑には、「軍命令」とは一切刻まれていない。渡嘉敷村の関係者が議論を重ねた末の文章だという。村歴史民俗資料館には、赤松元大尉が陸軍士官学校卒業時に受け取った恩賜の銀時計も飾られている。


 同村の担当者は「命令があったかどうかは、いろいろな問題があるので、はっきりとは言えない。しかし、命令があったという人に実際に確認するとあやふやなことが多いのは事実。島民としては、『命令はなかった』というのが、本当のところではないか」と話した。


 今回の照屋さんの証言について、「沖縄集団自決冤罪(えんざい)訴訟を支援する会」の松本藤一弁護士は「虚偽の自決命令がなぜ広がったのか長らく疑問だったが、援護法申請のためであったことが明らかになった。決定的な事実だ。赤松隊長の同意については初めて聞く話なので、さらに調査したい」とコメント。昨年、匿名を条件に照屋さんから話を聞いていた自由主義史観研究会の代表、藤岡信勝拓殖大教授は「名前を明かしたら沖縄では生きていけないと口止めされていたが、今回全面的に証言することを決断されたことに感動している。また一つ歴史の真実が明らかになったことを喜びたい」と話している。


 照屋さんは、CS放送「日本文化チャンネル桜」でも同様の内容を証言。その様子は同社ホームページで視聴することができる。




≪照屋昇雄さん「真実はっきりさせようと思った≫


 照屋昇雄さんへの一問一答は次の通り。


 --なぜ今になって当時のことを話すことにしたのか


 「今まで隠し通してきたが、もう私は年。いつ死ぬかわからない。真実をはっきりさせようと思った」


 --当時の立場は


 「琉球政府社会局援護課で旧軍人軍属資格審査委員会委員の立場にあった。以前は新聞記者をしていたが、政府関係者から『援護法ができて、軍人関係の調査を行うからこないか』と言われ審査委員になった。私は、島民にアンケートを出したり、直接聞き取り調査を行うことで、援護法の適用を受ける資格があるかどうかを調べた」


 --渡嘉敷ではどれぐらい聞き取り調査をしたのか


 「1週間ほど滞在し、100人以上から話を聞いた」


 --その中に、集団自決が軍の命令だと証言した住民はいるのか


 「1人もいなかった。これは断言する。女も男も集めて調査した」


 --ではなぜ集団自決をしたのか


 「民間人から召集して作った防衛隊の隊員には手榴(しゅりゅう)弾が渡されており、隊員が家族のところに逃げ、そこで爆発させた。隊長が(自決用の手榴弾を住民に)渡したというのもうそ。座間味島で先に集団自決があったが、それを聞いた島民は混乱していた。沖縄には、一門で同じ墓に入ろう、どうせ死ぬのなら、家族みんなで死のうという考えがあった。さらに、軍国主義のうちてしやまん、1人殺して死のう、という雰囲気があるなか、隣の島で住民全員が自決したといううわさが流れ、どうしようかというとき、自決しようという声が上がり、みんなが自決していった」


 --集団自決を軍命令とした経緯は


 「何とか援護金を取らせようと調査し、(厚生省の)援護課に社会局長もわれわれも『この島は貧困にあえいでいるから出してくれないか』と頼んだ。南方連絡事務所の人は泣きながらお願いしていた。でも厚生省が『だめだ。日本にはたくさん(自決した人が)いる』と突っぱねた。『軍隊の隊長の命令なら救うことはできるのか』と聞くと、厚生省も『いいですよ』と認めてくれた」


 --赤松元大尉の反応は


 「厚生省の課長から『赤松さんが村を救うため、十字架を背負うと言ってくれた』と言われた。喜んだ(当時の)玉井喜八村長が赤松さんに会いに行ったら『隊長命令とする命令書を作ってくれ。そしたら判を押してサインする』と言ってくれたそうだ。赤松隊長は、重い十字架を背負ってくれた」


 「私が資料を読み、もう一人の担当が『住民に告ぐ』とする自決を命令した形にする文書を作った。『死して国のためにご奉公せよ』といったようなことを書いたと思う。しかし、金を取るためにこんなことをやったなんてことが出たら大変なことになってしまう。私、もう一人の担当者、さらに玉井村長とともに『この話は墓場まで持っていこう』と誓った」


 --住民は、このことを知っていたのか


 「住民は分かっていた。だから、どんな人が来ても(真相は)絶対言わなかった」


 --あらためて、なぜ、今証言するのか


 「赤松隊長が余命3カ月となったとき、玉井村長に『私は3カ月しか命がない。だから、私が命令したという部分は訂正してくれないか』と要請があったそうだ。でも、(明らかにして)消したら、お金を受け取っている人がどうなるか分からない。赤松隊長が新聞や本に『鬼だ』などと書かれるのを見るたび『悪いことをしました』と手を合わせていた。赤松隊長の悪口を書かれるたびに、心が張り裂ける思い、胸に短刀を刺される思いだった。玉井村長も亡くなった。赤松隊長や玉井村長に安らかに眠ってもらうためには、私が言わなきゃいけない」

【2006/08/27 東京朝刊から】

(08/27 12:18)

--- 引用終了

今でも、何かの折に僕が、
「日本は、自衛戦争をしたんやで。」
と話をすると、
「でも、旧日本軍は、中国や韓国に悪いことをしたんやろ。」
ってなことを返してくる方が、大変多いのですが、
我々日本人って今も昔もそんなメンタリティを持つ民族なんでしょうか?
1億数千万人、当時で8千万人も人口がいれば、
一握りの人間がいびつな人はいるでしょうが、
基本的に、日本人って
悲しいくらいにお人よしで、他人を貶めてまで自分が生き延びたいと
考える民族ではないと思います。
赤松隊長は、自分がウソをつくことで渡嘉敷島の島民、その遺族達
全員を守り通したのです。
そして、隊長は、戦後もお亡くなりになるまで、
一人で大東亜戦争をで戦ってきたのです。

僕は、この話はだ大分前から知っていて、
恩給を貰う為に、赤松隊長が軍命令にしてくれたことも知っていたのですが、
当事者が、発言されることによって、
歴史の真実がまた一つ明らかにされたことに、大変喜びを感じています。
我々の先祖は歴史の荒波の中でも他人を思いやることのできる、
素晴らしい人達だったんだ。

*この産経新聞の記事に関しては、数多くの優秀な保守系ブログで
 当然、話題にされています。
 僕のを読むよりそちらをオススメした方がいいかもしれませんね。
 記事は、どこで読んでも内容は同じですが・・・

 産経新聞の該当記事のURL

 http://www.sankei.co.jp/news/060827/sha047.htm

26 agosto, 2006

気が付けば・・・

早起きしていますか?
この時期、朝は意外と日差しもやわらかく、気温もおだやかで、
過ごし良い時間帯なんです。
と言っても夏は夏なんです。春や秋のようにはまいりません。
しかも日中は相変わらず刺すような日差しです。
気温も連日30℃オーバーです。
でもでも、そんな日差しもひと頃に比べれば和らいでいます。

おまえは、何を言いたいのや?
との声が聞こえてきそうですね。

ショーウィンドウをご覧ください。
もう、秋冬物の展示がされていませんか?
色目も夏色から黒や茶などの配色になっていると思います。

毎日、汗をかきながらせっせと仕事をしているのですが、
8月も後半戦となると色んな時間帯や色んな場所で、
四季の巡り、
とりわけ今の時期は秋の訪れ、足音を感じることができるわけですね。

秋冬といえば、洋服の買い物が楽しいです。
夏は、パンツにシャツ、サンダル程度なのですが、
パンツ・シャツは勿論ですが、
ジャケット・コート、ニット、ストール・マフラー、ブーツなんてのも
毎月の稼ぎは夏も冬も大して変わらないのに、買う物は多くなるんですよね。
この辺りは、楽しいけれども財布と相談ということで要注意ですね。
で、秋冬物欲しい物が決まっているようだったら、
店頭に並んだら、まだまだ暑くても早めに買わないと
必要な時期にお店に行っても
「この商品は、もうこのサイズは売り切れてしまったんです。」
ってなことになって、諦めて別の物を買うハメになるんですよね。
ですから、皆さん欲しい服があれば、早めに買っちゃいましょう。

まだまだ暑い日が続いていますが、秋はすぐそこですね。

25 agosto, 2006

火の車

おまえ等は言われたことだけやっとったらええんじゃ、
いらんことするな。
岐阜県のクサレ公務員共、お前等のことや、分かる?

公務員試験って難しいそうですね。
ということは、こいつらお勉強はできるらしい。
で、どこで教えてもらったのか、億からの税金をあっという間に
てめえらの金に変える錬金術ならぬ変金術まで覚えちゃいました。
その裏金を

“裏金で停職処分を受けた職員”

に停職中の生活資金として支給していたらしい。
なるほど、裏金とはこういう使い方もあるのか~

ただ、本質的にはこいつらはアホで、詰めが甘かった。
処分に困ったからって、焼いてんて!
アホやで、こいつらはアホ!!

中学生の歴史の教科書に、成金が玄関先で我がの靴を探すのに
お札に火を付けて明かりを灯している写真が掲載されていたけど、
あれのまねごとのつもりか?
勘違いすんなよ、あれは何で儲けたかは知らんが、
てめえの金でやってんのよ。
お前が焼却処分したのは、岐阜県民の納めた税金。

ぜ・い・き・ん!
わかりまちゅか?

お前らにやったんと違うねん。

ここまで、来たら出来の悪い新喜劇やね。

公務員ってやっかいな存在やで、
勉強は出来るけど、人間の程度悪い。
そのくせ、プライドだの自尊心だけは、やたらと高い。
とにかく、絶対に本心から謝らない。
そうではない方がいらっしゃるのは分かりますが、
ほんの一握り。

ホンマに公務員はいらんことせんと、
「いいですか?あなたたちはこれ等だけしていただけたら、
 お給料がでますからね。」
と指図されたこと“だけ”やってりゃいいのよ!
そりゃ、我々の為に“良いこと”は、指示されなくても、
やっていただきたいのはもちろんなのですが、
今の公務員にそれを望むのは絶対無理!
とにかく保身第一で、事なかれ主義だから。
だから、言われたことだけやってくれりゃ、
お前等の給料は我々が払ってやるのよ。

公務員って“公僕”っていうでしょ?
公僕って「おおやけのしもべ」
って書くでしょ?
しもべだからってへりくだることはないんよ。
ただ、役所に行ったらやたら偉そうに喋る“しもべ”
がいるけれども、
「お前等、別にえらないんや!普通に話しせんかい!」

分かったか?公務員諸君!

話があっちこっち行きましたが、
要するに能力なりの仕事だけをしてろと言いたいわけですね。

24 agosto, 2006

真剣勝負!

ちょっとね、うんざりしてたんですよ。
自転車界はファンを全然大事にしていないんじゃないかと思ってね。
ジロでバッソが初の総合優勝を決めて、
「これは、ダブルツールしかないで!」
って僕のみならず、世界中のサイクルロードレースファンは
期待したんです。
ところが、ツールに入る前に・・・
こちらをご覧の皆さんであれば、自転車ファンじゃなくても
ご存知のとおりです。

しかし、時間の経過はそんな複雑なファン心理なんぞには
関心も無い様で、
8月26日(土)~9月17日(日)
ブエルタ・ア・エスパーニャが開催されます。
これは、世界3大ツールのウチのひとつで、スペインを
舞台に21ステージで争われます。

因みに3大ツールのあと2つは
5月に開催される ジロ・デ・イタリア
7月に開催される ツール・ド・フランス
です。

で、ブエルタですが、このレースは山岳ステージが多く、
しかも、8月、9月ということで、とにかく暑い!
厳しいステージレースなんです。

スペイン自転車界はオペラシオン・プエルトと言われる
ドーピング疑惑で大混乱なのですが、
これはこれで、これに関係のない選手達はブエルタで
頑張って欲しいなぁと思います。

注目選手は、昨年総合優勝したロベルト・エラスが
ドーピング検査失格になったため繰上げ優勝した、
ラボ・バンク(オランダ)のデニス・メンショフ

ドーピング疑惑の最渦中にいるイヴァン・バッソの
チームメイトでツール・ド・フランスで
いい走りをしたチームCSCのカルロス・サストレ

プロツール暫定首位、若手実力№1
ケース・デパーニュのアレハンドロ・ヴァルヴェルデ
更に、ケース・デパーニュは今年のツールで、
ランディスがドーピングで失格になる可能性が極めて高い
ために繰り上げ総合優勝するであろうオスカル・ペレイロ
も出場する為、ダブルエースでブエルタに臨みます。

一応、4年前だったかな?のツールで飛ぶように山岳を
駆け抜け、それ以来、ビッグレースでいい走りのない
エウスカルテル・エウスカディのイヴァン・マヨ
ここは、バスク人のチームなので、マヨには頑張って欲しい!

アスタナの出場もOKが出たそうです。
ツールに優勝する為にチームを移ったのに
そのチーム監督のサイスがドーピングに深く関与したとのことで、
ツールに出場ができなかった悲運のレーサー
アレクサンドル・ヴィノクロフがやっと出場です。
昨年のツールのシャンゼリゼゴールで魅せたスプリント力を
マドリッドでも観られるのでしょうか!

チームミルラムからは、怪我から復帰のアレッサンドロ・ペタッキ、
ダビタモン・ロットのロビー・マキュアンとのゴール前スプリントが
楽しみです。

ベッティーニがクイックステップのエースナンバーで出ているのも、
興味があります。
こちらは、ステージ優勝か、ポイント賞狙いか?
それとも・・・

といった訳で、ドーピング違反には何度も期待を裏切られている
のですが、こうして出場メンバーを見ると、
今レースも期待に胸を膨らまさずにはいられません。

「ドーピング全部OKにしたらいいやんか!」
みたいな意見もあるようですが、僕は生身の人間の真剣勝負を
楽しみたいです。

22 agosto, 2006

オーダーしなはれ

洋服ってこんなもんやと、ついこの間まで思っていました。
僕は、背が低くて、肩幅広くて、スタイルは良くないんです。
僕が、例えば既製服のジャケットを着る時は、
肩幅で合わせると着丈が長くなってブサイク、
着丈で合わせるとボタンを締められない・・・
だから肩幅で合わせて着ていました。
まぁ、こんなもんなんだろうと・・・

ところが、雑誌で神戸にこんな洋服屋があると、
紹介があり、僕の職場から徒歩2~3分のところだったので、
仕事帰りに立ち寄りました。
高級感あるたたずまいで、気後れしましたが思い切って
扉を開けてみました。
すると、男前の店員さんが
「いらっしゃいませ。」
と・・・

あれこれ喋ってその日は、何も買わずに帰りました。
次行った時には、確かマビテックスというメーカーの
パンツ(ずぼんのことですよ)を買いました。
裾直しが上がって履いてみると、いい感じ。

あれよあれよという間に洋服にはまってしまいました。
そして、秋前に
「スーツとジャケットのオーダー会があるんですよ。」
とお誘いを受けました。
7万円弱程度のお値段でジャケットをオーダーしました。
仕上がって着てみると
「おー!!!」
その冬の僕の愛用の1枚になりました。
「お前、またそれ着とんのんかい!」
と言われてもおかしくないくらいに着ていました。

僕は、これから毎年オーダーすると思います。
規制の服を我慢して着るより全然いいです。
細かいことは、説明できませんが、僕に言えることは
「ぐだくだ言わんと、まずはスーツオーダーしなはれ。
 その良さがきっと分かる。」
です。

僕にここまで言わしめるお店が、
CINQUE CLASSICO
です。
三宮にあるセレクトショップです。

僕は、ココの回し者です(笑
いやいや、大ファンという意味ね。

並の回し者が紹介する店はロクなものがありませんが、
ここには、本物があります。
良い物、一生付き合っていける良品に出会えるなら、
回し者にそそのかされて行ってみるのも良いでしょ?
きっとみんな僕に感謝するはずだ!
お値段もかなり良心的で、
絶対に気に入っていただけると思います。

9月1~3日の間に秋冬物のオーダー会があるようです。
もちろん僕は予約を入れました。
イイ大人ならそろそろ本物を手に入れるのも良いんじゃないですか?

21 agosto, 2006

Arrivederci, Ciao!

巨匠ご夫妻が、ベルギーへ旅立ちました。
我々は、気合を入れて朝4時起きで、神戸空港へお見送りです。

三宮に車を置いて、5時42分貿易センタービル駅を出る
ポートライナーに乗りました。
今日は、朝から天気も良く、絶好のお見送り日和です。
空港に着き、程なくご夫妻とつい先日お世話になった
巨匠のご両親とアッコさんがお見えになりました。

他愛の無い話をうだうだとしていたと思います。
(今、眠くてその辺り細かいことは覚えていません。)
したら、はま子さんのご両親にご姉妹がお見送りに来られました。
そして、ハスザワ氏で全員揃いました。
お茶を飲みながらいつも通りくだらない話をしていたと思います。
そうこうしている内に7時15分です。
搭乗口へ行き、全員握手で彼等の成功を祈りつつ闘魂注入しました。

「ほな、行って来ますわ。」

と、近所のコンビニへお菓子を買いに行くがごとくあっさりと、
しかし、熱い意気込みと共に機上の二人となったのでした。
と事実の羅列をしてみました。
後、少しで行ってしまうのに、
いざ、その時を直前にすると、あれもこれも話したかったのに
ちーとも話してなかったような気もします。
そんなもんですよね。
今生の別れでもあるまいし、
オーナーに至っては暮れ正月辺りには会う予定でもあるしね。

昨年末にチンクエ・クラシコを通じて、
初めてお会いして家が近かったこともあり、
1年経たない内にあれよあれよという間に
仲良くなりまして、気が付いたら、今日この日です。

地図で見たら、
「一緒に飯食いにいこか。」
とたやすく言えない距離ではありますが、
なに、またすぐ会える。
その日まで、お互い切磋琢磨しましょう。

次会う時は、多少は余裕の有る大人になっていたいものです。

それでは、巨匠・はま子さん

Arrivederci!
La buon fortuna ad un successo!

*そうそう、ベルギーと言えば、
 クイック・ステップという床材メーカーが 
 スポンサーの自転車プロチームの
 トム・ボーネンが有名なんです。
 ご友人に聞いてみてくださいね。

17 agosto, 2006

夏の思い出 その3


高知県室戸岬まで連れて行ってもらいました。
母の故郷は鹿児島県なので、太平洋は泳いだこともあるのですが、
高知から臨む太平洋は今回がお初です。

鹿児島から観る太平洋とは、一味違いますね。
鹿児島の南には沖縄があるのですが、
高知の南は、遥かなたのオーストラリアまでひたすら海です。
波も荒く、土佐の坂本龍馬が頭をよぎりました。
龍馬はこの太平洋を眼前に明治維新に思いを馳せたと思うと
感慨深く、高知の太平洋にスケールの大きさを感じました。
鹿児島も明治維新には欠かせない土地なのですが・・・

そうそう、プチ灯台マニアの僕としましては、
灯台ももちろん、チェックしました。
ここの灯台の自慢は、日本一の一等レンズを採用していることです。
経ヶ岬灯台とは違い、すぐ側まで立ち寄ることはできませんでしたが、
なんと言っても太平洋を臨む灯台とのことで、
それのみでこの海域の安全を預かる室戸岬灯台のスケールに
満足したのでした。

海岸周辺を暫く散策し、余りにも暑いので海洋深層水アイスを
食べて、帰途に着きました。
途中、巨匠のブログにあるシュウ・ウエムラのなんとかに立ち寄り
“ひこうせん”という美味しいコーヒーを飲ませるお店で、
アイスコーヒーをいただきました。
僕は、コーヒーは普段ブラックで飲みます。
空腹時に飲む時はミルクを入れるのです。
でも、ここのコーヒーは濃く深く、
シロップとミルクを入れて飲みました。
僕はブラックで飲むよりこっちの方が
美味いなと思いながら飲みました。
ここも、なかなかのお店です。

無事、巨匠邸へ帰り着き、晩ごはんをいただいて、
なんと、“ちりめんじゃこ”と“ゆず”の手土産までいただいて、
岐路に着きました。

*今回は巨匠はもちろんのこと、お父様にお母様、お爺様、
 あっこさん、チョビ等ご家族皆さんに大変お世話になりました。
 皆さん、ありがとうございました!

 短くもとても楽しい徳島旅行でした。

15 agosto, 2006

夏の思い出 その2


四国と言へば、美味しいものってたくさんありますよね。
讃岐うどんとか讃岐うどん、う~ん他に讃岐うどん・・・
僕自身、これまで四国に縁が無かったもので、
ホントにこの程度の知識というか認識しかありませんでした。

ところが、今回の小旅行で四国は美味いもんの宝庫であることを
体感できました。

阿波踊りを観賞した後、8時からすぐ側の“鳥甲”さんという
阿波尾鳥を食べさせるお店に入りました。
神戸にも焼き鳥やなんぞは吐いて捨てるほどある訳ですが、
美味い鳥を喰わせる店はなかなかありません。
ところが、徳島入りして最初の鳥屋で「ビンゴ!!」でした。
巨匠が阿波尾鳥の美味しいお店をチョイスしてくれていまして、
入ったわけですが、メチャ美味でした。
焼き鳥に鳥わさ(ささみの湯引き)にもも肉の醤油漬け、
えーと他にも食べたんですが、どれも美味かったです。
僕は、ささみの湯引きが好きなんですが、わさび醤油に
しその葉を刻んだものをのせていた鳥わさが良かったです。
しかも、安い!!二人で飲んで食べて6,000円程度ですよ。
おかげで酒もすすんで、阪神のボロ負けさえなければ、
最高の晩餐でした・・・(泣

翌日
巨匠に室戸まで連れて行ってもらったのですが、
こちらでの昼ごはんも最高に美味しかったです。
高知県ということでかつおのたたき定食をいただいたのですが、
一緒に金目鯛の煮付けを食べました。
これが、たたきに負けず劣らず美味で、しかも肉厚です。
もう、添付写真のとおりです。
お店は「魚菜村(さかなむら)」さんです。
室戸岬の国道沿いにあります。
分かりやすいところにあるので、こちらへ行かれた際には、
是非お立ち寄りください。

書き漏れていましたが、
実は、徳島入りしてすぐにうどん屋さんでお昼をいただいたのですが、
これも、美味しかったです。

巨匠のチョイスが良かったのももちろんあると思いますが、
どこで何を食べても、まぁ大はずれしないんでしょうね。
阿波尾鳥の美味さは言うまでもありませんが、
魚好きの僕としましては、魚菜村でのたたきと金目の
大きさと美味さには度肝を抜かれました。

*番外編として、室戸岬の観光案内所で食べた
 海洋深層水アイスね。
 塩味がするのですが、それがなんとも微妙なバランスで
 塩味がするのに甘くて美味しかったです。
 高知県恐るべしです。

14 agosto, 2006

夏の思い出 その1



危険な小旅行だったんです。
前の日曜日に遠方で愛車M3が動かなくなりまして、
泣く泣くそのまま放置して帰って来たんです。
次の日に無事動き出し、愛車と共に我が家に帰り着きました。
主治医であるtake-Mのtakeさんには
「怖いから週明けに車を持ち込むまで乗らんときますわ。」
と言ってたんです。
当初、高速バスで行く予定だったんですよ。
でも、事情が変わって12日から行って来ました。
巨匠の故郷徳島県へ!我が満身創痍の愛車で・・・
結論は道中行きも帰りもトラブル無く無事に帰ってきました。
今回、メインは車では無く阿波踊り、阿波尾鳥、室戸岬でございます。

阿波踊り初体験だったのですが、
僕の阿波踊りの印象は“三田村邦彦”しかありませんでした。
彼が、楽しそうに踊っておる・・・それだけでした。
その印象は正しかったです。しかし、スケールの捕らえ方は激しく間違っておりました。
巨匠のお母様のご配慮でさじき席(相撲で言うところの砂かぶり席)で
堪能できました。
軽快な男踊りに、優雅な女踊り、可愛い子供踊り、
踊り全体を統率するお囃子
どれも趣があり迫力があり、さじきを手配してくださった巨匠のお母様に感謝です。
これは生で観て、できれば踊りも体験するものだと思いました。

阿波踊りには色々な連(団体のこと)が県内外にあるようで、
中でも巨匠は“阿呆連”がお気に入りのようで、
会場内の各所でさじき席があり、僕等が見ていた時間(18時~20時)に
踊りに来るのか分からなかったのですが、
なんと阿呆連がこちらのさじきにやって来たのです。
巨匠のおっしゃるとおり、一番纏まっていて僕もひと目で気に入りました。

阿波踊りHP
阿呆連HP

2時間の観賞時間中には大学連、企業連など様々な連があり、
中には手前勝手で、“個人的には”観賞に堪えないんじゃない?
みたいなものも極一部ありましたが、それはご愛嬌、余裕のスルーです。
一夜にして僕が阿波踊りのとりこになったことは言うまでもありませんでした。

阿波踊り未体験の方は、是非一度徳島県へ足をお運びください。

踊る阿呆に観る阿呆 同じ阿呆なら踊らにゃ損・損

名文句は伊達ではなかったです。

来年は、踊る阿呆に昇格する予定でございます。

食と室戸は、明日以降にとっておきましょうか

09 agosto, 2006

日常写真家


昨日、夕方撮りました。
普段は、わざわざカメラを取り出して
撮るなんてことはしないんですが、
妖しい美しさに思わずパシャっと・・・

更に、めんどくさがりのくせして、
結構キレイに撮られたもんだから、
早速、皆さんに観ていただいています。

キレイと言えば、昨年1月で阪神・淡路大震災から
丸10年が経ったんですが、その日、大きな虹が出たのを
皆さんご存知ですか?

昼2時30分前に兵庫区辺りを車で東向きに走っていたのですが、
雨上がりだったか、前方に大きな虹が掛かったんです。
地震とは関係ないんだろうけれども、
何とも感慨深いものがありました。
この風景もカメラに納めています。

今日は、大そうなことを言いたいんじゃないんですよ。
妖しく、美しい夕焼けが観られたもので、
皆さんにちょっとおすそ分けです。
写真のウデに対する批判はお手柔らかにお願いします。

なんの変哲もない日常にこそ、思わず目を引くものがあるんですね

08 agosto, 2006

あ~ぁ、思ったとおりやんかいさ~

今年のツール覇者フロイト・ランディスのドーピング陽性が
固まり、彼はチームを解雇されました。

17ステージのあの神懸かりな走りを僕は、
「マッチポンプなんじゃないの?」とここに書いたのですが、
当らずも遠からず、僕を含めあの夜に熱狂した人たちを
裏切る結果となりました。

神懸かりな走りとは?
マッチポンプなんじゃないの?と言わしめる理由とは・・・?

ツールの歴史は100年からなるわけですが、始まった頃の
レースでは、驚異的な先行逃げ切りは良くあったかもしれません。
しかし、近代レース、とりわけツール・ド・フランスなどの3週間
もの期間で争われるステージレースなどでは、連日組織だった動き
でレースが進められ、今回一番の注目となった17ステージなどは、
全てのチームが今ツールのヤマ場だと大会前から考えていました。
全てのチームの戦略が後半の超級山岳での争いに
ポイントを置いていたんです。

そんな中で、前日の大幅な遅れを取り戻そうと、

“誰もが優勝戦線から脱落したと思われていた”

ランディスは、レース開始早々、全てのアシスト選手を使って、
最初の峠から猛アタックを駆けたわけです。
総合優勝争いを占うステージと言うだけあって、
1級、2級、1級、超級と難関山岳が延々と続くんですよ。
全長200kmです。
それをわかっていながら最初の1級の峠からアタックを駆けるんです。
近代ツールでも数々の山岳スペシャリストが存在していたわけですが、
リシャール・ヴィランクしかり、マルコ・パンターニしかり、
いわずもがなランス・アームストロングだって山は得意です。
彼等だって
「この人たち平地を走ってんじゃないの?」
ってくらいのスピードで山を登っていくんですよ。
そんな彼等も近代レースの戦略を理解しているから、
総合にあまり関係のないヴィランクは山岳賞を狙う為に、
最初からアタックを駆けたりしますが、そのステージは、
最後の方は後続集団に捕まり、ステージ優勝は逃したりもした。
総合争いをするランス、パンターニなどは
そんな“無謀な冒険”は絶対しませんでした。
後半自分がバテるのが分っているし、他の選手は後半に勝負ポイントを
持ってきているのが分っているからです。

これらを分っていながら、総合を諦めていないランディスは最初から
アタックしてきました。
誰もが、どうせ捕まると思っていました。実況の方も、解説の方もね。
でも、いつまでたっても差が縮まらない。
あ、あ、あ~っ!!!
って優勝してしまったんです。
そりゃ、興奮しましたよ。
これまでの常識を覆しましたからね。
先頭にでてから誰にも抜かれずにそのまま優勝ですよ。
ホントに難しいんですよ。
人間の体力の限界なんてまだまだわからないと言っても、
物事には“ころ加減”というか、限度というか・・・ってあるじゃないですか。
ランディスはあの瞬間はホントに神でした。
誰もが唖然と口を開けてその走りを観ていましたよ。

レース後は、拍手喝采でした。
そのまま、マイヨ・ジョーヌを守り通して総合優勝しました。
僕も、
「ランディス、すげーなーって思ったんですよ。」
それが・・・

ホンマに、
「俺の7月の寝不足分の時間返せー!!」
です。

8月末のブエルタを観ようか観まいか迷っているくらいです。
あ、でも多分・・・というか絶対観ます。

それでも、自転車は面白いですから

それと共にドーピング根絶を切に願うものです

05 agosto, 2006

楽しき日々

パソコンに向かい、ブログを更新しようとキーボードに指を置くと、
自然と何かに対しての批判を書こうとする自分がいる。
それに気がつき「今日は止めよう。」と更新を諦める。
僕の日記だから書きたいことを書けばいいじゃないかという
自分がいる一方で、自分の日記とは言へ、公開しており
少数であっても、これを読んでくれている人がいるんだから、
彼女等、彼等に毎日毎日何かに対しての嫌ゴトを読んでもらうのは、
それはそれで忍びない。
というなんとも冷静な自分もおります。
といったことで、
畠山被告、TBSに亀猿などなど世を騒がすゴミについて
日記で書くのを止めたんですよ。
と、書くと僕は毎日そんなことしか考えていないのか、
楽しい毎日じゃないのか?など思われそうですが、心配御無用です。
そんなことを考えるのもそれはそれで意義がある。
それ以外にも楽しいことはあるんです。

と、長い前振りをしておいて、本題
今日は、仕事をさらっとこなし、
第36回みなとこうべ海上花火大会
へ行ってきました。
花火と言へば夏の風物詩、暑い暑い毎日を過ごしていますが、これをもって
「夏やな~」と感慨をもって夏を感じる人はいないですよね。
僕は、今日花火を観て
「夏やな~」とひたりました。
花火も年々進歩しているようで、色んな色のものや、形のものがあり、
文字通り、目で楽しませてもらいました。
心に響く音も聞き逃せません。
“金鳥の夏 日本の夏”
ですよね~

屋台で晩ごはんを調達したのですが、
みんなが、一押しの“ぶどうあめ”なるものを初めていただきました。
みんな曰く「今日のぶどうあめは、失敗やな」らしいのですが、
なんとも、分かりやすく、でも誰もつくろうとしなかったであろう
“ぶどうあめ”に僕ひとりだけ、ささやかな感動をおぼえたのでした。

一般のブログであれば、“ぶどうあめ”なるものの写真が出てくるところ
ですが、面倒なので出しません。
どこぞの祭りのテキヤでみつけてください。

***

8月6日は8時15分にエノラ・ゲイにより原子爆弾が広島に投下され、
甚大な被害がもたらされた日本人が決して忘れてはならない日のひとつです。
日本人が原子爆弾、戦争の悲惨さを全世界に、改めて強く発信する日です。

世界で唯一の被爆国である日本国に住む我々はこの日を忘れてはなりません。

02 agosto, 2006

Buon fortuna!!


芽出度いです。
僕の友人が本日8月1日、無事ご自身のお店をオープンされました。

N style cafeオーナーブログ

のお店です。

早速お祝いを兼ねて、食事をさせていただきました。
僕等がお伺いした時には既にほぼ満席状態でした。
ご祝儀相場という言葉があるとは言へ、初日から満席とは
友人としても、ありがたいことです。

我々も、早速宴会とさせていただきました。
今は、お祝いし過ぎて、へろへろのまま更新しておりますが、
魚好きの僕としては、アナゴが大変美味しゅうございました。
このアナゴは、店主がこのNstylecafeをオープンされる以前から、
「俺、美味しいアナゴをお客様に食べてもらいたいねん。」
とおっしゃっておられましたので、楽しみにいただいたのですが、

皆さん、是非お運びいただいた上、アナゴをお召し上がりください。

と言うしかございません。
食べてください。
オーナーの信念を味わうことができます。

店員の皆さんも、さわやかで、各お客様への配慮が行き届き、
気持ちよく食事させていただきました。

ここまで言うと、身贔屓的で気持ち悪いので、
敢えて、一顧客として、希望を述べさせていただきますと、
今回2人で食事をさせていただきましたが、
食事と併せて、小皿(取り皿)を出していただけると、
嬉しいですね。
一つの皿を2人でつつき合うのには、やっぱ必要でしょう。
重箱の隅をつつくようで、申し訳ないのですが、
明日以降の参考になれば、と思い書かせていただきました。

ということで、明日以降食事をされる方は、
安心して楽しんでいただけると思います。

もう、眠たいのでこの辺にしておきますが、

是非、皆さん一度でもお運びください。
お箸にもギミックが用意されています。

因みに、写真はスタッフさん入魂のデザートです。
食べるのがもったいないですね。

安全で、美味しくて、オシャレなお店、
Nstylecafe
この夏、まず一度覗いてみてください。
既存のcafeとは一味も二味も違う楽しみが
あなたをお待ちしております。

今回は酔っ払いのたわごとかもしれません。
が、酔っ払った時ほど、人は本音を吐くものなのです

Buon fortuna!!

Nstylecafeに幸あれ!!