27 novembre, 2008

世話の焼けるヤツ

ここ数ヶ月、うちの真ん中の弟とよく顔を合わせます。
うちの真ん中の弟は、僕とは180度性格が違います。
なんというかあまり何にも考えていないようなヤツです。
その性格が良い方向に転んでいるのか、
色んな方にかわいがって貰っています。

裏が無いと言うか、計算していないようなところが
相手に警戒心を持たせないんでしょうかね?

知らないものは知らない。
年下でも抵抗無く「教えて。」とか「すごいな。」
と言える。
こんなことは分かっていてもなかなか
変なプライドが邪魔して行動には移せないものです。
うちの真ん中の弟はこの辺は当たり前のようにやりよります。

僕はうちの真ん中の弟が時々羨ましくなります。
これくらい何も考えずに生きられたら楽しいやろうなぁ、と。

まぁ、あいつはあいつで色々苦労はしているんだろうけどな。

もしかして、あいつの凄いところは影で努力しているところを
人に見せずにいつも笑って暮らしているところかもしれません。

26 novembre, 2008

15万円しました

悩んだ末、Campagnolo(カンパニョーロ)の
EURUS(ユーラス)を買うことにしました。
週末には乗ることができるんではないでしょうか。
今週末日曜日は晴れて久しぶりに
TREKさんのサンデーモーニングライドに参加できそうです。

「EURUSなら朝霧の丘も楽勝ですよ。」
と軽くプレッシャーかけられちゃいました。
ホンマに楽しみです。

このEURUSは後輪がG3スポークというスポークの組み方で、
特徴のあるカッコいいホイールです。
これは写真に撮る値打ちあるんで、
こちらにUPしたいと思います。

「カンパ ユーラス」で検索したら、
一発で出てくるんでそちらで見てもらってもいいんですけどね。

僕のORBEAにセットした画も気になるところです。

どこにでもある完成車が自分仕様になっていく様は、
見ていて面白いですし、愛着がわきますね。

今週末に乗ったらフルメンテナンスしてもらうことにしました。
もう買ってから2年経ちますので、そろそろ完全オーバーホールです。

忘年会やクリスマス、年末年始の予定などの話が
各方面でありますが、12月は時間を見つけて、
これまで以上に可能な限り自転車に乗りたいと思っています。

27日からの冬休みは毎日淡路島に行ってやろうかというくらいの
“意気込み”で毎日自転車に乗りたいです。

徹底的にCampagnolo EURUSのインプレします。

25 novembre, 2008

なんか、なんですわ

こんなはずではなかったのですが・・・
ビギナーズラックよろしく最初に足を通した
YANKOがベストマッチだったんです。
5万円そこそこの靴、これでも十分高いとは思うのですが、
これはあくまでも相対的価値観でした。
朝起きて家を出てから夜自宅に帰るまでの間に、
このYANKOよりも値の張る靴に
出会わないことはあると思います。
それくらい高い靴だと思います。

しかし、英国靴界の西の横綱Edward Greenの前では、
その“実績”もかすんでしまいそうです。
買おうとは思っていましたが、ひょんなことから
この度キャッシュにてお買い上げ、
グリーンオーナーとなってしまいました。
本当は来年春先あたりに買えたらいいなぁと思っていたのですが、
欲しい“ヤツ”がDウィズしかなくて、
“E”足の僕が履くと痛いんですね。
そこで、こんなんどう?と提案していただいた靴が
本当にぴったりで、「これ買います。」
となってしまいました。

YANKOを買ってからも色々靴を買いましたが、
どれもキレイに足が入って普通に履いていられるんだけど、
本当にぴったりなのか?と考えると、
値段ではYANKOを上回るもののフィッティングでは、
そこそこで落ち着いてしまっていました。

そんな時に、来ました西の横綱です。
待ってました千両役者!!
といった感じです。
結局は高いところに落ち着いてしまいそうです。
一日履いてみないと分かりませんが、
良いモンは高いんですね。

ホンマに、舌が肥えたというか、
足が肥えましたわ。

当たり前と言えば当たり前。
本当に大事にしようと思います。

まぁ、自分で磨いたりはしませんがね・・・

しっかり磨いてもらおうと思います。

YANKOもA.MANETTIも大事に履こうと思います。

因みにこの靴、Edward Greenの何というモデルの靴だったか、
オーナーに教えてもらいましたが、忘れました。

僕の靴に対する興味はそんなもんです。

ただ、本当に良い靴だと思うし、
靴が大好きで仕方ないという方が大勢いらっしゃることは、
理解できます。

21 novembre, 2008

週末の予定確認(自分用)

この土曜日は、仕事がらみで朝から大阪へ行きます。
それが17時頃に終了予定で、それから神戸へ帰り、
閉店までに間に合えば岩屋のNstyle Cafeさんを覗きたい。
その後、30日のウチのOB会の演奏班の演奏会の反省会のための
僕の意見の整理をします。
更にその後、大丸さんの神戸店のメンズフロアなんぞを
覗いてみようかと思っています。
何かを買うか買わないかは今のところ未定。
晩の8時過ぎ頃からいつもお世話になっている先輩のところへ
行って雑談。懸案のウチのOB会の話メインです。
ほどほどで切り上げて帰宅します。

翌日曜日はなんと、この寒空の中バーベキューを決行します。
場所は神戸市北区某所。
神戸市の施設なのですが、これがかなり良いです。
税金で運営しているからこんなことできるんやろうなぁと、
多少複雑には思いますが、
僕はその分だけ利用しているので、まぁ良しとしています。
8時20分頃に長田区の“アニキ”を迎えに我がM3で出動です。
そのまま灘方面へ行き女性2人を乗せます。
4人で新神戸トンネルを利用し現地へ。
近所の“道の駅”でシェフファミリーと合流。
そこから10分程度で現地へ。すぐに火熾し開始。
寒いので防寒はしっかりとするように全員に伝えているので、
火さえ熾せば寒さは感じないはず。

肉を焼いている頃になんと、
スペシャルゲストのパティシエが乱入予定。
そりゃあ、何か持って来てくれるでしょう~

お昼ごはんを楽しんで、(デザートまで頂いて)そばにある広場で
サッカーボールで遊びます。
運動はしているけれどもサッカーは久しぶりです。
とりあえずストレス発散のため思いっきり蹴り倒す予定。
おこちゃま達のためにも何かおもちゃを用意しなきゃあな。
晩御飯はどうしよう。みんなとどこかで食べるか。

そして、問題の月曜日。
前回淡路島一周を走破したときに、今度は平地ルートで
一周したいと思っていたので丁度24日が良いわと予定していました。
本当に一周すると厳しい山があるから、
翌日の仕事に差し支えるんですよね。
平地なら100kmくらいで、まぁ大丈夫です。
行こう行こうと楽しみにしていたのに、
今週のあたまから24日は雨の予報です。
なんだか11月に入って休日になると雨が降っているような感じです。
更に今週はローラー台にも乗っていないし、
体が気持ち悪くて仕方ないです。
基本、僕は食事の量を意識的に減らさずにやっているので、
運動しないとそれがモロに体重に出るはずです。
まだ、身に付いた感はないのですが・・・。
24日は丸一日晴天というわけにはいかないだろうから予定変更。
とりあえず、清荒神さんに行こうと思います。
昼からは家でローラーに乗ります。
つまらないけど乗らないよりはマシでしょう。

この週末3連休は、こんな感じでええねんな?

20 novembre, 2008

日本の行く末

審議時間3時間、
メディアの報道ほぼ皆無、
与党では層化公明が成立に力を注いだ国籍法改正案が
18日衆議院の本会議で可決されました。
付帯決議付きとは言え、日本が日本で無くなるかもしれない
第1歩となる記念すべき一日となりました。
我々日本人は
1941年12月8日
1945年8月6日、9日、15日
と併せて2008年11月18日
も記憶に留めておく必要があります。
まだ、これから参議院の審議があるのですが、
注視せねばなりません。

***

市町村平成の大合併以来、市名、町名などに
ひらがなが使われているケースが多いです。

埼玉県さいたま市なんか有名です。

先日、淡路島を自転車で一周したときでも、
南淡方面へ行けば、

「南あわじ市」です。

神戸から少し北へ行けば

「たつの市」です。

南あわじ市としたいのなら、南淡路市とし、
たつの市としたいのなら、龍野市とすりゃあいいんじゃないですか?

母の故郷鹿児島県でも

「南さつま市」です。

南さつま市としたいのなら南薩摩市でいいんじゃないですか?

役人どもは、
我々国民がこんな漢字も読めないほどバカだと思っているのか、
それとも、こんな漢字も読めなくしてやろうと愚民化政策として
やっているのか、
(確かにこんな漢字も読めないようなバカな国民なら
 税金も使いたい放題かも)
そこまで考えてないか・・・

ひらがなは日本の素晴らしい文化のひとつだとは思います。
まぁ、各自治体もひらがなの柔らかなイメージを狙って命名している
というのが一番妥当な考え方だと思います。

ただ、今まで淡路島だったものをたかだかその程度の理由で
“あわじ”としてしまうのには抵抗があります。

もし、ひらがな市町村に郵便を送るようなことがあれば、
ささやかな抵抗として、ひらがな部分を敢えて漢字で書いて
送ってやろうと思います。
郵便番号さえきちんと書いていれば着きますよね。

***

麻生総理大臣、
基本リスペクトしているんですがここのところもひとつです。

例の給付金の一件とか対馬に関する発言とか、
踏襲くらいサラッと読んで欲しかったなぁとか、
(これは緊張していたとかじゃなくガチで読めなかったんだろうなぁ)
順風満帆を(じゅんぷうまんぽ)と読んだりもしたとか・・・
(そう読むほうが寧ろ高度で難しいわなぁ)

まぁ、ホテルのバーのはしごなんてのは
なんもでもしてもろたら良いと思います。
民主党のバカ幹部みたいにこれ見よがしに居酒屋とか行って、
庶民・平民をメディアを使って国民にアピールしているつもりで
店員や他の客に迷惑をかけたおすよりも千倍マシです。
バカな質問をするくだらん記者なんぞは叱り飛ばしてやればいいんです。
朝日新聞なんぞは適当に遊んでやったらいいんです。

麻生 「あんた朝日新聞? 朝日は事実しか書かないんだよな」
朝日 「・・・・・・」
麻生 「皮肉ってわかってるか?」
朝日 「・・・・・・」

とか面白い遊び方を僕達に教えて欲しいです。

一々くだらん申し開きはせんでもいいです。
昔の麻生太郎に戻ってくれ!

19 novembre, 2008

そうちゃんを救う会

2代目自転車名人の鶴見辰吾さんのブログをいつも楽しみに読んでいます。

その最新エントリーに“そうちゃん募金”というものが
ありまして、拡張型心筋症で移植しか生きる方法が無い
そうちゃんの移植資金を募る募金についてのエントリーです。

鶴見さんとそうちゃんのお父さんは自転車を通じて
知り合ったとのことで、鶴見さんは他人事とは思えないと
募金活動を手伝ったり、そうちゃんを助けるために活動されています。

こういう難病を治療するためのお金は多くの人が漠然とながらも知るように
数千万~億単位の資金を要します。
そんな高額は我々普通の国民にポンと支払えるわけもなく、
しかし、愛する家族を救うために最後の手段として募金を募ります。

昔であれば助からない可能性の大きい病気が、
医療技術の進歩はもちろんですが、その治療費をインターネットを使って
世界中に助けを求めることができるようになったことは
難病を抱える本人や家族の方々にとって大きな希望だと思います。

小さい存在ですができることはやろうと思いますので、
僕も自転車を愛する鶴見さんを通じて知ることとなったそうちゃんを
救うために募金に協力させてもらいます。
僕が一生懸命働いて稼いだお金です。
僕の気持ちが詰まっています。
きっとそうちゃんが助かるための一部になると思います。

生きていれば何でもできる。
大きくなればお父さんと自転車に乗ることもできる。
一刻も早く移植手術を受けていただきたいと思います。

ものぐさの僕がめずらしく
リンクタグなどという面倒なものを使いました。
こちらをご覧の皆さん是非、下記HPをご覧ください。

『そうちゃんを救う会』

18 novembre, 2008

交通戦争

轢き逃げのニュースが多く報道されています。
むやみに車道を横切るようなことは、
このニュースに関わらずするべきではないのですが、

ニュースを観て怖いなぁと思うのは、
自転車に乗っていて引っ掛けられて、
引きずられるんじゃないか?
ということです。

道路交通法では自転車は車道を走るべき車両と
定められているので、当然車道を走るわけですが、
その車道には乗用車、トラック、バイク・・・etc
様々な車両が走っています。

歩道を走る自転車は歩行者に対して危険な乗り物なので、
できれば自転車は歩道を走らない方が良いのですが、
現実婦人用自転車や子供たちの乗る自転車が
車道を走るというのは考えにくいので、
多くの方々が歩道を安全に走行されています。

しかし、ロードバイクで高速で歩道を走るのは、
極力避けるべきでしょう。
ロードバイクはのんびりと乗る自転車とは言えません。
普通、平地で最低でも時速20km、
足のある人ならば時速40kmで走行します。
自ずと車道を走る事を選択しますよね。

そうなると車道では自転車が一番弱い立場になります。
車とケンカしても大ケガします。
車道を走る事にはかなりなれましたが、
それは自動車やトラック、バイクが安全に走行して、
サイクリストの存在を認知してくれていることに
完全に依存してのことです。

残念ですが、車道を自転車が走る事を快く思わないドライバーも
大勢いるようです。
更にこれまた残念なんですが、国道2号線を走る自転車にも、
結構お行儀が悪いヤツがいるということです。
まぁ、これは人から聞いたことで
僕が目撃したものではないのですが・・・。

そんなこんなで、この轢き逃げのニュースは、
ひとりの人間としてはもちろんですが、
サイクリスト目線でも不安な気持ちになって、
なんとも複雑な思いでみています。

とにかく車に乗る時も自転車に乗るときも安全運転しかないですね。
更には歩いている時も気をつけなければなりません。

17 novembre, 2008

物欲

昨日は午後からなんとか晴れそうということで、
やっと外で自転車に乗ることができました。
自宅を出て、小束山を抜け、伊川谷をまわって
明石駅方面へ、明石駅前から国道2号線を通って、
垂水→須磨TREKさんへ行きました。
サイコンの時速、距離表示が出ないので、
フロントのセンサーがおかしいのか?
と思って、TREKのスタッフさんに見てもらいました。
POLARと言えばこの人という方がいらっしゃって、
見てもらいますと、センサーと磁石の距離が離れていた
ので、読み取らなかったとのことでした。
言われてみれば大した事無いように思いますが、
それに気付かなかったので、
やっぱり頼りになる専門の方が近くにいらっしゃることは
ありがたいと思います。

その後はパーツ交換についてうだうだと
話す僕にお付き合いいただきまして、
ゆくゆくはある方々からは戦闘機とまで言われる
TREKの上位機種の中の上位のMadone6.9 Pro(マドン6.9プロ)
のフレームセットを買うというところまで行き着いてしまいました。

Madone6.9 Proは完成車で100万円オーバーなんですが、
フレームセットで買うと、48万円です。
そう聞くと、「おー、買えそうやなぁ。」
となってしまいます。
しかし、我々素人に良くある勘違いというか、思い違いに、
48万円のフレームセットを買ってもすぐには乗られないんだ。
というのがあります。
フレームセット販売というのはあくまでもフレームとフォークのみ
の販売で、ホイールやコンポーネントなどは別で買う。
というか、自分好みの自転車に仕上げるために、あらかじめ予定している
ものを買っておくか、フレームセットと同時に買うんですね。
超マニアなんかでは“寝かせておく”みたいに、
お酒か何かと混同してしまいそうな人もいるようですが・・・。

僕の場合は今乗っている自転車のコンポーネントが
Campagnolo(カンパニョーロ)というメーカーのVELOCE(ヴェローチェ)
という入門クラスのものを使っているのですが、
カンパニョーロの哲学(とにかく美しいこと)に
やられた僕はシマノのコンポに触れたことも無いくせに、
「とにかくコンポはカンパニョーロだ。」と思い込んでいます。

因みに、僕がカンパニョーロを使うことになったのは、
ただ、今乗っているORBEA(オルベア)の完成車についていたのが
カンパのヴェローチェだったからです。
これが本当に良かったです。
シマノだったら間違いなく
カンパニョーロに変えたいと思っていたと思います。
これはシマノが良いとか悪いとかいう問題ではなく、
その美しさを追求するという一点がたまらなくカッコいいからです。

で、話を戻しますと、そのMadone6.9 Proの48万円のフレームセットを
ゆくゆくは購入して今の自転車についているVELOCEをそれに移植して、
ホイールはTREKグループのBONTRAGER(ボントレガー)の
何とかというのを履いて僕も(戦闘機だけに)パイロットになると
いうわけです。
2台体制ですね。

元来ヨーロッパ志向の強い僕ですが、スタッフさんには
良くしていただいているし、“戦闘機”とはいかなるものか?
という好奇心もあるし、背中を押されているような感覚になる
という体験もしてみたいし、購入するといってもまだまだ先に
なりますが、ぼちぼちMadone貯金をしていきたいと思います。
当面の目標は
ホイールをEURUSに換えるになるんじゃないかなぁという感じです。

そんな話をしていると外は真っ暗になっていました。
夜の走行はあまり好きではありませんので、急いで帰路につきます。

自宅へ着くとCSで先日(と言っても10月)行われた
サイクルロードレース“ジャパンカップ”の放送がありました。

ヨーロッパのトッププロが日本にやってきて本気で走ります。
今年から最上位カテゴリーに昇格されました。
これまでも白熱したレースでしたが、
これにより更に激しさを増すと思います。

とは言え、結果は既に知っていたので軽い気持ちで観戦します。
のはずだったのですが、この栃木県のコースはアップダウンが
激しく、観ていても自分も走っている気分になり、
思わず手に力が入ります。
レース展開としては下馬評通り、イタリアの3人が最後
までもつれて、ランプレのダミアーノ・クネゴが得意のスプリントで
勝ったというものでした。

こういうレースを観ても一ライダーとして何か盗めるものはないか
という視点で観戦するようになっていると思います。

寒くなっても自転車には乗ります。

16 novembre, 2008

ステップアップ

淡路島以来、まともに走られていません。
通勤ライドがご法度となってしまったため、
週末だけしかチャンスがないのですが、
その週末もなんだかんだで日中は予定があったり
雨だったりで・・・。
今日も雨で早々にTREKさんの日曜走行会は中止です。
スタッフさんなんかは雨でも走るそうですが、
僕は、「そこまでは・・・。」
なんで、晴れている日に気持ちよく走りたいんですよね。
けど、家でローラー台と戯れているだけでは、
余計にストレスになります。
気持ち良く走るためのトレーニングと割り切ってはいるものの、
やはり“つまらん”のですよ。

今、これを書いている日曜正午過ぎは外はなんとも
微妙な空色で、路面は若干のウェットです。
午後晴れても曇りのままでもちょっと乗りに行ってこようと思います。

この雨が東へ去ると関西も最低気温は一ケタになり、
最高気温も15℃を割り込むようになるということで、
昨日TREKさんで冬用のウェアを買いました。
今日着るには暑すぎるようですが、
ちょっと着て軽く走ってみます。

冬にも自転車に乗るようになると、
いよいよ本物のローディー認定していただけるのでは?
最高の趣味を見つけました。

車体のスペックアップにも手を付けます。

TREKのスタッフさんに
「どこから手を付けたらいいですか?」
と相談しましたところ、
「ギアはVELOCEで十分ですし、
ホイールくらいいっときましょか!」
とアドバイスをいただきました。
僕も自転車雑誌を見ていて、
サドルとかホイールとか換えてみたいなぁと
思っていたので、タイムリーなアドバイスでした。

実は、小径車も欲しいなぁと思っているのですが、
両方買うのは無理なので、思案中です。

ホイールにするならば、コンポと一緒のカンパのEURUS(ユーラス)
というヤツで、

小径車ならBD-1かBROMPTON(ブロンプトン)のM3Rというモデルです。
どちらも約16万円程度です。

今のところ6対4でユーラスが優勢です。
もう少しじっくり考えてみようと思っています。

世の中の皆さんが財布の紐を締めにかかっているのにも拘らず、
なかなかの愚行だなぁと自画自賛です。

10 novembre, 2008

歴史に学ぶ

昨日のたかじんのそこまで言って委員会、
ゲストに元自衛官の惠隆之介氏を迎えて、
田母神俊雄氏の論文について議論されていました。

この方、沖縄出身なんですね。
方言の感じから、
「この人鹿児島の人かな?」
なんて思っていましたが、
調べてみると沖縄の方でした。

だからなのか、言いたいことは凄く分かる。
でも、論理的に整理して話をしないと
みんな分かってくれないよ。
と歯がゆい思いで観ていました。
緊急時の自衛隊の出動についても、
シビリアンコントロールという大前提の基で、
それでも内閣総理大臣の命令無しに、
阪神淡路大震災の時などでは、知事の要請無しに
出動しなければならない時があると思う。
ということを、「軍の暴走」と一緒にされていた
ところなどは、話を整理していけばなぁと。

「日本は侵略国家だったのか?」
に対して、
話の中にナポレオンがでてきた辺りなどは、
ナポレオンを出した意味が分からない人が多いので、
意味ないんじゃないか?と思いました。
ナポレオンはイタリア、オーストリア、エジプトやロシア
など各地へ遠征したが、誰もナポレオンを
英雄とは言えども侵略者とは言わないという意味で
出されたと思うんだけれども。

日本は侵略国家だったのか?
について、毎回そこまで言って委員会を見るたびに、
感心させられる三宅久之氏などは、
中国への侵略以外は侵略ではないという見解だそうです。

僕はそうではないと思います。
そもそも、現代国際法上の「侵略」という言葉の国際的定義付けは
1974年12月14日の国連総会決議3314によりなされています。
大東亜戦争当時は帝国主義の時代であり、
各国が領土や資源を獲得するために武力を持って他国へ侵攻することは
当時としては当然の時代でした。
各国は積極的に他国へ侵攻し、今で言うところの侵略を行い、
その国を植民地化し収奪しました。

日本も「韓国併合ニ関スル条約」に基づいて
朝鮮を併合(1910年)しました。
大陸にも侵攻しました。

しかし、その当時に侵略という概念はありませんでした。
領土や資源を他の地に求めることは当たり前のことだったのです。
弱肉強食の時代でした。
ただし、日本は朝鮮を収奪のために併合したわけではありません。
ここが更にややこしくしているところだと思います。
日本は朝鮮のインフラを整備し、学校を建設し、教育まで行った。
これを植民地化だと言えるのかどうかです。

しかし、今そんなことをするとたちまち押さえこまれます。
そんな今の時代の感覚で当時行ったことを
侵略だった。悪い事をしたと言っても、
事後法で裁くのと同じことだと思います。
当時はそんな時代だった。
そして、そんなことがあったという史実を正確に
記録するしかないと思います。

ましてや、講和条約を締結しているのにも拘らず、
当時の我が国の人々が多大な苦痛を強いられた
として、未だに謝罪と賠償を求めるなどもっての他です。

当時の列強で植民地支配について謝罪をする国などありません。
また、それを求める国もありません。

当時の列強国はナポレオンの如きヒーローだったんだ。
というのは馬鹿げているけれども、
侵略国家だったと断定することも違うと思います。
ただ、そういう歴史があった。
現代を生きる人間がそれを鑑として、
今の常識として、他国を侵略し、収奪することはいけないことだ
と分かればいいと思います。

昨日の番組では、結局田母神論文について
深く議論をしたようにはみえませんでした。
冒頭の惠氏はもっと場慣れして整理して話をされれば、
他のパネラー(田嶋陽子氏以外)と良い議論ができると思いました。

僕は、氏の言いたいことは分かります。

03 novembre, 2008

淡路島一周


実行してきました。
11月1日(土)午前7時に家を出て、先は長いので軽めのギアでクルクル足を回して、
証のフェリー乗り場へ。
7時44分に着きましたが、淡路へのフェリーは7時45分発でした。
やむなく次の便へ。
ということで、8時25分発の船に乗りました。

淡路島へは9時ジャストくらいに着きました。
島を時計回りに走ります。
早速、世界平和大観音像が見えてきました。
このころは、まだ写真を撮る余裕がありました。

この写真は灘の結構厳しい山を登った山頂付近にある立川水仙郷です。
“ナゾのパラダイス”ってなんなんでしょう?

これを撮っているとき、既に足にきていました。
水仙郷への道を誤って別の丘を越えて
一度引き返してこの峠を登って撮っています。
時間も11時であるのにも関わらず、まだ半分行っていません。
しかも、まだ峠が続きます。
焦りつつも多くのサイクリストもファインダーに納めているであろう
この不思議な看板を僕もきっちりと押さえておきました。

(淡路の)灘のきっつい峠を越えてやっと平坦路です。
ここは阿万海岸海水浴場です。
7月8月は海水浴客で賑わいます。
11月1日の今はもちろんシーズンオフです。
あちこちに蜘蛛の巣が張っていました。

ここで補給をと目に留まったのがこの車。
ここで大判焼きを買って食べました。
このおやじはハーレー・ダビッドソンが大好きだということで、
バイクの話になりました。
ハーレーを買う為に貯めたお金がとある事情で、
この屋台になったそうです。
この屋台でまたハーレー資金を貯めるそうです。
ここを出たのが13時、日の出ている間に岩屋に着くのを諦めました。

この写真は「道の駅 鳴門」の地図です。
完全に道を間違えて峠を登って鳴門岬まで来てしまいました。
途中で鳴門自動車道と平行に走る区間があったので、
「あれ?おかしいな~。」と思いながら走っていましたが、
やはり、でした。
この写真を撮っているのが14時です。
本気で夜間走行を覚悟しました。
知らない土地の車道を夜走るのは嫌なんですよね~。

この写真はやっと島の西海岸へ出たところです。
嬉しくなって1枚撮りました。
西海岸へ出るとやっと半分来たなという気になりました。
松が美しいですね。
ここからほとんど平坦です。
アベレージ時速30㎞を目指して走りたいところです。

この写真を見ればどのあたりにいるか分かりますよね。
疲れて、尻も痛くてどうしようもないのですが、
だからといって電車で帰るわけにもいかず、
無理からやる気を出さざるを得ないの図です。

16時前に撮った写真、有名な淡路サンセットラインです。
道の南の端の標識だと思うので、
この時間にして僕はまだ60㎞以上の距離を残していることになります。
あれこれ文句を言っても誰も聞いてくれないので、
ひたすら北へ向けて走ります。
本当に焦っていたので、写真はこれまで。
島の西側の形状を見てもらえれば分かるのですが、
南から北に走ると、あの先へ行けば岩屋だ。
と思ったらまだ道があって、あれと思ったらまだ道があって
といった形状で、本当に気持ちを萎えさせる形状に
島が形作られているんですよね。
まさか、そう思わせようと思って出来上がったものではないのですが、
あれには本当にやられました。
夕日の沈む播磨灘は恐らくとても綺麗だったと思います。
僕は見ていたと思います。
でも、それを綺麗だなぁと思える余裕は全くありませんでした。

自分のすぐ右をガンガン走る車、大型トラックと格闘しながら、
とにかく「岩屋、岩屋」と念仏のように唱えながら、
足を回していました。

日がある間は時速を確認しながら走っていましたが、
平地は時速30㎞は超えていました。
これで行けば何時に着くという計算がある程度できるので、
かなり当てにしながら走っていました。
僕は夏用のジャージにアームカバーとニーウォーマーだけをして
行ったので17時を回って日が沈むと寒くて仕方ありませんでした。
この辺も無計画が裏目に出たトラブルでした。

岩屋港に着いたのは日も暮れた17時45分です。
無事に岩屋に着いた時にはココ10年で一番ほっとしました。
18時10分のフェリーに乗り、なんとか無事家に着きました。
前日にトレックフラッグシップストアの店長に、
余裕があったらお店に寄ります。
などと、トチ狂った言葉を残して出発したわけですが、
足や体力がどうというよりも、寒すぎてこれ以上走れませんでした。
ストアのスタッフさん方が僕が無事帰ったか心配してくれていたので、
自宅について無事到着したことと走行データをお知らせして、
さっさと風呂に入って、飯喰って、9時過ぎには寝ました。

11月1日(土)淡路島一周走行データ
走行距離:183.3㎞
平均時速:時速22.6㎞
平均ケイデンス:76
走行時間:8時間6分26秒

トレック店長氏にデータを見ていただいて、

走行距離は自宅-自宅でこんなもんでしょう。
時速は僕の実績から考えると頑張った方ですね。
ケイデンスは「バテましたね~。」
時間は、「結構早いんじゃないですか?」
といった評価をいただきました。

今回、ホンマに辛かったですが、
更に自信がつきました。
ひとりで走ったので、風の問題など、
不利なことが多かったので、
次は集団で走ってみたいです。