31 agosto, 2007

適性

僕の仕事は社会の秩序を維持するための仕事のひとつです。
公共の利益に貢献する仕事です。
見栄えのよさ、派手さとは無縁の仕事で、
時には朝から晩まで数字のみを追いかけ、
時には真夏の太陽の下でひたすら地面と格闘する。
そんな地味な仕事です。

ただ、僕の性格には合っている。

しかし、僕がこの僕の性格でなければやってみたかった
仕事があります。

クリエーターといわれる類の仕事です。

彼等は無から有を創り出す(創り出しているように見える)
彼等の肩書きは横文字だ(笑。それだけでまぶしい)
彼等の作品は美しく華やか(なように僕の目には映る)

勝手なイメージです。
クリエーターの方の努力を無視しているわけではありません。
しかし、僕の仕事とは対極にあるような気がします。
僕達の仕事には創作はありえません。
創作すればそれは違法です。

もう一度人間に生まれ変わることができるなら、
来世は何かを生み出す仕事をしてみたいです。

29 agosto, 2007

ブエルタ・ア・エスパーニャ

ジロ・デ・イタリア
ツール・ド・フランス
ブエルタ・ア・エスパーニャ

これら3つのレースを総称して
グラン・ツール(3大ツール)といいます。

9月1日より今年最後のグランツールである
ブエルタ・ア・エスパーニャが始まります。
3週間かけてスペインを一周するこの
ステージレースは、グランツールで一番、
山岳がきつくて有名です。
毎年山で過酷な総合優勝(マイヨ・オロ)
争いが繰り広げられます。
今年は、4ステージも山頂ゴールがあるよう
なので本当に楽しみです。

昨年のマイヨ・オロはアスタナの
アレクサンドル・ヴィノクロフでした。
しかし、ここでも書きましたが、
ツール・ド・フランスで
ドーピングコントロールで陽性反応がでて、
出場停止、チームも解雇となりましたので、
今年のブエルタには出場しません。
スペインの至宝
ケースデパーニュのバルベルデは、
世界選に出場予定でブエルタは回避するとか

とにかく、寝不足の毎日が
またやってきます。

27 agosto, 2007

人を信じる

「じゃあ、頼むわな。」
と言う瞬間は自分のこれまでの人生の成果が試されます。
その人を全面的に信頼して、あることを任せるのですが、
その人が信頼に足る人物であるかどうかを見極めるに際して
具体的な数値基準がないので、
僕なら僕がこれまで生きてきた経験から判断をするわけです。

日ごろ保守系ブログをウロウロと覗きに行くのですが、
その中でこの人は一体何者なんだろう?
と思わすようなすごく緻密で詳細で調べこんだ上でUPしている
と思われる人のブログがあります。
その人は、あることのキャンペーンにFlashをつくりたいから
カンパして欲しいとブログ上で寄付を募ったのです。
それからかなり月日が経っているのですが、一向にFlashを
お披露目する様子も無く、かといって進捗状況をブログで報告する
わけでもなく、
ついにはブログ更新そのものがストップしてしまいました。
寄付の合計は200万円を遥かに越えているようです。

何者が管理者なのかはさっぱり僕には分からないのですが、
旧日本軍の話やパラオ共和国と日本との話など涙無しには読めない
ような素晴らしい話を掲載される方で僕は、
「こんなエエ人もおるんやなぁ。」
と感心しながら読んでいたのです。
その方が、今回のような、警視庁も動いていると言われるような
事件を起こしました。
寄付をした人達は当然、照会のメールなどを送るのですが、
ほとんどなしのつぶてで現時点でも何の方針も示されていません。

僕は、寄付をしなかったのですが、完全に尊敬の念を持ってブログを
読んでいたので目に見える被害は無いのですが、裏切られた感は
強くありました。

人を信頼するというのは本当に難しいようです。
web上でだけの話ですから、
こんな極端な例は参考にならないとは思いますが、
思想信条だけをもってある人を誠実な人だと断定しかけていた
自分にとって今回の一件は反省をせざるを得ないものでした。
人対人の直接の関係においてはもっと露骨に体感させられるでしょう。
信頼した人に裏切られることは、裏切った相手を責めたくなる気持ちと
共に、そんな人物を信じてしまった自分をも責めることとなります。
それは仕方のないことですけれども、かなり凹みます。
「これまで生きてきて、人を見る目は全然鍛えられなかったのか?」
「俺ってアカンなぁ・・・。」

裏切った人間が悪いのは言うまでもないのですが、
やっぱり・・・

それでも人を信じたいという気持ちはもちろんあります。
しかし、その気持ちをゆるぎないものにするためには、
鍛えなければならないものは鍛えなければなりませんし、
養わなければならないものは養わなければなりません。

しかし、最後は気持ちです。
人を信じて任せる瞬間は、その瞬間までの己の人生の集大成です。

17 agosto, 2007

いやごと大歓迎

お盆明け、めっちゃ忙しいというわけではありませんが、
ほどほど仕事はあります。ありがたいことです。
そんな中、ウチの先生と1時間ほど雑談というか、
話をしました。
ウチ等の業界の今後と僕自身の将来です。
僕の携わる仕事は、専門性が強く、新規に事業を興して
すぐに顧客がつくような仕事ではありません。
こんなものに例えたくはないですが、
政治家のように、地盤・看板・鞄を受け継ぐのが、
一番早く確実な業界です。
一から興すと1千万以上の資金が必要で、
しかもそこらを歩く人がぽっと扉を開けて、
これくださいと商品を買っていくものでは無く、
既に不動産を持っている人がああしてくれこうしてくれ
とか、これから不動産を買う人が少なくとも3000万円
程度の融資を受けられる事を確定させた上で登記してくれ
と多くはハウスメーカー経由で仕事がやってくる。
といった感じで、例えば脱サラで始めるには、
あまりにもリスクが大きすぎる業界です。
僕はウチの先生にまぁ言えば弟子入りして、
世話になっているわけですが、この業界は現職の方が段々廃業
していき、新規に業を興す人でもすぐに先が無いと廃業する
人が多く、若干寡占気味になりつつあるようです。
ウチの先生は、
「まぁ、そんなこと気にするな。君はお世辞にも要領が良い
とは言えないが、こつこつするタイプだから必ず身に付く。」
と言いました。
世の中絶対はありえないので、僕がこの仕事で大成するかは
未知ですが、
今更仕事を変えることなどできるわけもないし、
地味な仕事ですがこの仕事が好きですので、
しがみついてでも続けていきたいと思っています。
ウチの先生は同じことを何度も言ってくれます。
頑固で昔気質の口うるさい先生なのですが、
時にはうっとうしいなぁと感じつつも、
ありがたく拝聴しています。
父亡き今、ここまで他人に人生を説いてくれる人はありません。
ウチの先生に世話になることになったことを、
感謝し、廃業されるまでお使えすることを固く誓い、
日々、仕事にまい進したいと思います。

仲良しクラブの安倍内閣を率いる安倍首相に物申したい。
自分を慕ってくれる身内で固めるのも良いが、
自分に辛く当たり、叱咤激励をしてくれる
先輩を必ず採用すべきですよ。
そんな方の一言に現状を打開するきっかけがあるものです。
Yes Manだけを側に置くと、遠くない未来に
あなたは裸の王様になります。

マスコミは安倍下ろしに躍起になっていますが、
安倍晋三個人は、まだ死んでいないと思います。
クレバーな側近を据えることができれば、
起死回生の一発などたやすいです。
月末の組閣が楽しみです。

15 agosto, 2007

敗戦に思う

毎年、この敗戦記念日を中心に日々先の大戦について
考えるのですが、
やはり、あの戦争は自衛戦争であり、
断じて侵略戦争ではないという結論に至ります。
そもそも“侵略”の定義すら今、現時点僕がこれを
書いている今もあいまいなのです。
“自衛”と“侵略”の境目を国際社会は
明確にできていないのです。
であるなら帝国主義が跋扈する当時、
列強各国はアジア・アフリカに多数の植民地を持ち、
更なる拡大を図っていたのにこの国はそれを
指を咥えて見ていれば良かったのでしょうか?

上の言葉を使うなら
“自衛”のために“侵略”したのです。
朝鮮半島はこのままいけば赤化される。
そうすれば日本の周りは共産国家ばかりになり、
我が国の安全保障上脅威になる。
そんな中で韓国で当時最大の政治結社である一進会の
希望があり、国際社会公認の上で韓国を併合したのです。
これをしなければ韓国は今もって共産国家であったろうし、
そうであれば現在のかの国の発展は無かったと言えます。
当時、日本は韓国の統治に莫大な“日本の国家予算”を
使いました。植民地という認識はまるで無く、本国同様に
扱っていたといえるでしょう。なぜなら植民地とは
単なる搾取の対象であり搾れるだけ搾り取るというのが、
列強の植民地政策だったからです。

当時の日本軍にしても国際法を遵守し、とても規律正しい
部隊ばかりだったと聞きます。

当然じゃないですか、それって僕の祖父達であり、
あなたの祖父達なんですから。

故松井やより氏の言うように、
「旧日本軍は遠征先の現地人を暴行したり、殺人したり、
 強姦した。しかし、私の父は軍人だったが
 そんなことはしなかった。」
みたいなことは言えないでしょう。
故人を非難するのは些か複雑な気持ちではありますが…。

負けたから卑屈になるなんてそれこそみっともないです。
負けた戦争にも大義はあります。
当時アジア一体で独立国家だったのは
日本とタイだけだったんです。
その他の国はほとんど列強帝国主義の植民地だったんです。
日本は国家の独立を賭けて戦った。そして負けた。
国家の全てをもって戦ったんです。
已むに已まれず戦地へ行った父や兄弟がいたかもしれません。
みんな当然生きて、また日本の土を踏みたかったでしょう。
しかし、それもほとんどの兵士は叶わなかった。

それまでして尊厳ある独立を勝ち取ろうとしたんです。
日本の歴史、伝統、風土、そこに住む人々を守ろうとしたんです。
それ以上の価値があるでしょうか?

そんな大義ある戦争を戦った当時の日本を、
ただ単に軍国主義国家と決め付けるのは、
愚かで悲しい人としか言いようがありません。

殊更に美化するつもりはありません。
当時の多くの方々の苦難がある上に今の日本がある。
靖国へも行き、千鳥が淵へも行き、
ただありがとうございます。
と感謝したい気持ちで一杯です。

13 agosto, 2007

お盆です

父方祖父の妹のだんなさんが昨年亡くなり今年初盆、
仏さんに挨拶に行ってきました。
80もとうに過ぎ、近所に姪が住んでいて、
何かと世話を焼いてくれるものの、
一人暮らしは寂しいと漏らしていました。
平成13年に夫を亡くした“僕の母”も、
その話を聞きながら、
「やっぱり、4~5年は辛かったよ。
普段、あれこれしている間は思い出すこともない
けれど、ふとしたときに猛烈に寂しさが襲う。」
と行っていました。
ウチからも近いので、折をみて話し相手にでも
行こうと思ったのでした。

そのおばあさんから、父の話を聞きました。
ウチの親父はバカ(勉強が出来ない)だから、
当時勤めていた会社に入社するのに身内一同、
往生したそうです。
でも父は、人の面度をみるのが好きで、
何かあればやって来て、ひとしきり話して帰ったり、
土の付いたままの大根をぶら下げて、
「今、抜いてきたところやからおばぁ、食べや。」
と持ってきてくれたり、
阪神・淡路大震災の時には、
老人二人暮らしだったおばあさん達のところに、
食べ物を持って行ったり、家の修繕をしてくれたり、
と話してくれました。
「ひろっちゃん(ウチの親父:弘)、あんなええ子
やったのに、なんでウチ等より先に逝ってしもうたんやろな。」
と残念がっていました。

親父はどちらかと言うと静かで、酒が入ると陽気になり、
寂しがりやで、母曰く尻が軽く思い立ったが吉日直ぐに行動に移す。
どちらのお子さんかも分からない子供達と楽しく遊ぶ、
人が大好きな人間でした。
そんな親父が周りからとても愛されていたことも、
今日改めて知らされました。

祖父達は親父が亡くなるまで55年間の付き合いがありました。
僕は親父とたった25年しか接することができませんでした。

今日聞いたような話は僕が目にすることは無かったことでした。
僕は親父を誤解していた部分が多くあった。
僕は親父のことを何も知らなかったようです。
今更で切ないですが、聞けて良かった。
男の価値はそのやさしさの本質できまる。
親父は今の僕が理想とする人間像を体現した男だったようです。

親父が亡くなって7回目の夏です。
明日、親父を迎えるのですが、
どうやら「親父、ごめん。」
と謝らなければならないようです。

11 agosto, 2007

暑い夏

最後の便り
海軍中尉 小川 清

 父母上様
 お父さんお母さん。清も立派な特別攻撃隊員として出撃
する事になりました。思えば二十有余年の間、父母のお手
の中に育った事を考えると、感激の念で一杯です。全く自
分程幸福な生活をすごした者は他に無いと信じ、この御恩
を君と父に返す覚悟です。
 あの悠々たる白雲の間を越えて、坦々たる気持で私は出
撃して征きます。生と死と何れの考えも浮びません。人は
一度は死するもの、悠久の大義に生きる光栄の日は今を残
してありません。
 父母上様もこの私の為に喜んでください。
 殊に母上様には御健康に注意なされお暮し下さる様、な
お又、皆々様の御繁栄を祈ります。清は靖国神社に居ると
共に、何時も何時も父母上様の周囲で幸福を祈りつつ暮し
ております。
清は微笑んで征きます。出撃の日も、そして永遠に。

神風特別攻撃隊第七昭和隊
昭和20年5月11日南西諸島方面にて特攻戦死

「英霊の言乃葉」より引用

上記は、24歳の若さで特攻死した小川中尉の遺書です。
この他にも大勢の若者が当時こうして遺書を残して
散っていきました。
戦局が悪化する中、已むに已まれずに特攻という選択を
選ばざるを得ない状況にまで国を追い込んだ政府・大本営
に対して彼等も文句のひとつでも言いたかったかもしれません。
しかし、家族や恋人たちの暮す日本を守る為に、泣き言も言わず
彼等は戦ったのです。

そんな特攻隊員を無駄死にとか無理矢理特攻に行かされたとか
いう連中に対しては、何というか本当に怒りがわいてきます。
彼等の遺書にしても戦意高揚の為に無理矢理書かされたとか
言うのです。
無理矢理書かされてこんなに愛情のこもった文章を
書けますでしょうか?
彼等は日本の未来の為に命を賭けて戦ったのです。

安倍内閣は8月15日の敗戦記念日に
16閣僚全員が靖国神社に参拝しないことを表明しました。
もともと安倍首相は例大祭に参拝するのが本来として、
8月15日の参拝はないだろうと思っていましたが、
何に遠慮をしているのか、他の閣僚まで行かないっていうのは
なんなの?と思う。
国民に配慮をしているのか、特亜三国に配慮しているのか?

安倍内閣、いつまでたっても“空気”の読めない
仲良しクラブです。
英霊達はこんなやつらには来てもらわんでええわと
思っているかもしれません。

06 agosto, 2007

ご馳走様でした

あるお店でお昼ごはんを食べて、
第二突堤へと向かい、7時30分から
1時間花火を楽しみ、
事前に晩飯をご馳走してやってくれと
指示があり、
焼肉が好きだとのことだったから、
焼肉を食べに行ったわけです。
で、塩タン、はらみ、上ロース・・・
一通りたのんで、
さあ、食べようと機嫌良く食べ始めたのですが、
途中からどうも美味しそうに食べません。
肉が柔らかすぎて食感が気持ち悪くて
食べられないと、
一気に箸が止まってしまいました。
ご飯やキャベツでお茶を濁し、
「この中で一番美味しかったのは塩タンくらい。」
と・・・。
食べ物の好き嫌いはひとそれぞれあろうが、
お店の人が傍におるのに、
そんなこと言うかよ?
結局「ごちそうさま。」
も無しに帰ることとなりました。
こっちは機嫌が悪いから電車で帰れと
言いたかったのですが、
友人から預かったこともあり、
11時もまわっていたので、
大阪まで帰る間に何かあったら、
言い訳もできないので車でお送りしました。
できればもう会いたくないです。
この春から働き始め、
アシスタントで20歳なりの給料しかもらえずに、
あれこれ苦労しているという話をしていたので、
1,000円を稼ぐのがどれだけ大変かを、
分かったろうに、
それであの態度じゃあその経験も報われないですよ。

というデートだったんです。
昨日のエントリーにコメントいただいた皆さん、
ありがとうございます。
更なる展開もご期待に沿えずにすみません。
このエントリーをもってレスに代えます。

常々思っており、ことあるごとに人に言うのですが、
自分がその気があろうが、
思いもかけずご馳走になろうが、
人に飯を食べさせてもらっていながら、
美味しくないと言ったり、
ご馳走さまも言わずに帰るやつは、
男であろうが女であろうが、
また、すごく可愛い女の子であっても
僕は大嫌いです。

*因みに、相原久美子は自治労の存在を前面に出さない
 選挙戦を展開し、有権者を騙して勝ったヤツという
 僕の認識ですから、
 こいつは、下衆野郎(女ですが)です

05 agosto, 2007

昨日の出来事

昨日は、二十歳の女の子と花火&焼肉デートをしてきました。

01 agosto, 2007

それみたことか



相原久美子の本音です。
投票が終わってからこのVTRを流すよう
相原から注文があったらしいですよ。

民主党に投票された皆さんは、
こんなやつが民主党から出馬していることを
知ったうえで投票されたんでしょうねぇ?

社保庁は存続ってことでOK?