26 aprile, 2011

此処(ここ)より下に家を建てるな

地元古老の証言が決め手になって進むことがある。

我々の仕事は時代の最先端技術を使ってミリの単位で
100平米、1000平米、10000平米の土地を測る。
時代の最先端技術とは具体的に言うと、
光波測距儀・・・いわゆるトータルステーション
これは一台300万円とかする高価なもので、
この測距儀が対象(ミラー)に光波を発射して、
それがミラーに当たって反射して返ってくる光波を
測距儀が感知するまでに光を発射した回数から
測距儀からミラーまでの距離を測るというものです。
また、GPS(Global Positioning Syste:全地球測位システム)
測距儀というものも使って測ったりもする。
これなどは本当に最先端中の最先端です。
GPSはご存知のとおり人工衛星を使って位置を特定するシステムです。

しかし、これだけ高価で最先端の技術を使っても
仕事は完遂できないこともあります。
そんな時に重要となるのが地元古老の証言や古い地図です。
先日も古い地図があることによって方針が決まった仕事がありました。
また、近所で昔からのことを良く知っている人に話を伺いに行くこともありました。
現に役所でも古老の証言には重きをおいています。

ここは昔城があったとか、この目の前には一面に田んぼが広がっていたとか、
我々では到底知り得ないことを語っていただいて進むこともある。
それがただの雑談に終わることも時にはある。

我々の仕事は(も)最新の技術と(その土地の)歴史資料等(およそ明治時代以降)
の両方を使い、吟味して仕事を進める。


高き住居は児孫(じそん)の和楽(わらく) 

想(おも)へ惨禍の大津浪(おおつなみ) 


此処(ここ)より下に家を建てるな

 

という石碑が岩手県宮古市重茂半島東端の姉吉地区にあるそうです。
この地区の人々は結びの言葉を守って全戸が津波の被害を免れたそうです。

この石碑は昭和大津波(昭和8年)の直後に住民らが石碑を建立し、
この石碑の上に家を建て暮らすようになったそうです。

そして先日の大地震の時にも津波がやってきました。
住民の皆さんは大津波警報が発令されると、
高台を目指し坂道を駆け上がったそうです。
津波はその勢いを弱めることなく陸地を飲み込んで行きましたが、
石碑の約50メートル手前で止まったそうです。
本当に漫画みたいな話ですが、明治と昭和の両方の大津波を受けたこの地区
の先人の教えがこの石碑だったのだと思います。

工学院大学の教授が
「この地区(三陸地方)の人々はここに津波が来ることは良く知っている。
しかし、自分が生きている間には来ないだろうと思っている。」
と今回の津波による大きな被害の原因のひとつをおっしゃっています。

だから自業自得だとか言うわけではなく、
石原慎太郎都知事の我欲と天災の真意はここにも見え隠れすると僕は思います。

いみじくもこの石碑の真下に立派な軸組み瓦屋根の日本家屋が建っているのです。
当時も2万人を超える人が津波の被害に遭っていたんです。
だから、子孫のために石碑を遺したんだと思います。

我々は歴史から学ばなければなりません。
利便性の追求だけしていては必ず自然のしっぺ返しを受けることになります。
技術力の追求だけではやはりダメです。

この津波の被害を受けた地区に今後何も建てないということは恐らくないんだろうと思います。
であるのならばこれを教訓に災害に強い街づくりをしなければなりません。


最先端の技術力と歴史からの教訓とは車の両輪でなければなりません。

13 aprile, 2011

私は自民党支持者ではありません

3月11日の時点で「とにかく西へ100km逃げろ。」と言っていた方の
言葉を今さらながらありがたく感じています。
原発のニュースは、なんだか食傷気味です。
食傷といってもどうでもよくなったわけではありません。
理解しようにも専門的過ぎて一向に分からないのです。
シーペルトってなんですか?
ベクレルってなんですか?

シーベルトは生体被曝量の単位
ベクレルは放射能の量をあらわす単位

では、放射能って何?

放射線を出す力(能力)だそうです。

放射線って?

・・・恐いもんなんでしょう。

ということですわね。

ニュースを見ていても分からない、ネットで検索しても分からない。
良く分かることといえば、核・放射能・放射線・放射性物質が僕にとって
得体の知れないものだということです。
だから恐い、恐いから逃げる、恐いから避ける。
2次被害や3次被害などあってはならないが、得体の知れないものが
混ざっているかもしれないものを“信頼できない奴から”「大丈夫です。」と言われて
「あぁ、そうですか。」など言えるものかと思います。


我々日本人の核の原体験は誰が何と言おうが

昭和45年8月6日のアメリカによる広島への原子力爆弾の投下
昭和45年8月9日のアメリカによる長崎への原子力爆弾の投下

このふたつなんですよ。

やれスリーマイル原発がどうだ、チェルノブイリがどうだと言っても、
どれだけ知ってます?
説明できる一般人なんかおらんでしょ。
チェルノブイリで被曝した作業員が21万人以上だって言われても、
そんなもん僕なんか昨日知りましたわ。

けどね、広島と長崎への原爆投下の事実やその被害は、今に至るまで小学校では
映画を見て、中学、高校の修学旅行では広島県、長崎県へ行き、原爆資料館へ行き、
毎年夏になれば慰霊祭が行われ、総理大臣が参列する。
昨年はアメリカ大使が参列したことで大きな話題になった。
我々日本人は思春期に至る過程においてその恐ろしさを教えられ、
成人しても毎年原子力爆弾の悲劇を思い出している。
核においては、その恐ろしさを世界中のどの国民よりも知っている国民なんですよ。
核爆弾でケロイド火傷を負った人の写真や、皮膚が垂れ下がり彷徨う人々の絵を
世界中で一番見てきた国民なんですよ。

だからと言ってこのことを持ち出して殊更大げさに恐怖を煽れと言っているわけではありません。
事故と爆弾ですから性質が違うとも言えるでしょう。
しかし、日本人はその恐ろしさを良く知っているという点が政府にも東電にも
更に言えばこの両者を追及しなければならないマスコミにも完全に抜け落ちています。

我々は恐さは十分に知っている。
だけれども刷り込まれている原爆の被害と今回の原発事故が本質的(核による被害を被ること)には同じだけれども、その性質(事故と戦争)が違うことくらいは分かっている。
だから、信頼できる筋からの正確な情報をマスコミが得て、それを元にどう正しい行動を取れば良い
かを導き出せれば更なる被害は防げたと思う。

しかし、まぁこの通りですので残念ですがまずはあのバカどもがさっさとトップから退くまでは
どうにもならんでしょうな。

今、政府内に今回の東日本大震災関連の会議が19乃至20個もあるそうです。
上手いこと昨日していますかね?
「会議は踊る、されど進まず」なるほど言い得て妙です。

政治が一流ならばその国の国民も一流
政治が三流ならばその国の国民も三流

である。
我々日本人は社会的に一流の国民であることはこれまでに様々なシーンにおいて
証明されていると思います。
ただ、政治的には?と言われるとこれまでの戦後の自民党政権時代も含めて、
三流と言わざるを得ないでしょう。

政治的に三流の国民が、その政府に一流の政治を求めることは、これはわがまま以外の
何物でもないでしょう。


我々は政治的にも一流の国民にならなければなりません。
でなければこのような結果になるんですよ。
良くお分かりですか?

阪神淡路大震災の時、売国奴日本社会党村山富市が総理大臣だったのですが、
奴は自分が無能であることくらいは分かっていたので、直ぐに自民党に投げたそうです。
それで、自民党が震災関連法案をいくつも通し、復興につなげたそうです。
民主党に政権が代われば日本は変わると思って民主党に投票した皆さん、
確かに変わりましたよね。
国民がして欲しいことを何もしない政権ができあがりました。
個人的には、本当に今の今、当時民主党に投票したバカな奴等を殴り殺してやりたい気持ちで
いっぱいですが、これは仕方が無い、(僕は断固違うが)我々が選んだ代表なんだから、
政府のバカどもの下手なダンスを観戦するしかないのである。



先日の統一地方選挙の結果を見て民主党に投票しているバカな連中がまだこんなにいるのか

お前等どんだけMやねん!?

と嘆かざるを得ない状況をみて、上記のような心境に至った次第。

誠に残念ではあるが、今さらよその国で永住するという選択肢もないので、
このバカな連中と心中することになるのです。

しかし、できることはやってやるとだけは心に誓っておるのです。

むなし

ちょっと田舎の方面で仕事しています。
分からない、まぁ言えば素人の方々に
説明して理解していただいて納得していただいて
署名捺印をしていただくことが僕の仕事だと思っていたのですが、

今日、ある地元の古い仲介屋の方に、
「それがアカンねん。年寄りに何度も説明してもあかんねん。
難しいこと言うてもあの人等分かりよらへん。
『ここ、ここ、ここですねん。』言うて、『必要やから印鑑証明書用意して
ください。』言うて、それ以上余計なことは言わない。
あんまりべらべら喋りよったらお年よりは余計に勘ぐるから。」
と、はっきり言えば僕の仕事ぶりに完全ダメ出しをされてしまいました。

僕の仕事も、土地、土地によってやり方も違うし、慣習もあるから、
一概にこうしなさいというマニュアルなどありません。
相手があり、その方々と「認識において合意する」ことが最大の焦点と
なります。
その点では、納得していただけなかったという結果において、
今回の僕の仕事は間違えていたことになります。
この仲介屋さんに助けてもらいました。

今まで「分からんから説明してくれ。」と言われ続けて仕事をしてきたのに、
ここにきて説明しない方が良いケースがあるということに、
ガーンと頭を殴られたような衝撃を受けました。
分からない人に分かるってもらえるように丁寧に説明することは、
不要な場合もある。
いずれにしても結果は変わりません。
しかし難しい、本当に難しいと思いました。

お陰でこの仕事はなんとか5月中旬には終わりそうです。
着手から2ヶ月です。スピード解決です。

しかし、難しい仕事です。

04 aprile, 2011

大御心

以前、阪神淡路大震災の時の首相が村山富市で、
この度の東日本大震災の時の首相が菅直人であることは
本当についていない大災難であると書きましたが、


それでも日本は天皇陛下を戴いている。
どれだけ政権が無能であっても日本は立ち直れると本当に思った。

足立区の避難所を天皇陛下と皇后陛下がお見舞いに行かれたのですが、
その時の被災された方々へのご対応は本当に親身で、
テレビを観ている僕までが手を合わせて拝みたくなるようなお姿でした。
避難所の全てのブロックをまわられ、
被災者の方々に目線を合わせて話を聞かれたそうです。

東電の副社長が避難所へ行った時の話が各所で書かれていますが、
あんな連中と比較するのも両陛下に失礼にあたりますね。

陛下が避難所をまわられた時のジャンパーは阪神淡路大震災の時に
避難所をまわられた時に御召しになられていたものと同じデザインのもの
だそうです。
昭和天皇が大東亜戦争後に側近からスーツの新調をするよう申出されたのを
国民が着る物も無いのに自分だけがスーツを新調などできないと断った
エピソードがあるので、恐らく今上陛下も同様のお考えで、
使えるものは使うと当時の物と同じジャンパーをお召しになって避難所へ
お見舞いに行かれたものと思います。

本当に陛下の大御心は深く国民に対する愛情に満ち溢れている。
こちらに住む我々も被災地の復興、ひいては日本のためにも頑張らねばと思います。

その一方で、皺の無い糊の効いたパリッパリの真新しい防災服で毎日ウロウロしている
菅をはじめとする閣僚などはわざとらしく見るのも不愉快です。
更に民主党がこの度、防災服を党内全員“おそろい”で新調するそうです。
しめて800万円だとか・・・。

僕はお金の使い方の分かる人間になりたいと思いました。