26 febbraio, 2010

BMW E46 320i Msports


私の現在の愛車です。
以前乗っていたE30 M3は乗り心地や維持費の問題で、
奥さんから手放すように言われ、泣く泣く手放すことに、
でも、お互いの実家への行き来などを考えると、
車が無いと不便なので、やはり代わりの車を買うことに。

奥さんはそれこそDAIHATSU Miraとか、
「軽自動車で良いやん」と。
僕は、ついこの前までM3に乗っていたので、
Miraは無いなと、
Miraが良い車とかそうではないとか言っているわけではなく、
車そのものが比較対象にあるわけではないのです。
ただ僕の趣向がそちらにあるということですね。
できる範囲でその方向の車に乗りたいですと。

M3は昨年4月頃に手放し、
“結婚前の”僕が買うということと、
結婚後も僕がメインで乗るからということで、
色々と僕も譲歩した末に46 320に落ち着きました。
僕もあれこれ強気に出られるほど
バカバカ稼いでいるわけではないので、
46 320iは僕にはもったいない車だと思って、
今はそれなりに機嫌良く乗っています。

購入に際しては、
MACの宮本さんにえらいお世話になりました。
次の車もなんとしてでもBMWと思っていましたが、
現行型のE90のスタイルには今のところ全く興味が無く、
E87はどうせ乗るなら130i M-Sportやなぁと思うのですが、
3リッターの6速MTだったら前の車と何が違うんやとなるし、
やっぱり中古車でも高かったので却下、
値頃なE46に狙いを絞りました。
E46でも、どうせBMWに乗るならシルキーシックスに乗るべきだろうと、
直列6気筒モデルを探すことに、
それでも高排気量車は税金面での維持費で
奥さんに渋られるだろうと思いまして、
後期モデルの320i(2.2L)一本にしました。
この車、僕の想像以上に玉数が少なく、
程度の良いものは200万円近くなり、
結婚資金のこともあるから安く抑えたいなぁという
僕の希望には合わず、宮本さんには色々探してもらいました。
で、なんとか今の車を見つけることができて、
購入となりました。
まさか未だに外車に乗っとるヤツは金持ちというヤツはいない
と思いますが、まぁ色々とシビアに車を選ぶんですよ。
で、乗ってみての感想なんですが、
確かに6気筒は2リッターそこそこでも余裕の走りやなぁと思います。
しかも、当たり前ですが快適(笑。
この車に乗って確信したんですけど、
僕が好きな車は、4気筒でガンガン回すタイプのヤツ、
正に僕がこれまで乗ってきた
E36 318isとE30 M3なんだと思いました。
ボディもそんなに大きくないヤツ、
当然マニュアルミッションで。
でも、もう暫くこんな車には乗られないと思います。
仕事頑張って、自転車で体力低下を遅らせて、
もう少し稼いで、まだ僕の好きな車が世の中にあれば、
もう一度乗りたいです。

ある日あるお店でお昼ごはんを済ませ車に戻ると、
こいつが“僕の車のボンネットの上で”ひなたぼっこしていた。
かなり近寄っても逃げない、
そうしているうちに
次の餌食(エンジンの温かい車)がやってきた。
僕らは家に帰ります。
さっさとあっち行けや(笑

25 febbraio, 2010

新婚旅行に行って来ました(最終日編)

 全ての日程を終え、日本へ帰ります。
1月28日6時半頃に巨匠宅から我々と
巨匠夫妻もでかけます。
我々3人は日本へ、巨匠夫妻はフィレンツェへ
向かいます。
フィレンツェでPITTIがあるんですね。
PITTI FILATI 糸の見本市でしょうか。
(下の写真は当日の朝6時代の巨匠宅付近の道路の様子)

ブリュッセル南駅でタリスの乗車手続きをしまして、
ここで巨匠夫妻とはお別れ。
3月のCinq essentielのグランドオープンに合わせて3月中旬頃でしょうか、
に日本へ来られるとのことです。

巨匠ご夫妻、ホンマにお世話になりました。

で、予定より早めのタリスに変更してもらって、
ホームへ上がったんですが、
予定ホームに停まっている電車がその電車なのかそうではないのか・・・、
ギリギリになってこれに乗ろうと一か八かで乗りまして、
少しドキドキしましたが、どうやら“当たり”でした。

名残惜しむようにベルギーの景色を眺めていましたが、
少し眠ってしまいました。

程なく(9時頃)電車は
シャルル・ド・ゴール空港第2TGV駅(だと思います)に到着、

空港へ向かいます。

奥さんとオーナーは税関で「輸出認証スタンプ」を押してもらい、
ポストへ投函。

で、“PAUL”でモーニングを食べて、
搭乗手続きを済ませて、
オーナーは仕事、
我々は免税店をウロウロ、化粧品などを買っていました。
僕も母と義理の妹へおみやげを買いました。
13時頃の関空行きで日本へ。

帰りも耳栓のおかげで何事も無く無事到着しました。

翌1月29日午前10時頃に関空に到着、
ここでオーナーとお別れ、
オーナーは一旦お店に戻って大阪の展示会へ行くとか・・・。

僕達は三宮で昼食、うどんを食べました。
そして自宅へ帰り、
この旅行の間、奥さんの咳が止まらなかったので、
病院へ行きました。
旅行中も熱や頭痛などは無かったのですが、
巨匠夫妻やオーナーには心配をさせてしまって、
申し訳なかったです。

2人だけではないちょっと変わった新婚旅行でしたが、
オーナーの日程に合わせて行って正解でした。
向こうでは巨匠やはま子さんに通訳までしていただいて、
いつも日本で会うオーナーに日本ではない別のところで
会うというのもこれまた不思議なもので、
HOTEL LOTTIのロビーでオーナーや巨匠、はま子さんに
会った時は待ち合わせの場所に待ち合わせの時間だから
そこで会うのは当たり前なんだけれども、
それがParisであることが、なんかすげーなぁとか思ったり、

ふたりで写真撮りましょうとみんなが気を使ってくれて、
僕と奥さんとエッフェル塔とか、
僕と奥さんとアレクサンドルⅢ世橋とか
僕と奥さんとグランプラス市庁舎とか
僕と奥さんと小便小僧とか
僕と奥さんとアントウェルペンの哀愁漂う運河とか
多くのふたりの思いでも切り取ってくれました。

飛行機でえらい目に遭ってからもう海外はええわ
と思っていたのですが、心強い見方も見つけて、
奥さんはヨーロッパ好きですから、
これなら海外旅行もいいかもなぁと今は思っています。

近所のコンビニや三宮や大阪のデパートに行くかのごとく
フランス、ベルギーやイタリアなどに行くことは無理なのですが、
また行くことに決めました。

オーナーは毎年展示会などで行かれますし、
巨匠夫妻はベルギーがかなりお気に入りのようで、
日本で暮らす気は無いと断言されているようですので、
困ったことがあればこの二組を頼ればいいだろう、
(先方は迷惑千万かもしれませんが・・・)

何はともあれ無事に日本に帰ってこられました。
今はもう仕事漬けです。
改めまして巨匠、はま子さん、オーナー
ありがとうございました。

良い思い出ができました。
正にハネムーン期間は終わり、
いよいよ本当の夫婦としての生活が始まります。
皆さん、これからもよろしく

僕の奥さんの写真はNGなので、
最後に
男3人アントウェルペンのフローテ・マルクト広場にて聖母大聖堂をバックに

24 febbraio, 2010

新婚旅行に行きました(六日目編)

巨匠宅から見える朝のブリュッセルです。

そうそう行くこともない海外旅行なので、
疲れも溜まってきています。

朝一にはま子さんに近所の安くて余り有名ではなくて、
美味しいVan Denderというチョコレート屋さんに
連れて行ってもらいました。
ここで奥さんは会社の同僚などにおみやげを
買っていました。
ウチの奥さんははま子さんをえらく気に入ったようです。

さて、この日はかねてよりスケジュールに入れていた
アントワープに行きます。
オランダ語ではアントウェルペン(Antwerpen)
だそうです。
そして、この地域の公用語はオランダ語(フラマン語)
ということでここではアントウェルペンと言うことにします。

フランス語は極力ご法度で、
「Merci」も止めた方がいいそうです。
ということで英語で頑張れということです。

ブリュッセルよりも更に北に位置し、
寒さ対策は万全にして行くようにとお達しがありました。
洋服は4枚重ね着して、腹にはカイロを付けました。
ベルギーの新快速みたいなヤツで北上、
40分程度(だったと思います)で
アントウェルペン中央駅に着きました。
この駅舎がまたごつくて、

美しく飲み込まれそうな感じでした。

駅舎を出ますとブリュッセルより更に寒いアントウェルペンの
外気が待ち構えていました。
ホンマに寒いというか痛いというか固まります。
アントウェルペンの町並みです。
写真↓から寒さが伝わりますでしょうか?

色々なお店を“視察”しつつ、
腹が減ったので昼ごはんです。
ケバブを食べに行きました。
それぞれ選んで運ばれてきましたら、
僕の分だけ
やたらと量が多い。
やたらと量が多い。
やたらと量が多いんですよ。
訳も分からず頼んだらそれだったらしいです。
で、これの肉と芋をなんとか食べて、
お店を出ました。

アントウェルペン中央駅を西へずーっと歩きますと、
「フランダースの犬」で有名なアントウェルペンの聖母大聖堂が見えてきます。
ここでネロとパトラッシュが天に召されたんでしたね。
ネロが見たルーベンスの「キリストの降架」も見ました。
というか、「どれだったっけ?」と言いながら全部写真に納めて
日本に帰って調べたらこれ↓だったということでした。

聖堂内は静かで、厳か、身が引き締まります。

アントウェルペン市庁舎を撮影し、

運河の方へ向かいます。
この日一番の寒さ、風もきつく、空は鉛色、何も無い。

冬のヨーロッパです。

そして更にアントウェルペンを“視察”です。
あれやこれやと見て回りました。
途中、雑貨を扱う店に入ったり、奥さんは楽しそうに見ていました。
僕は寒さとケバブが恐ろしいほど腹持ちが良いことに参っていました。

ひと通り見まして、カフェで休憩して、帰ります。
駅までの途中で「DEL REY」でチョコレートを買って帰りました。

行き帰りの道中「飾り窓」エリアを電車が通過するのですが、
一応写真撮りました↓。

写ってませんね。
是非行って見て体感してください(笑。

ブリュッセルに戻りましたら、巨匠は日本語を教えに出かけられました。
オーナーは巨匠宅で仕事、
はま子さんがスーパーに買い物に行くということで、
奥さんとお供することにしました。
ブリュッセルも薄っすら雪が地表を覆っており、
より一層寒さを感じさせます。

これぞ冬のヨーロッパなんでしょう。
スーパーに着きまして、色々と棚に並ぶ商品を見ておりますと、
やはり、チーズの種類は多いですね。
なんや分かりませんけど、ようけありました。
それと、肉もうさぎやら鹿やら日本のスーパーには
絶対無いようなものもありました。
それと忘れてはならないものがビールです。
3種類くらい買って帰りました。
仕度をしまして、
さて、ご飯をいただきましょうとなったんですが、
昼に食べたケバブが全く消化されていません。
みんな美味しそうに食べていましたが、
僕は、ホンマに少ししか食べられませんでした。
ベルギーでトルコ料理にやられるとは、
出国前には全く想像もしていませんでした。

しかし、男同士の話も尽きることはありません。

23 febbraio, 2010

新婚旅行に行ってきました(五日目編)

五日目の朝、巨匠宅にて朝食をいただき、
ブリュッセル散策です。
この日は確か最初高級ブティック街
(ワテルル通り?)へ行きました。
GUCCIやらHERMESやらが軒を連ねていました。
奥さんはエルメスでワッカみたいな何かを探していた
ようですが、既に売り切れとのことでした(残念)。
僕は興味が無いのでそれなりです。

ワテルル通りを南下しまして、
ポウラエール広場側にある工事中の
ベルギー最高裁判所(Palais de Justice)を
防音幕越しに見て、
北西へ目を向けるとブリュッセルの町が一望できました。
ヨーロッパやなぁという感じの見事な景色でした。
そこからエレベーターで下に降り、
ミニメン通り(アンティーク街?)を北へ向かい、
ロータリーを東へ向かうと、

道すがら撮影した内臓の置物(医学用?)

お約束のピエール・マルコリーニがありました。
ブリュッセル内の色んなところにありそうですね。
ここで奥さんは大好きなエクレアを買っていました。
そこから程なく歩くと、ノートル・ダム・デュ・サブロン教会
(Eglise Notre-Dame du Sablon)
が見えてきました。

「ブリュッセルで最も美しい
 フランボワイヤン・ゴシック様式の教会。」
(ベルギー観光局情報)

だそうです。
ステンドグラス綺麗でしたよ。


その教会の前からトラムに乗りました。
下の写真は正に僕達が乗車したトラム

すみません、もうトラムに乗ったらどこへ向かったか
分からなくなりました。
巨匠について行くだけです。
どうやらルイーズ通りを東へ向かっているようです。
なぜ分かったかと言いますと、
めちゃ美味い“から揚げ定食”を食べることができる
お店に入ったからです。
そのお店の名前は「居酒ya」さんです。
本気のから揚げ定食が食べられてかなり満足でした。
店内は地元の方?と思われるお客さんもおり、
あっという間に満席になりました。
下の写真は“感動の”から揚げ定食



昼ごはんに満足しましたら、
晩ご飯の買い物を済ませて、
恐らく、今度は徒歩でルイーズ通りを北上したと思います。
道すがら色んなお店に入り洋服などを見て回りました。

そして、ロワイヤル広場
(広場中央にあるのは、12世紀末の第1次十字軍の
 指導者ゴドフロア・ド・ブイヨン国王の騎馬像。
 その背後にサンジャク・シェル・クーデンベルグ教会が建っている。)

を通って、更に北上し、アルベルティナ広場を通って
ギャルリー・サンチュベールへ到着したという感じだと思います。

広場辺りからグラン=プラスにある市庁舎の塔が見えるんですが、
綺麗ですよ。
それと共に「あ~、着いた!」って感じでもありました。

で、ギャルリー・サンチュベール内のカフェで
ベルギーワッフル商品名「MIKADO(みかど)」?を食べて、
またまたDelvaux(デルボー)へ向かいました。

実は、奥さんは今回の旅行で記念に
鞄(ええヤツ)を買うつもりでおりました。
エルメスにするかヴィトンにするか他の何かにするか・・・
だったのですが、ヨーロッパに行く前に巨匠から、
ベルギーにはDelvauxというオールベルギー生産の
素晴らしい鞄があると聞かされており、日本でも見ることが
できるかもと、あれこれ探したのですが、
大阪にあったはずのお店が、どうやら閉めており、
関西圏では見ることができませんでした。

そして、実際にベルギー初日にDelvauxに行き、
商品を見ましたらすごく良くて、かなり揺らいだらしく、
どれを買うべきか更に混乱してしまったようです。
結局その場では買わずに、持ち越しました。
六日目以降の予定も決まっており、買うなら今日(五日目)
しかなくなってしまったんです。

で、Delvauxへ入店しました・・・
3つ程候補があったのですが、オーストリッチのハンドバッグを
触らせてもらって鏡の前に立ったら・・・もう即決と言っていいくらいに
あっという間に決めてしまいました。
お値段は・・・あー、ダメだ言えない。
奥さんに言うなって言われてるから!

しかし、Delvauxの商品はエレガントで美しく、
しかも製作にもこだわっているから質実剛健でもある
極めつけはすべて自国生産!

日本も見習わなくてはとすごく思いました。
Delvaux恐るべしです。

そして、帰る道すがらにあったミニカーショップで、
懐かしの BMW E30 M3 のミニカーを衝動買い、
荷物を置きに巨匠宅へ戻り、
20時からのコンサートへ向かいました。

コンサート会場はめちゃめちゃ音響が良かったです。

指揮者はかなり変わった感じの人でした。
演奏も結構まとまった感じで良かったです。
でも、疲れてほとんど寝てました。すみません。
因みに、この晩は気温マイナス4度でした。

この日もブリュッセルの冬を満喫したのでした。

22 febbraio, 2010

新婚旅行記(四日目編)

1月25日(月)
7時30分、今日も朝飯美味かった。
並んでいるもの一通りいただきました。
ドライフルーツ系のものやハム、チーズ、パン・・・全部美味かったです。
8時30分から“考える人”像は無いかとセーヌ川対岸へ行きますが、
空振りに終わりました。
10時前にはチェックアウト、手続きも問題なく、
フロントのおじさんも「That's all OK!!」
と英語で言ってくれました。

パリ滞在中は「チップの類は必要ないです。」とのアドバイス通りに実行しましたが、
何の問題もありませんでした。
ホテルのドアマンにも一度もチップを渡しませんでしたが、
普通にドアの開閉をしてくれました。
今回の経験上、パリではチップは本当に必要ないようです。
渡せば、受け取る人はいるとは思いますが。

さて、今日はこれから巨匠の住むベルギーブリュッセルへ移動です。
ベルギーは、僕もこれまで馴染みの無い国でしたが、
巨匠がベルギーへ移住されてから、
行ってみたい国トップ3に入っていました。

ベルギーと言えば、ブリュッセルにEU本部があることと、
自転車界の英雄エディ・メルクスやヨハン・ムセウ
現役最高選手トム・ボーネンを排出した国くらいで、
観光スポットなど全く知りませんでした。

Thalys

9時50分パリに別れを告げ、ベルギーへ行くために、
メトロ:コンコルド駅からパリ北駅へ向かいます。
4日目ともなると、慣れたもので迷わずにパリ北駅集合場所へ到着しました。
ここで巨匠とオーナーと合流です。
11時過ぎ頃のThalys(タリス:新幹線のような乗り物)で一路ベルギーへ。
1時間程度でブリュッセル南駅に着きました。
駅から外へ出ますと、緯度が上がるだけあってパリよりも更に寒かったです。
駅からタクシーで巨匠宅へ、パリとはまた違った町並みで、
例に漏れずおしゃれな感じです。
巨匠宅へ着きますと、はま子さんが出迎えてくれました。
荷物を置き、お昼ごはんをいただきまして、早速ブリュッセル観光に出かけます。
地下鉄に乗り、(確か)ブリュッセル中央駅で降りて、
ブリュッセルで一番有名な観光スポットグランプラスへ。
事前に“歩き方”などで写真は見ていましたが、実物はホンマにでかく、
美しかったです。
中でも市庁舎は圧巻です。

グラン=プラス(市庁舎)

グランプラスでひと通り写真を撮り終えまして、

ベルギーと言えばお約束の小便小僧。
市庁舎の裏手にありまして、
我々が行った時も観光客が写真撮影していました。
大きいわけでもなく、観光スポットというには迫力に欠ける・・・。
小便少女などには構う間もなく、
ギャルリー・サンチュベールへ、ここはなんですかね、
ベルギーの小洒落たアーケードみたいな感じですかね。
ディスプレーも鮮やかで、それぞれ個性があり、楽しかったです。

ギャルリー・サンチュベール

Delvaux(ギャルリー・サンチュベールにて)

Delvauxにて後日、メイク・ミラクルが起きました。
後日エントリーにて書いてみます。

そのままギャルリー・サンチュベールを
南下して・・・巨匠がいることに安心して、地図持たずに
うろうろしたんでもうどの辺あるいたかよう分かりません。
うちの奥さんが靴の愛称が悪く、カンペールでスニーカーを買っていました。
(そのカンペールはもちろん日本でも活躍しています。)
その後はベルギーファッション事情を調査すべく、
巨匠とオーナーを先頭に僕達は後ろから着いていくのみ。
色んなお店に入りました。
日も暮れかけ、寒くなってきたのでカフェへ入り、
VEDETTとDuvelというビールを飲みました。
ベルギーにて初ビールです。
どのように表現したら伝わるか分からないのですが、
美味かったです。

20時、はま子さんと合流して晩ご飯こちら↓で

Amadeo(スペアリブが美味く食べ放題なお店)

Amadeoさんにていただきました。
ワイワイガヤガヤ店内はお客の楽しい声で大盛況です。
僕達も着席し、スペアリブを美味しくいただきました。
こちらではHoegaardenとワインをいただきました。
食べ放題でしたが、ひとつ半が精一杯でした。
こちらの店員のジョニー氏(イタリア系?)が楽しい男でした。
この日の晩ご飯は特に楽しく、5人はアホな話ばかりで
盛り上がりました。

Amadeoさんのスペアリブ(陽気な男ジョニーが持ってきてくれました。)


*ベルギーでの出来事については日にち、時間が頭の中で
 整理できていないので、写真を見ながら書いたのですが、
 ついでに掲載してみました。

20 febbraio, 2010

新婚旅行(三日目編)


1月24日(日)
今日もホテルの朝ごはん美味しかったです。
10時頃にオベリスク下であつし君とバスク料理のあつし君と待ち合わせして、
クリニャンクールの蚤の市に連れて行ってもらいました。
Wあつし君は巨匠と休日を楽しまれる予定だったと思うのですが、
無理を言いまして僕たちにも付き合ってもらいました。
ありがとう。
お2人はこちらで頑張る料理人さんです。
いずれは帰国されてご自分のお店を持ちたいそうです。
その時には是非食べに行きたいですね。
目的地のクリニャンクール、
どこにあるのか全く分からなかったのですが、地下鉄であっという間に着きました。
スリやひったくりに注意な町らしく、警戒しまくりです。

実は、クリニャンクールの蚤の市と言いますが、
僕はこの時まで、“クリニャンクール”という名前の蚤の市だと思っていました。
クリニャンクールとは地名というか、Porte de Clignancourt駅という駅があって、
そこの近くにある蚤の市なんですね。
しかも、パリ市内だけでもヴァンヴとかモントルイユとか各地に蚤の市があるんですね。
色々行ってみる価値ありです。

Porte de Clignancourt駅に着きまして、
地下鉄から地上に上がると確かに雑多な感じでパリ中心部とその趣は全く違いました。
蚤の市エリアはとても広く、目的なしでは疲れそうな感じでした。
蚤の市エリアに入って暫くは、アフリカ系のごついお兄さん達のお店で、
かなりビビります。ホンマに怖いです。何もしてないのに襲われそうな感じです。
やっとそれっぽいエリアに入りまして、
巨匠とWあつし君、僕と奥さんに別れてうろうろしました。
家具、調度品ピンからキリまであらゆるものがありました。
何か買う予定があったわけではなかったのですが、
ウィンドウショッピングに終始しまして、
あっという間に集合時間になりました。
ここはこれを買いたいと思って行かないと何も買えないですね。
言葉の問題もありますし。
でも、見ているだけでも楽しく、
本当に掘り出し物があるかもしれないニオイはしていました。
13時、蚤の市外れにあるバスクのあつし君が行くオムレツのお店に行きました。
ワインとオムレツとハムなどをいただきました。
ここのお店のアメリカ人っぽい店員が結構ツボでした。
続いて、僕の希望でエッフェル塔へ向かうことにしました。
ヨーロッパに住む3人にはべたべたなチョイスなのですが、
以外にもこの3人はまともにエッフェル塔に行ったことがないとか、
「そら行っとかなあかんやろ。」ということで、
3人も意外と楽しいかもということで5人でいそいそと向かうこととなりました。
エコール・ミリテール駅で降りまして、シャン・ド・マルス公園を北東へ向かいますと
エッフェル塔が見えてまいります。
当然上ろうということになりまして全員で展望へ。
天気は曇りだったのですが、パリの街が良く見えました。
北を見れば凱旋門、北東にはサクレクール寺院、
東下を見れば歩いてきた大きなシャン・ド・マルス公園を一望、
南西にはセーヌ川の中のシーニュ島南端にパリの自由の女神、
南、南東にはなんやかんや(すみません、よく分からないです)が見えました。
3人も“初めて見る”景色に大変よろこんでもらえて
“初”フランスの僕としても良かったと思いました。
軽く興奮した後はカフェで休憩です。
他愛の無い話で楽しんで、暗くなってきましたので、Wあつし君達とはここでお別れ、
Wあつし君ありがとう。また会える日を楽しみにしています。
義父へのおみやげを買うべくロダン美術館へ向かいました。
ところがというかやっぱりというか17時半頃に着きましたが、
既に16時30分に閉館していました。
“考える人の置物”は諦めてホテルへ、
ホテルへの道中、ナポレオンが眠るアンヴァリッドの頭を見て、
アレクサンドルⅢ橋のごっつさに驚き、
グラン・パレがグランなことに驚き
プティ・パレが全然プティじゃないことに驚き、
シャンゼリゼで石畳をまた眺め、
ホテルで荷物を置いて、晩ご飯を食べに出ました。
道中、フランス有名メゾンのショウウィンドウを眺めて目的地「ラーメン ひぐま」へ
ラーメンが日本食か否かは別にして、特別美味いわけではありませんでしたが、
良く知っている食べ物を食べることができてほっとしました。
巨匠のナイス判断でした。
お店は行列ができており、
座席に着くと周りには器用に箸を“操る”外国人が多数。
従業員が支那人ばっかりなことに憤りを感じつつラーメンをすすりました。
パリ最後の夜はラーメンで締めくくりました(満足)。

*トップの写真は夜のコンコルド広場、オベリスクです。
 パリ滞在中毎日ここを通っていましたが、
 ツール・ド・フランスのパリゴールの最終周回の最後のストレートへの
 つなぎのこのコンコルド広場のカーブは最終日の勝敗を決める大きな
 ポイントとなる場所です。
 自転車なんか一台も走っていなかったのに毎日
 眺めてはひとりはしゃいでいました。
 昨年のカヴェンディッシュの勝利のシーンが目に浮かびます。

19 febbraio, 2010

新婚旅行行ってきました(二日目編)


1月23日(土)
9時前ホテルの朝食を食べる。
バイキング形式で種類多く、めちゃめちゃ美味かった。
10時前ホテル出発、北西へ進むとマドレーヌ教会。
初めて見た。いちいちすごいです。
奥様の希望で「FAUCHON」へ行きます。
様々な食品を見ておみやげを買っていました。
続いて奥様が予定していた「Obrey」での電池交換へ向かう。
電池交換に1時間かかるとのことで、その間に近所にあった
「BOUTIQUE SAINT JAMES MADELEINE」
で弟にバスクシャツを買ってやった。
日本でも買えるのになんでこっちで買ったんやろ?
安かったからええか、ってな感じです。

1時間後改めて「Obrey」へ、
おじさんが丁寧に迎えてくださり、
長い間眠っていた時計は再び時を刻み始めました。
この電池交換、なんと無料!
感謝です。
つたない英語で感謝を述べ「Obrey」を後にしました。
中々上品な紳士でした。
チュイルリー公園傍にあるホテルからこの界隈へは比較的
近く、昼を食べるには時間が早いことから、
あの「AUBERCY」へ行くことにしました。
買うつもりは全く無かったのですが、どうせフランスに
行くんやから店の前くらいは通りたいなぁ程度で、
地図上の位置は確認していました。
マドレーヌ教会の北側を東へ歩き、北側にガルニエ宮(オペラ座)
を見、大してオペラ好きでもないくせに軽く興奮して、
イタリアン通りとオスマン通りの交差点を南へ、
リシュリュー通りからサン=マルク通りへ、
ヴィヴィエンヌ通りを軽く北上すれば有りました「AUBERCY」。
ホンマに渋い店表でした。
ショーウィンドウには様々な靴がディスプレイされていました。
引き寄せられるままに店内に入りました。
店内ではマダムとその友人らしきご夫人が談笑、
それに若い女性店員がひとり。
「見せてもらってもいいですか?」
と声を掛けて店内の商品を見て回りました。
大して靴の知識もありませんでしたので、直ぐに見終わり、
ブーツが欲しくなったので、陳列されていたブーツを見せてもらいました。
かっこよくて
「これが欲しいんだけど。」
と英語で言いますと、
女性店員さんは英語が分からないらしく、
マダムに「どうしましょう。」
みたいな感じで相談していました。
そうしましたら、マダムと談笑していた
真紅のダッフルコートが魅力的なご婦人が、
「私は英語とフランス語が喋られるのよ。私が通訳してあげるわ。」
と出て来られました。
で、そのご婦人いわく、
「これはオーダーで16万円、2ヶ月かかります。」
とのことでした。
あぁ、ややこしいなと思って、それは諦めて、
「僕の足に合う靴を試着させてください。」
とお願いしましたら、椅子に座らせてもらって、
色々出してもらいました。
正味、カッコいい靴ばかりではなく、
“あくまでも僕の個人的趣味で”「これはいらんわ。」
みたいな靴もありました。
このあたりは冷静に見ていましたが、
おぉ、これええなぁという靴がありましてサイズもまぁぴったり
で10万円を切る価格でした。
これええわ、これにしよ。と即決でした。
その靴はそのウチ御披露目できると思います。
ちょうどセール時期であったこともこの価格で買えた理由だと思います。
良い買い物ができたと思っていたのですが、後に分かったことですが、
VAT払い戻し手続きを知らず(恥)その書類を貰わずに帰ってしまいました。
まさか自分がこんな高額な買い物をするとは思わなかったもので、失敗しました。
因みにこれをきちんと手続きすると約2万円更に安く買えたことになるそうです。
まぁ、楽しい買い物だったし、こうしてブログに書いて皆さんにバカにしてもらえたし、
PAYできたと思うようにしています。

*今、書きながら残念に思うことは、
 「AUBERCY」に関する写真を一切撮っていなかったこと。
 ホンマに興奮してたんやろな。
 
「AUBERCY」で靴を買い、ホテルの近所でパンとキッシュを買いまして一旦
ホテルに戻って昼ごはんを食べました。
その後、巨匠とはま子さんと合流、
奥様が行きたかったボン=マルシェ百貨店へ向かいました。
こちらは世界最初の百貨店だそうです。
日本に帰ってきて調べて知りました。
フランスではあれこれ建物がいちいちカッコいいんですが、これも例に漏れず
見事な建築物でした。
ここの食料品館で色々物色。塩、胡椒・・・買ってました。
ここで、はま子さんはベルギーへ帰るとのことでひとまずお別れです。
巨匠と3人でホテルへ戻りました。
このホテルのトイレもいちいちすごいんですが、
もう説明するの面倒ですので割愛。
そして、晩ご飯を食べるべくシャンゼリゼ通りを東へ。
ここはツール・ド・フランスのパリゴールであまりにも有名。
多くの観光客は上を見上げたり、周りの景色を楽しんだりするんだろうと思いますが、
僕は、車道の石畳に釘付けでした。
「おー、ここをランスもコンタドールもアンディも走ったんやなぁ~。」と。
奥様と巨匠はこいつアホかと思っていたと思います。
なんとか晩ご飯にありついて、23日も無事に終了しました。

*トップの写真はお約束の凱旋門、ちょっと傾いているのはご愛嬌ですよ。

18 febbraio, 2010

新婚旅行行きました(初日編)


平成22年1月22日(金)
正午過ぎ 関空出発
行こうか行いくまいか悩んでいたのですが、
人生で一度だけということで行ってきました、新婚旅行。
離着陸時に“耳抜き”が上手くできないということで、
嫌いな飛行機にも乗りました。
備忘録的な内容となっていますが、
お楽しみいただければ幸いです。

同日
フランス現地時間17時半頃CFG到着
フライトの後半は本当に疲れて、
いつ着くんかいなぁとモニターばかり
見ていました。
CDGから予め日本で予約していた
日本語の喋れるフランス人ドライバーのリムジンに乗る。
このドライバー、最初は機嫌が良かったが、
週末の渋滞で車が進まないとイライラし出して、
僕らへの対応もぞんざいになってくる。
長旅で疲れており、思わずこのドライバーに
文句を言いかけるが、隣に奥様がいることに
気づき、我慢する。
「フランス人なんてこんなもんよ。」
と自分に言い聞かせ、色々言ってやりたいことを我慢した。
本当にこれが普通なんだと思います。
だから、人間関係にはとても繊細な日本人は、
彼らのこういった態度を見て、びびって、
大人しくなってしまう人もいるかもしれませんが、
彼等はこれで普通なんだと思います。
思ったことを言えば良いと思います。
必要以上にへりくだることもありません。

19時頃パリ宿泊先の「HOTEL LOTTI」到着
同ホテル1階ロビーにて、
オーナーと巨匠とはま子さんとご対面、
時間が押していたため、感動に浸る余裕も無く、
直ぐにチェックインして巨匠に予約していただいていた
巨匠の友人あつし君の勤め先のビストロへ直行
恐らく20時過ぎにお食事開始
他愛の無い楽しい会話とフランス人が普段着で楽しむ夕食を
味わい、疲れていましたが美味しいワインをいただき、
10時半頃でしたか11時でしたか・・・
全員ホテルへ帰りました。
当然直ぐに寝てしまいました。
お世辞抜きでホンマに美味しかった。
ついでにおごって貰った。
ご馳走していただいた方、改めてご馳走様でした。

このあつし君とは日曜日に再開することとなります。
面白い男でした。

パリは世界中からの観光客を魅了するだけあって、
初パリの僕も空港からホテルへの道中目に入る建物に
いちいち感動していました。
この日からの一週間が楽しみになってきました。

*僕にとって重要な“耳抜き”ですが、
 日本でオーナーにお勧めいただき、
 「旅道具」さんというお店で即買いした
 飛行機専用の耳栓サイレンシア・フライトのおかげで、
 行きも帰りもまったく耳が痛くなることはありませんでした。
 これはスグレモノです。
 

*トップ写真はヴァンドーム広場(Place Vendôme)
 僕達が宿泊したホテルの直ぐ北にあり、
 パリで一番最初に撮影した観光名所の写真がこれです。
 詳しいことは忘れましたが、中央の柱のてっぺんには
 ナポレオン像が建っているらしいです。
 いちいちすごいです。

17 febbraio, 2010

コーチの価値


2月14日日曜日午前は、
まるまる女子モーグル観戦になりました。

観ていると僕ら素人でも、
やれカービングターンだの、
やれバックフリップだの、
日ごろ接することのない専門用語を
その間だけ覚えて、
はぁ、なるほどこの選手はターンが上手いから、
雪上を滑らかに速く滑ってるわ、
とか
この選手のスリーシックスティー(360°エア?)
は体の軸がぶれてないから綺麗やな。
とか、
いっぱしの専門家よろしく
にわか評論家になることができます。

そんな素人の僕がモーグルを観ていて、
素朴に疑問に思ったことが、

この競技は採点基準として、
ターン50パーセント、
スピード25パーセント、
エア25パーセント
の合計100パーセント30点満点で、
採点しているということです。

ということで、見たまんまターン技術に
重きを置く採点をしているということですね。

ということは、選手は当然このターンの
練習を最重要していると思ったんです。

ところが、上村選手はそこに気づいていなかった
んじゃないのか?と思いました。

と言うのも、上村選手はこれまでエアにこだわって
練習してきたというのです。
そして、前回大会のトリノで、3Dエアを成功させたのにも
かかわらず5位に終わって、
「一体どうすればオリンピックの表彰台に乗れるのかが…ナゾです…」
とのコメントを残しています。

いやいや、他の選手は間違いなくターンの練習を中心にやってますよ。

単純にカービングターンが上手くなればスキーを縦に滑らすことができて、
それによりスピードが増します。
この二つだけでも採点の75パーセントを占めます。
更にスピードに乗って踏み切ることができれば
エアにも良い効果が出るでしょう。

そこで、やっと2006年シーズンからヤンネ・ラハテラコーチを
招いてターンとスピードの練習に集中したというのです。

ホンマにめちゃめちゃ頑張ってはると思うんですけど、
どうもその方向性が間違えていたんじゃないかと思います。

上村選手はオリンピックのメダルにすごくこだわっていました。
だったらなぜそこに着目しなかったのかと思います。

1998年長野大会から参加して、ソルトレイク、トリノ、バンクーバー
と4度もチャンスがあってトリノオリンピックが終わるまで、
エアにばかりこだわって練習していたのであれば、
すごくもったいないことだと思いました。
良い選手であるだろうだけに。

こんなこと言う人いないと思うし、
人ごとだけど普通にめちゃめちゃ気になりました。
コーチとか誰か忠告してくれる人おらんかったんかいなぁと。
本人は常に煮詰まっているだろうから、
コーチが、
「エアにこだわるのもいいが、メダルが欲しいならターンを磨け。」
と言い説き伏せると思うけどなぁ。
そこがコーチの値打ちやと思います。

*トップの画像はシャンゼリゼ通りの“石畳”を
 コンコルド広場側から凱旋門方面に向かって撮影したもの。
 ツール・ド・フランスで逃げたい選手は
 この道の側溝ギリギリを使ってアタックするそうです。
 でも端から端まで石畳だと思うんだけど・・・

16 febbraio, 2010

JAM



ベルギーの列車事故、
18人の方々が亡くなられたそうです。
驚いたと共に、真っ先に現地に住む友人の身を案じた。

僕がこのニュースを知った夜のニュースでは早速、
「現地日本大使館の情報によると
 日本人が事故に巻き込まれたとの情報は入っていない。」
とのことです。

この手の海外の大規模事故ニュースを見る度に、
頭の中をグルグル回る歌があります。

THE YELLOW MONKEY / JAM(吉井和哉 作詞作曲)

~外国で飛行機が墜ちました
ニュースキャスターは嬉しそうに
「乗客に日本人はいませんでした。」
「いませんでした。」
「いませんでした。」~

というくだりです。
イエローモンキーというバンドの名前も
何も知らずにこのネーミングを見れば、
なんとも自虐的で更にこの歌詞ですから、
この人ら・・・
と当時の僕(高校生くらい)は思いました。

吉井氏はこのくだりよりも
本当に伝えたいメッセージはその後の
「こんな夜は逢いたくて」以降の方が大切である
と言った趣旨のことを語っており、
既にこの歌詞についてなど議論しつくされていると思うのですが、
それでも僕の中では事故がおこればこのくだりがよみがえります。

「現地日本大使館の情報によると
 日本人が事故に巻き込まれたとの情報は入っていない。」
という情報が流れた時、
とにかく僕は「あ~、良かった。」と思いました。
その時に亡くなられた方やケガをされた方のことを
思ったかと言われれば、
「思わなかった。」
日本人が巻き込まれていなかったことが分かった後に、
「気のどくやなぁ。」くらいは思ったかもしれません。

JAMはこんな僕のような人間に対する
あからさまな“批判メッセージ歌”だと思うのですが、
画面に向かってお悔やみ申し上げますとも思わない僕の
心根を抉って世の中の批判に曝し上げるのです。
こいつはこんなにひどいヤツだと。

自分はというと僕は他の被害者のことが心配でなりませんとの
ポーズを取って善人ぶっている。

じゃあ、お前はどんだけ聖人君子やねんと
反発してしまいます。

お前は世界中の飢餓に苦しむ人々も、
圧政に抑圧されている人々も
全ての人を開放できるのか?と

吉井和哉氏が例えば飛行機事故で亡くなった方々の
遺児達に毎年寄付をしています。
とか、
ケガで後遺症に苦しむ人たちに例えば車椅子を送った
とかいう話は聞きません。
こんなことは表だってやることではないですが、
漏れ聞こえる話すら皆無です。

要するにこういうことなんだと僕は思っています。
そこまで相手を慮るということは、
その人の今から未来の時間にまで
思い、行動に移すことこそです。

僕が命をかけて幸せにしたいとか、守りたいと
思うのは奥さん、母親、兄弟など家族で、
できる範囲でなんとか力になりたいと思うのが、
親戚や友人、
なんとなく気が合いやすいのが関西人、
感覚を共有できるのが日本人、

結構分かると思うのが、
歴史ある国の国籍を持つ方々、
経験上ヨーロッパ方面に多いと思います。

アフリカ人とは話をしたことも無いので分かりません。
南米の方々も同じく。
北米人は理解できないことが多いです。

完全に独断偏見によるものですが、
多くの人はこんな感じなんじゃないですか?
なんだかんだ言ってもやはり家族までです。
最大で公共性を共有できる日本人までです。

要するに、日本人であれば日本を常に意識することが
当たり前で、ブリュッセルの電車事故の件で言えば、
日本で報道するんだから基本的に日本人に向けての放送なので、
「あなたの家族や日本人の友人が巻き込まれているという情報は
入っておりません。」
と伝えるのは日本のメディアなんだから極当たり前のことだと思うのです。
ベルギー人の友人がいてその消息が気になるのであれば、
安否確認の方法などはいくらでもあると思います。
気になる人は当然そこまでするだろうと思います。
ただ、日本のメディアが日本国内で放送するのに、
そこまでの必要は無いだけのことです。

JAMはそれはおかしいんじゃないの?
と言っているように僕には聞こえるんです。
「こんな夜は逢いたくて」以降の方が大切といっても
その前の“この歌詞”のメッセージ力が強すぎるものだから、
当時も議論の対象になったんだろうと思います。

たかが歌ですが、されど歌。
この歌が多くの人の心を動かしたことは事実ですから、
みんなそんなこと思ってるんかなと思ったらちょっと心配です。

日本で日本人の安否だけを報道することが正しいのか正しくないのか、
アンケートとってほしいくらいです。
僕は、正しいと思うのですが・・・

だって、こんなこと言い出したら海外の津波とか地震とかでも、
当然日本人が被害に遭うこともあると思いますが、
20万人が亡くなられたとかいいますが、この方々全てについて、
例えばお名前とか放送するわけですか?

阪神・淡路大震災では死者名については死亡が確認された方については
全て放送していました。
外国人の日本在住者の方についても放送していたと思います。
ご覧になられた方も多いと思います。
これはやはり、
日本においては大事な情報だったから
6千余人のお名前を放送したのだと思います。

ですから、僕はJAMという歌のこの部分は間違えていると思います。
何が大事かを分かっていないのは吉井氏だと思います。
5分程度の歌に綴られる歌詞は全て作者にとって大切なものだと
受けては感じます。
彼はプロで作品を世に出してそれで金を稼いでいるだから、
その作品に対して責任があります。
僕はこれについて、もっと知りたいです。
彼が何を思ってこの詞をつくったのか。

この電車に知人が乗っていなくて本当に良かった。
僕にとって「日本人はいませんでした。」
は正に朗報でした。
亡くなられた方々、ケガをされた方々には誠に申し訳ないと思うが、
間違いなく朗報でした。

*トップ写真はベルギーの美しい街並み

10 febbraio, 2010

そういうことか、勝谷


勝谷誠彦氏が執拗に民主党、というか小沢一郎を擁護するので、
なんでかいな?
と思っとりましたが、なんとしっかり小沢から貰っとったんですね。

小沢一郎側が総務省に提出した書類から分かります。

http://www.soumu.go.jp/senkyo/seiji_s/seijishikin/contents/000025218.pdf

上記は総務省が一般に公開している書面です。
これ以外にも改革国民会議(旧自由党の政治資金団体)からも貰っとるみたいやし。

更に、「世論社」という勝谷誠彦氏が役員の法人があるようでして、
民主党議員のWEB製作やコンサル業務でとりあえず
約1000万円程度稼がせてもらっているみたい。

なるほど、やっぱ貰うと言えんわな。

竹島のことや、大東亜戦争のことなど納得させてもらうこと
多かったけど、この件を始めとして最近の勝谷氏については、
ホンマに目も当てられんわ。

結局お前も金かい!

政権交代ありきで考えるから、
ホンマに大事なことが見えてないわ、このおっさん。

政権交代のためやったら



外国人参政権が可決されてもええんか!?
人権擁護法案が可決されてもええんか!?
日本人をないがしろにするバカが総理大臣でもええんか!?
起訴するに足る資料が無いだけで、限りなく“黒”の
糞狸が公党の幹事長でもええんか!?
売国ババアが法務大臣でもええんか!?

小沢の太鼓持ちやって、日本が特亜三国に汚染されたらあんた、
どないして責任取ってもらおうかいね。

*トップ写真は言わずと知れたLa tour Eiffel
 べっぴんさんです。
 そのうち旅行記かくかもしれません。

09 febbraio, 2010

なんともな話


うんうんと思いながら観ていました。
一昨日の「たかじんのそこまで言って委員会」です。
大阪学院大学教授の國定浩一氏と株式会社シナガワの品川隆幸社長です。
昨今の不況の煽りを受け、悲鳴を上げている中小零細企業について、
「しんどいなら辞めなはれ」
「嫌ならやめなはれ」
「まだまだ仕事はある」
と仰います。
それに対して國定浩一氏は
「やめたくてもやめられへんのや」
と仰います。
やめようにも借金がかさんで首が回らん社長さん達が多い。
更に今の状況をつくったのは他の誰でもない
小泉・竹中だと仰います。

品川社長はそれこそ血尿がでるほど頑張って
今の会社を立て直したそうです。
今現在は不況では無い、これが普通だと仰います。

僕はこれを観ながら思いました。
まず、今の自分は衣食住足りているから毎日の生活には満足しています。
しかし、多くの中小零細企業の社長さん達は日々の資金繰りに苦労されている
ようです。それこそ首を吊る寸前のところまできている人もいるかもしれません。

なんとかしなければならないことには違いないのですが、
品川社長は血のションベン出してでも頑張れ、
それができなければ辞めて次の方法を考えなさいと仰います。
一方この大不況の要因のひとつとして小泉・竹中構造改革がある。
と國定浩一氏は仰います。

國定浩一氏は品川社長の仰ることは勝ち組の論理だと。
世の中の全ての社長がゴリゴリ押して、ガツガツ前に出て、
上手く儲ける社長ばかりじゃないんだと。
いわゆる職人気質の社長、ものづくりの才能はあるけれど、
儲ける才能は無い社長、まぁ押しの弱い社長、
など色んな人がいる。
品川社長の言うように出来る人は良いよ。
しかし、そうできない人が大半なのに辞めて直ぐに次に行けと言われても
そう簡単にできますかいな、と。

うんうんとうなずきながら聞いていました。
やらんとしゃあないんです。
ですが、我々庶民は上がこうやと決めたらそれに合わすために
血のションベンまで出さんと“生きていけないのか?”

朝8時から夕方5時まで一生懸命に
仕事をしただけでは生きていけないのか?

日本のものづくりは世界一なのに首を吊らないといけないのか?

國定浩一氏は完全に小泉・竹中構造改革の失政が多くの要因を
占めていると断じています。

僕もそう思います。
全ての社長が品川社長のような人間ではない。
全ての人が真面目に働けば普通に生きていけるような社会がやはり
素晴らしい社会だと思います。

普通に生きるの普通とは何か?

と問われましても回答に困るわけですが、
漫画美味しんぼから下記のことばを借りることで回答とします。

「いやぁ、立派になんてならなくていい。
食べたい時にとんかつが食べられるくらいがちょうどいい。」

昨日、某大手企業の営業マンと食事をする機会があったのですが、
「毎日時間に追われています。」
「No残業Dayもあって19時には電気が一斉に消えるんですが、
 みんなスポットの蛍光灯付けて仕事してますよ。
 No残業Dayなんて表向きだけです。」
とおっしゃっていました。

我々の意向に関わらず、経済のグローバル化は周知の通り止まることなく、
価格競争にも巻き込まれ、我々は無理をせざるを得なくなっているんですが、
そこを上手く舵取りしてくれるのが政治じゃないのかと、
竹中は自由競争をより先鋭化させ、勝ち組にはより儲けさせ、負け組みには
どんどん首を吊らせたと。

こんなのは豊かな社会では無いと思います。
國定浩一氏は恐らくいわゆる勝ち組の部類の方だとお見受けしますが、
こういった方々に仰っていただかなければ、庶民は浮かばれません。
なんとも難しい話ですが、國定浩一氏の仰りたいことが良く分かる話でした。
もちろん品川社長もバイタリティーのある素晴らしい方だろうと思います。


*トップの写真はパリの僕たちが泊まったホテルを
 バンドーム広場側からチュイルリー公園方面へ向かって撮った写真