30 ottobre, 2007

拉致国家

韓国の柳大使、金大中氏事件で「遺憾の意」表明
(2007年10月30日20時50分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20071030i313.htm

金大中拉致事件について、事件はKCIAの犯行であったとして
「遺憾の意」を表明したとのことですが、

早稲田大学の重村智計教授によると、
韓国では「遺憾である」と「遺憾に思う」では、
全く異なる意味となるそうです。
「遺憾である」は“残念である”
「遺憾に思う」は“ごめんなさい”
となるそうです。

最初韓国側は遺憾の意を表明と高村外務大臣を訪問予定
だったそうですが、「謝罪の意」がないとして、
外務省は訪問を拒否したそうです。
残念であるではなく、謝罪がなければ受け入れられないと。

そして、上記のようになったわけですが、
高村外務大臣が、
「『遺憾の意』を陳謝と再発防止の確約と受け止める」
と確認を求め、大使は了承したとのことです。

ひとまず、これで外交問題としてこれ以上取り上げることは
なくなったそうです。

しかし、朝鮮人は韓国語でのちょっとした言葉の意味の違いを
こんなところでも利用しようとは、コスイ奴らです。
チョッパリどもには何が何でも謝りたくないんでしょうな。

無責任な立場から思うに、謝罪しなくても良いのと引き換えに、
日本国内の在日朝鮮人連中の半島への帰国と再入国禁止、
朝鮮人の日本への渡航禁止及び国交断絶を
取り付ければ良かったのにと思いました。

南朝鮮は日本のみならず自国の拉致被害者でさえ蔑ろにする
国家だから拉致問題で同調することもないだろうし、日本にしてみれば、
他国の主権侵害をしておきながら、
「日本が悪いんだ!」
と完全に開き直って正面切って批判してくるんですから。
こんな国は完全に敵国以外の何ものでもないです。

日本の捜査当局はKCIAの実行犯の身柄引き渡しを含め、
徹底的に調査するべきです。

北だけでなく南も拉致実行国家ですからね。
将来自国民が南朝鮮に拉致されないためにも

26 ottobre, 2007

前回の続き

病院通いが続いています。
のどの腫れ、異物感がおさまらず、2日空けて
昨日行ってきました。
昨日の昼あたりから何も食べていないのに口の中が
ゴロゴロして、見覚えのない“かけら”?のような
物が出てきて、口から出してみたら白くて何だこれ?
みたいな物。

仕事を終えて早速病院へ、聞いてみれば口腔内にできた
“かさぶた”が剥がれたものだとか。
早速医者は左手に金属のヘラ、右手に吸引機のようなものを
持って僕の口の中にそれらを突っ込んで・・・

キュイーン!!ゴボゴボゴボ・・・
とゴリゴリと僕の口の中で作業をしています。
こちらはというとその強引さに耐えられず、
涙目になりながら「オエッ・・・オエッ・・・。」
と吐き気と格闘するのです。
医者は慣れたもので僕の目尻から涙が流れることなど
気にも掛けずひたすら口の中のかさぶたや膿を吸引
することに集中しています。
やっとのことでそれらが終わる頃には、僕は半分意識朦朧
となっていました。
医者は何事も無かったかのように、
「あぁ、大分膿とれたわ。」
「次、来週の月曜日来れますか?」
ってな感じです。
しかし、見事なもんでした。焦らすようなことは一切無しで、
いきなり手を口の中に突っ込んで、
やることやってさっさと終わらす。
これがプロの仕事やなと思い知らされました。
いったい自分の口の中はどうなっているんでしょうか?
その瞬間、血まみれになっていたことは
間違いないようなのですが・・・

ここ数日は食事を取るにも物がのどを通るときには痛み
を感じるし、「刺激物は控えてください。」と言われ、
「お酒は?」「ダメです。」といった感じですので、
なんだか自分のペースで生活できないので、
ちょっとストレスを感じています。
かといって、仕事に影響を及ぼしてもいけないので、
多少の無理はしているのかもしれません。
起きていてもいいことないから夜は早々に寝るのですが、
朝起きても疲れが抜けたような感じがしません。
いつもより体が重いような気もします。
次は来週の月曜日に来なさいと言われています。
のどの腫れ等は依然として残っているのですが、
それでも良くなっているような気はします。

たいしたことはないと高を括っていたのですが、
今の体調、正直辛いですわ。

ホンマ、ブログなんか書けるような
テンションじゃあないんですけどね。
今日は、雨で外の仕事が全部流れて、
ちょっと暇もあったので書いてみました。
ということで、大したことはないんでしょうね。

23 ottobre, 2007

勘違い

季節の変わり目、毎年恒例風邪ひきの時期がやってきました。
軽く鼻声になり、あぁええ調子やなぁと思っておりました。
2~3日前からそれに加えのどの調子が若干思わしくないなと
感じていました。
やたらと腫れを感じていました。
風邪によるものと思っていたので日曜日、月曜日と部屋の
湿度を気にしながら寝ました。
しかし、今日になっても変わらず、刺す様な痛みも伴ってきた
のでおかしい、おかしいと思っていました。

あ!まさか・・・魚の骨か!?

そう思いだすとそれ以外考えられなくなり、風邪云々は
完全に頭から消えてなくなり、骨骨骨・・・と、
今、脳内メーカーで僕の名前を記入すると
絶対全部“骨”やな、くらいに絶望感、虚脱感が僕を襲いました。
前回は、手術一歩前だったので、
今日急いで病院に電話して直行しました。
診察の結果は良く分かりませんでしたが、魚の骨は見当たらず、
炎症、化膿していたそうです。
何が原因なんだか思い当たるふしがありません。
刺激物は摂取しないように釘を刺されました。
薬局で6種類も薬を渡されました。
これが化膿を抑える薬で、これが炎症を抑える薬で、
これが痛み止めで、これがうがい薬で・・・重病人の如くでした。

帰っても仕事終わりのビールを飲むこともできませんでした。
ミネラルウォーターで薬を流し込んでそうそうに寝ることにします。
明日は重要なハンコ取りの仕事がありますので

*大したことはなさそうですので、皆様のご心配には及びません。
 お騒がせエントリー、失礼しました。

21 ottobre, 2007

むしろ悲しくもある

ある番組で旧帝国陸軍の特別攻撃隊を取り上げていた。
どうせ・・・とは思いつつも最後まで観ました。
予想通り“戦争はいけない、旧日本軍は悪かった。”
といった論調で進み、そのまま終わった。
きちんと補足説明をしないから、

さも、旧帝国陸軍が仕掛けた戦争、
日本の将校は特別攻撃隊の兵士に
「国の為に死んで来い!最後の一機は俺が行く。」
と言いながら戦後自決もせずに95歳まで生き延びた。

といった敢えて言うなら誤った認識を視聴者に印象付ける。

いちいち、こんな出来の悪い“公共放送”の説明を
たかだか一国民である僕が自前のブログでしなければならない
のは甚だ“けったくそ悪い”のですが・・・。

当時の敵国であったアメリカ合衆国のマッカーサー元帥は、
極東軍事裁判が終わって1年半後の1950年10月、
ウェーク島で、トルーマン大統領に、

「東京裁判は誤りだった」

と言い、1951年(昭和26)5月3日、
アメリカ合衆国上院議会・軍事外交合同委員会の聴聞会において、
聖書に誓い、日本は自衛のための戦争をしたと証言した。

実際に戦争を戦った相手方の人間がそういっているのだから、
日本はやむを得ずに戦争に巻き込まれたのであり、
戦わなければ日本は侵略され、今の日本など絶対に無かったのです。
まして、帝国主義が跋扈する当時、侵略の明確な定義も無かった
時代のことですから、日本が侵略戦争をしたなどという認識は、
勘違いも甚だしいと言わざるを得ません。

戦争はしなければ良いのは当たり前ですが、
座して死を待つなど到底出来ません。

卑怯な指揮官についても、
確かにそういった指揮官がいたのも確かだろうが、
最後に自身も特攻した指揮官がそれ以上に大勢いたことも事実である。

しかし、僕は「最後には俺も行く。」と言っていながら、
特攻しなかったとしてこの番組で“やり玉”にあげられた
菅原道大中将を責めることはできない。
当時を必死に生きた先人達がいたから今我々が平和に暮らせている
と思うから。

***

戦後、こうした“戦争はいけない・旧日本軍は悪かった”といった
主義主張を一貫して取ってきた左翼連中が主導した学校教育を受け
育った連中が今社会で中心となっており、その子供たちも育っている
わけです。
その左翼教育の実態が今の日本の姿だとすると、
彼等の教育の成果はなんだったんだろうと首を傾げざるを得ない
今の日本の現状です。
命は地球より重いと彼等が教えた結果が親の子殺し、子の親殺し、
更には誰だか分からない他人を理由も無く殺してしまう輩が跋扈する
世の中です。

日教組の連中にこの落とし前どうしてくれるんやと問いたい。
その日教組が組織を挙げて先の参議院選挙で応援した民主党にも
問いたい。

この様なトチ狂った番組をゴールデンタイムに放送する
公共放送が未だに存在するようでは、
日本が“戦前の様な”真っ当な国家に戻るのには、
まだまだ時間がかかりそうです。

19 ottobre, 2007

真贋いろいろ

中日新聞CHUNICHI WEBの平成19年10月11日の記事より

「カシミヤ70%」実はゼロ ユナイテッドアローズ販売の女性用ストール
WEB記事はこちら↓
http://www.chunichi.co.jp/article/national/news/CK2007101102055472.html

MSN産経ニュースの平成19年10月12日の記事より

ビームス不当表示を認定 「伊製」ズボンで東京高裁
WEB記事はこちら
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/071012/trl0710122003003-n1.htm

どちらも洋服好きとしては許されないですね。

カシミヤ素材の商品ってやっぱりウールの物より当然
高価じゃないですか、そして肌触りも全然違う。
インドのカシミール地方で育ったカシミヤヤギからとれる毛
を使っており、1頭から150g程度しかとれないそうです。
繊維の宝石といって重宝されるそうです。
その商品としての貴重性、完成度からいっても、
カシミヤだからそれだけのお値段をいただいて、
提供しているわけですよね。

一方のビームス
ビームス側は「商品はイタリアのブランドが企画、デザインした。
縫製地を原産国とするのは妥当でない」
と主張しているようですが、
なんだか、北朝鮮産のアサリと同じ臭いがして、
何とも不愉快な主張だなぁと思いました。

北朝鮮で取ったあさりだけど、日本の海で育てたからOK?
みたいな。

でも、例えば僕はドイツ土産として買ってきたミニカーのおもちゃ
のケースを裏返してみたら「MADE IN ITALY」
と書いてあってひっくりかえったことがありましたが、
それはそれで“アリ”やなぁ、と思ったことがあります。

それに僕が前に乗っていたBMW 318isなんかは、
確か南アフリカで組み立てられたものだと思いますし、
今のBMWは中国で生産されていると思います。
乗り味はBMWだけど・・・
といった感が否めませんし、
中共独裁国家でつくったBMWなんか乗りたくねー!

ユナイテッドアローズの件などは、
全く表示と違った商品を売っていたわけですから、
言い訳できないでしょうが、
ビームスのイタリア製・ルーマニア製ってのは、
どうなんでしょうね。

ちょっと前にバーバリーが国内工場を閉鎖して
中国で生産するというニュースがありまして、
英国の紳士淑女から大バッシングを受けたという記事がありました。
利益を追求しすぎて商業主義が過ぎるとのことです。
チャールズ皇太子までが反対したんですよね。
今でも本国で生産されるバーバリーは本物のバーバリーで、
日本でライセンス生産されているバーバリーもあるんですね。
因みに、僕が今使っているバーバリーのオード トワレは
Made in Franceです。
でも、バーバリーのコート、買ったはいいけど、
タグを見たら“Made in China”ってあったら
正直ショックじゃないですか?

支那の職人の名誉の為にひとこと言うとすれば、
支那の製造技術は過去の安かろう悪かろうの時期は
既に過去の話であり、現在は高い技術を持っており、
それを大量生産でも維持できる力があるそうです。

*とある方によればバッグで有名な「コーチ」は
 中国製だそうです。

結論としては、当たり前すぎて面白くないのですが、
消費する側にも本物を見極める目が要求されているということですか?
カシミヤ70%と書いてあってもそれが本当に含まれているかを
見極めるのは消費者で、ルーマニアで縫製されたものを、
デザインはイタリアのブランドだからイタリア製と書く、
そこまで分かって買ってよね。と販売業者が言う。
全部消費者が己の責任において買えだって。
そんなの全てにおいては無理でしょ、息苦しい世の中です。


まぁ、僕が今後ビームスやアローズで洋服を買うことは
絶対といっていいくらいに無いのですが・・・ハハハ

08 ottobre, 2007

えー!!!

オートバイレーサーの阿部典史さん(32)が7日午後6時20分ごろ、
川崎市川崎区大島1丁目の市道でオートバイを運転中、
Uターンしてきた横浜市の運送会社のトラックと衝突。
阿部さんは病院に搬送されたが、全身を強く打ち、間もなく死亡した。

 川崎署によると、現場は片側2車線の中央分離帯がない直線道路で、
左車線を走行していた4トントラックがUターンしようとしたところ、
右後方からきた阿部さんのオートバイが衝突したという。
阿部さんは意識はあったが、運ばれた病院で午後8時52分に死亡した。
現場の道路はUターン禁止だった。トラック運転手は配送中だったそうで、
飲酒の形跡はないという。
同署が自動車運転過失致死の疑いでトラックの運転手(51)から、
さらに詳しく事情を聴いている。

スポニチさんの記事を一部引用
前文は↓
http://www.sponichi.co.jp/car/news/2007/10/08/01.html

ノリックが事故死・・・。
この前レース解説してたやんか!
'03に大治郎が亡くなったばっかりやのに・・・。

なかなか受け入れられずにいます。
けど、事実のようですね。

1975年生まれ、僕と同じ年です。
世界を舞台にアグレッシブなレースを
常にファンに見せてくれたノリック。
あのヴァレンティーノ・ロッシが
憧れたノリックです。
今期は全日本で大活躍でした。
あ~、もうノリックのライディングは観られへんねんな~
大治郎といいノリックといい、ちょっと早すぎるで、
日本人の活躍が無いと、バイク中継がまた寂しくなります。
ホンダ・ヤマハ・スズキ・カワサキ
国産メーカーは世界の超一線級なんですよね。
そんな中でノリックはそんなワークスと並び
評価されるライダーでしたね。
もっとノリックの活躍が観たかったです。

今は、ゆっくり休んで欲しいです。

ノリックのご冥福を祈ります。

泣きかけました

昨日は、先週測量した現場のデータを整理するため、
朝から出勤。
せっかく出てきたので、その他の現場もついでに
触って週明けに備えました。

昼過ぎに今夜晩ごはんの予定をしていた方に連絡するも
連絡が取れずに不在着信だけ残しました。
16時半頃に先方から連絡があり
「まだ仕事中で、遅くなりそうだから。」
とのことで晩ごはんはキャンセル。

車で出勤したのですが、朝、いきなりシフトノブの
グリップがはずれてしまったので、それを直すために
主治医のtakeさんのところへ行くことに決定。
18時以降なら診ることが出来るとのことで、
ちょうど仕事も17時30分には片付いたのでM3で出発。
連休の“なか日”ということで国道43号線
(以下43{ヨンサン})東行きは
軽い渋滞、交差点毎の信号に停車という有様でした。

10月に入ったものの夜の気温は今日はさほど下がらず、
窓を開けてエアコンはかけずに乗っていると車内では
軽く汗ばむほど、「熱いなぁ。」と不快に思いながら
渋滞の43をノロノロと東へ低速走行していると、
M3の水温計が段々とその針を右へ傾かせていきます。
9月に治療してもらったときにもラジエーターがあまり
機能していないことを指摘されており、4分の3あたりを
ずっと指していますが、まぁ大丈夫でしょうとのことでした
から、気にかけながらもさほど心配せずに動かしていました。
しかし、その針があっという間にレッドゾーンに・・・!?

やばい!!と思い、急きょ側道へ逸れて、停車・エンジン停止!
再始動するも針は以前とレッドゾーンあたりを指しています。
素人の僕にはその原因は分かりませんでしたが、今車を動かしては
いけないことは分かりましたので、暫くエンジンを冷まして、
また出発、43を東へ次の信号あたりでレッドゾーン!?
ダメだ~、でもここではどうすることもできないし、
とにかくtakeさんとこに行くことを即決しました。
その後出発停車を何度も繰り返し、魚崎辺りのローソンで
EVIANを買い、takeさんにオーバーヒート気味であることを伝え、
自分自身を冷却し、何とかtake-Mに到着、
時間は20時前になっていました。
三宮から西宮は上甲子園まで2時間30分もかかりました。
そして、早速診察に入ってもらいましたが、電動ファンが
作動しておらず、エンジンが冷えないとのことでした。
ラジエーターが正常であれば・・・。
手を尽くしてもらいましたが今日は車で帰られない
ことが決定。
早速荷物をまとめて、電車で帰らなければならない事実を
受け止め、自分の心で昇華させ、takeさんに西宮駅まで
送ってもらいました。

あ~、ホンマやったら今頃楽しいディナーやったはずやのに・・・
なんでこんなところに居るねん・・・。
思わず目頭が熱くなりました。
まぁ、車のトラブルとディナーのキャンセルは
直接関係ないですからこれは言い過ぎですがね。
けれども、泣きたくなるくらいの出来事でした。
帰りの道中はずっと下向いていましたよ。

しかし、このままお食事となっても車がトラブることは、
間違いなかったので、相手の方に変な迷惑をかけなくて済んだ
ことは不幸中の幸いだったと思って、
今日のことはこれがベストだったと無理やり納得しました。

しかし、M3のトラブルが頻発しています。
この一連の騒動前後で10万円は軽く超えることが決定しています。
年末には車検も控えており、なんとも頭の痛いところです。
しかし、素人ではありますが、車に多少強くなったことも確か。
それに、強がりで言うのではなく、面白いです。
まだまだM3には乗り続けるので、
当面の冷却問題はこの辺でけりをつけたいです。
でも、冬になるとそんなに心配しなくても良くなるんですよね。
タイミング悪いなぁ。

お食事は、また次回に持越しです。
これも8月末からの繰越しなんですが、
僕も忙しかったので、今ひとつ予定もあわずです。
のんびり調整することにしています。

06 ottobre, 2007

mixist

この度、のっぴきならない事情によりmixiを始めることにしました。

↑こういうものの言い方が自分らしくて嫌いなんですが・・・

皆さん曰く
「面白いよ。」
「結構ハマるよ~。」
「年甲斐も無く・・・。」
だそうです。
で、mixiで日記書くのも面倒だし、そもそもこれがあるから
二つも書いてらんねー、ってことでmixi日記をクリックすれば
こっちに飛んでくるようにしました。
けど、Bloggerでこの設定をするのって難しいんやね。
RSSとかいうヤツの何とかがどうで難しかったです。
多分今は出来ていると思います。

僕にmixiをずっと勧めてくれていた後輩君にもずっと不義理を
していたので、早速この今、いろいろいじっています。

ウチの高校の吹奏楽部のコミュニティにも来なさいと
言われているんですが、10代や20代前半の連中のところに
僕が行って良いのか?
これは当面の検討課題としますわ。

仕事でも内業の時はずっとメール同様にログイン状態にする予定。
もう嵌ってるって!?

04 ottobre, 2007

コオロギ

昨年のザルツブルグに続き、先日行われた
UCI世界選手権シュツットガルト大会の
エリート男子ロードでイタリアのパオロ・ベッティーニ
が2連覇を果たしました。

レースは終始イタリアが先手を打ちスペインがチェックを
入れる形で進められました。
イタリアはベルトリーにが常に前を行き効果的なアシスト
をし、終盤はレベッリンが逃げを打ち後続のエースを
抱えるチームを焦らせイタリアチームに有利な展開を
作りました。
最後は登り基調のスプリントになり、脚質的に有利な
ベッティーニがロシアのコロブネフを差して
1991と1992年のジャンニ・ブーニョ(イタリア)以来の
2連覇という快挙を成し遂げました。

そのベッティーニですが、'08シーズンを最後に現役を
引退する考えがあることを語ったとのことです。
ベッティーニは現在33歳で選手寿命が短いと言われる
ロードレース界では既にベテランの域に達しています。
ツール・ド・フランス7連覇のランス・アームストロングは
34歳で引退しました。
ベッティーニのこれまでの活躍を考えるとその消耗度は
並大抵ではなかったことは容易に想像できます。
それゆえの(早すぎる)引退の決意なのかもしれません。

日本人ロードレーサーにとってベッティーニの存在は
曇り空に差す太陽光のようなものです。
一般的にヨーロッパのロードレーサーは身長が高く、
手足も当然長く、自転車に乗るための体の見本のような
選手が多かったのですが、ベッティーニは全くその逆
で身長は169㎝に体重は58kgと平均的な日本人と
同じような体型です。
自転車で世界を相手に戦うためには
体型ではないということです。
折りしも今シーズンは日本人で初めてUCIプロチーム
所属選手が誕生し、日本でもちょっとしたロードレーサー
ブームも起こり、世界で伍して戦える素地が出来つつある
状況です。
ベッティーニの様にほぼ全てのタイトルを獲得できる
日本人選手が出てくる日もそう遠くないと思います。

来年はベッティーニの集大成のシーズンです。
前開のアテネオリンピックの金メダルがベッティーニなんですよね。
北京オリンピックをイタリアが

ダルフール・チベット・東トルキスタン問題
はたまた環境汚染などで

ボイコットしなければ最後のシーズンでオリンピックも
2連覇なんてのもみられるかもしれません。

02 ottobre, 2007

下世話な話

エリカ様のご乱心について

芸能人といわれる方々に人格なんて求める方が
間違えているんじゃないでしょうか?

そもそも芸能人なんていう方々は、
我々と違って自尊心・自己顕示欲・排他的精神が
人並み外れて強く、他人を蹴落としてでものし上がっていく
タフな連中で、
日常的にキレているやつらを言うんじゃないでしょうか?

そういった変わった連中ですから、もちろん人並み外れて
何かに秀でている、圧倒的な存在感がある、
他人を惹き付ける魅力があるんだろうと思います。

それらはもう表裏一体ですよ。
芸の為なら女房も泣かす。
名曲をかき続ける為にクスリに手を出す。
役づくりの為に激ヤセ・激ぶとりも体に悪かろうがいとわない

エリカ様だって恐らく例に漏れないんでしょう。
どんな女優なのか興味も無いのでしりませんが、
“芸能人”なんですよ。

「私を評価するのは映画だけを観てしてくれ。」
くらい思ってるんじゃないですか?
私生活でどんなに素行が悪かろうが、
結果は全て作品でだすくらいの意気込みなんでしょう。
この舞台挨拶にしても、こんなことしなくても
映画を観てくれれば分かると思っていたんでしょう。

芸能リポーターという芸能人のケツに金魚の糞のように
くっついてネタを上げて飯を食らう程度の悪い連中が
あーだこーだとワケの分からんことを持ち出して
鬼の首を取ったかのように祭り上げるから、
バカな大衆がそれに釣られて何故か怒っている
みたいな図式なんじゃないかと思っています。

ですから、
エリカ様がしたことが良いか悪いかは
そもそもどうでもいいんじゃないかと思います。
なんなら昔の芸人みたいに
とてもカッコいい芸能人じゃないかくらい、
絶賛する人がいても良いくらいなんじゃないですか?

このキレようは、横山のやっさんの再来や!!!

くらいいってやればいいと思いますよ。
芸能人に礼儀だの先輩を敬う心だの言ったって
しょうがないでしょう。
まんま人気と実力の世界ですからね。
舞台挨拶で超悪態をついてもたかだか東京の一箇所だけ
でしょう、地方には行かないわけですよ。
スゴイ観客動員で超大作になってしまうかもしれませんよ。

もっとも僕はファンでは無く、
どんな映画やドラマに出ているかもしりませんし、
これから観る予定もなく、
応援したいとも思っておらず、
消えても消えたことすら分からないくらいの
認知度です。

この一件でエリカ様がスケールの小さい女優さんに
なってしまったら誰が責任取ってくれるんでしょうか?
それはそれで残念な気もしますね。

下世話な話というよりはどうでもいい話でした。

あ~、でもエリカ様を認めると、
亀田とかいうヤツも認めることになるんですかね?
あれはあれで気に食わんヤツなんやけどなぁ~

01 ottobre, 2007

親日・反日

(インドネシアでオランダ軍に無実の罪で
      刑死させられた朝鮮人少年兵)

 再度インドネシアを植民地にしようとするオランダ軍によって
不当極まりない軍事裁判の中に朝鮮人兵士朴成根少年が無実の
捕虜虐待の罪で被告席に立たされていた。
裁判とは程遠いものだった。馬渕逸男司令官代理が気の毒に思い
裁判の合間に面会に行った。
「真に気の毒な結末となって相すまぬ」というと
「なあに運命ですよ。ここでは正邪曲直は通りません。
覚悟は決めていますから平気です。堂々と戦います」
ときっぱり答えたという。
単なる復讐劇だからまともな判決が出るはずもなく
朴少年も死刑の判決を受けた。
父親の代理ということで馬渕少将が死刑の直前朴少年に面会した。
「戦争が負けたばかりに君にこんな目にあわせて何とも申し訳ない」
と云うと少年は
「何、仇に裁かれては仕方ない。しかし、アジアは独立しますよ。
日本の勝ちですよ。おかげで朝鮮も独立できます」
最後に愛国行進曲を歌うといって少年は歌い始めた。
少将は聞いていて涙がこぼれたという。そして少年は
「私は一人息子で姉一人妹一人。親にかわいがられて育った。
父は亡くなり姉は嫁いだ。母は私の死を悲しむだろう。
妹に私に代わって孝行して呉れと、(少将に同行した朝鮮の
友人に)遺言を頼みました」
と云った。
制限時間はとっくにすぎたので千万無量の手を握り合って訣れたが、
彼の瞳は澄み、
「もう、これで思い残すことはない」
と云った。
処刑にあたっては卑劣なオランダ人の兵士達の前で
威風堂々とした態度であったという。
刑木に縛られる前に見物人を一わたり見渡し、
「大韓国独立万歳、万歳、万歳」と偉大なる祈りを三唱した。
ときに昭和二十二年一月、朴成根少年享年十九歳。

「日韓2000年の真実」名越二荒之助)より大意抜粋
             (日本図書館協会選定図書)

***

ネット上をウロウロしていてこんな話をみつけました。
当時、朝鮮人がこぞって日本軍に入隊したという話は
本などで読みましたが、台湾人であればさもありなんと思いますが、
朝鮮人でもこの様な方がおられたとは意外でした。
ということは、今の南北朝鮮人のあの常軌を逸した反日ぶりは、
DNAの問題だと断定し続けてきたのですが、
やはり教育によるものが大きいと考えるべきなのでしょうか?

まぁ、いずれにしても今の大陸・朝鮮半島の連中と
上手く付き合おうなんてことは先日の
アジア・チャンピオンズリーグ準々決勝第2戦 全北VS浦和
をみれば少しも思いませんがね。

ただこういう話を聞くと残念です、とても残念です。
名越二荒之助(なごしふたらのすけ)さんのこの著書、
読んでみようと思いました。