25 agosto, 2008

秋対応

午後から六甲山へ小部峠がらのルートで鶴甲方面へ。
サンパティックさんでコーヒー豆だけを買って
そのまま須磨方面へ。

いつも2号線を通って帰りますが、
日曜日の午後も西へ向かう車は多いです。
日本では未だ自転車が車両であるということが
理解できないバカなドライバーが多く、
危険な幅寄せなんぞしてくる下品な車も見られます。
まぁ、車道を自転車で走ることにはもう慣れましたし、
なんぞあったらビンディングの金具でそいつの車のボディを
蹴ってやろうとも思うし、はねられたならばしっかり慰謝料・
損害賠償金が身内に入るような死に方をしてやろうと思っている
ので、対したことではありません。
また、車に喧嘩を売ろうなどという無茶なマネもしません。
ただ、自転車と他の車両が車道で
共存できればいいなぁとも思っているんですよ。

昨日は面白い体験をしました。

2号線を西へ自転車で走っていると信号待ちで新しいGTRを発見しました。
そのGTRも西へ向かっています。
信号が青になり発信
「ブフォーン!!」という排気音をあげながらそのGTRは走っていきました。
ホンマにレーシングカーみたいな音がしました。
あんな車を1,000万円以下で新車で買えるなんてえらいことやなぁと思いました。
また、自分が車に乗っていたら恐らくあの生の排気音は
聴くことができなかったと思います。
こじつけながらこれも自転車であるからだな。

更に西へ進み鷹取付近、
目の前に2台の原付が走っており、恐らくライダーはおばさん。
危険です。足を地面に擦らせながら走っています。
おばさんがよくこの乗り方をしているのを見ますが、
やめた方がいいよなと思います。
で、その原付ですが、乗り方は危険ですが、速度が上がらず、
推定時速30km程度で走っています。
これいいわと思い、ちょっと離れて風よけのために後ろにつきました。
しかし、どう考えても僕の方が速いぞと思い、暫く我慢しながら
ついていましたが、とうとう痺れをきらした僕は、

自転車で原付を右側から追い越しました。

直ぐに抜き返されるのもけったくそ悪いから、
力を緩めずに須磨水族園まで全速力です。
なんとか抜き返されずに水族園前に着きました。
訳の分からん意地を張ったがために肩で息する羽目になりました。

疲れを取るためにちょうど目の前にある
トレックフラッグシップストア神戸さんへ立ち寄りました。
僕は毎週日曜日時間が取れたらここの走行会に参加します。
2階に上がって店長氏と雑談。
シューズをSIDIに変えようと思っているのでその相談と、
キチンとしたポジションを出してもらうことをお願いしました。

来週にもやってみようということになりました。

9月の尻尾が見えてきたこの頃は夕方になると、
涼しくなりいよいよサイクリングにもってこいの気候です。
ただ、日が沈むのも同時に速くなりました。

トレックさんをでたら太陽はもう半分西の景色に隠れていました。
国道2号線の須磨浦公園前の道はこの時期のこの時間は最高に良いです。
左手を見れば須磨の海で正面にゆるい西日、右手を見れば松林です。
これからの季節はもっと自転車に乗ることになるでしょう。

さて、もっと体が絞れてきますよ。
と下世話な事も頭に浮かべつつ家路へ急ぎました。

今日の走行距離は約70kmでした。

18 agosto, 2008

心構え

加川良さんというフォークシンガーが、
ご自身が作詞作曲された「教訓Ⅰ」という曲を
歌っておられるのを拝見しました。

率直な感想として、
多くの方々からの批判を覚悟のうえで申しますと、
聴きながら本当にそう思ったんで・・・

「あ~、こういう奴等が日本を腰抜け国家にしたんやな。」

でした。

「命はひとつ、人生は一回だから命を棄てたらだめだよ。
 御国のために命をすてて男になれといわれたらしりごみ
 しなさい、逃げなさい、隠れなさい
 女で結構、女の腐ったのでいいじゃないか。
 死んで神様と言われるよりも生きてバカだといわれましょう。」

といった感じの歌詞です。
作者には失礼かと思いますが、歌詞を継ぎはぎしました。
フルの歌詞を読みたい方はご自身でお調べください。
すぐに出てきます。

今でもこの歌を歌っているということは、
ご自身で作詞作曲されているということもあり、
そう考えていると受けとって良いと思います。

1971年につくられた歌ですので、ベトナム戦争なんかを
意識しているのかと思うのですが、
“御国のために命をすてて・・・”
なんていうフレーズをみると、
大東亜戦争も頭にはあるんじゃないかと思います。

御国のために命をすてるというけれども、
出征されたほとんどの方は、意識の中では
国を守るというよりも自分の家族や大事な人たちを
守るために已むに已まれず戦争に行ったというのが
大部分なんじゃないかと僕は思います。
システムとしての国家を守るために出征した人はいないと
思います。

この歌には“御国”いう言葉が2度出てきますが、そのいずれも
国家をただ単に無機質で意味の無い存在と見せかけるレトリックが
みられ、そんなものに縛られずに行きていこうよいうメッセージを
伝えるためのキーワードとなっていると思います。
国家解体は左翼連中の悲願だからな。

僕は大切な人が殺される、犯される危険な状況にある時は、
命を懸けて守ると思います。
本当にその状況になって自分の死と引き換えにその人を守る
ことができるかどうかは別にして今はそう言える。

しかし、この人はそれすら否定している。
戦争は確かに(とりわけベトナム戦争までくらいは)目に見える
殺し合いだった。
だから、今のバーチャルウォーなんかと比べて、
その悲惨さが目に見えて分かる(分かりやすい)。
だから、即戦争反対となる。
しかし、戦争はそんな単純なものではないと思う。
国家と国家のエゴがぶつかる外交においては、
話し合い決裂後には最終手段となる。
地球上の全ての国が戦争を手元に留保している。
そんな時に敵国を目前に全員が逃亡をはかると
国家はどうなるか。
間違いなく侵略され、男は殺されるか奴隷にされ、
女は犯され殺される。
これは歴史が証明している。

侵略された国の国民は生きているが死んでいる状態にされるのです。

逃げろ隠れろというのは勝手だが現実はそうもいかんだろう。
だから男である僕は平和な今の世の中だけでくらいは、
もしそのような状況になれば武器を持って戦うというのです。
反戦平和主義者にとっては命そのものが目的かもしれないが、
僕は違います。

李鵬が中国の総理の時に当時オーストラリア首相であった
ポール・キーティングに対して、
「日本日本などという国は20年後には消えてなくなる。」
と言ったとされています。
この発言の真偽はともかく、今の支那の状況をみれば
連中がそう考えているかもしれないことは大げさではありません。
チベットや東トルキスタンへの侵略・現在に至るまでの虐殺、
毒餃子・毒野菜、尖閣諸島問題などでの支那の様子をみれば
納得もできるでしょう。
いつあの国が化けるのか、日本を呑み込もうとするのか、
その時に僕は逃げるのか、隠れるのか、だまって隷従するのか、
それとも武器を持って戦うのかということです。

折りしも現在虐殺国家支那で“平和の祭典”オリンピックが
開催されていますが、このオリンピックやワールドカップなどが、
“俗に言う代理戦争”というやつで、各国の選手達は国の威信をかけて、
戦い、またそれぞれの国民は国旗を掲げ選手を応援する。
金メダルの選手は万感の思い出自国の国家を聴くのです。

戦争など誰だってしたくないし、させたくない。
しかし、その手段を永久に放棄することなど、
世界常識からは全くかけ離れていることです。

ただ、加川良さんがそこまで深く考えて、
奴隷だっていいじゃないか、
命を大切にしようよと歌ったかどうかはしりませんがね。

*「代理戦争」とは本来の意味としてベトナム戦争のように、
 小国を介して大国同士が間接的(武器供与など)に
 関わる戦争のことを言うようです。

12 agosto, 2008

普通の考え方だと思います

僕の場合は、まず出発点として祖父母の世代の方々だって、
僕と同じ日本人だろうというところから始めます。

祖父達は戦争がしたくて人を殺したくて体が疼いて仕方のない人だったのか、
祖母達も、そんな祖父が好きで一緒になったのか、
同世代の方々もそのような方ばかりだったのか、
政権の中枢にいた方は祖父母達とは全く異質の方々だったのか?

僕と同じ日本人だと考えると上記はおかしいよなとなります。

そこをスタートに第1次からの資料検討となるんだろうと思います。

そうして資料検討をすると、本を読むと、原典をあたった新聞記事を読むと
分かる事もあれば、分からないこともある。
後から色んな当時の資料が出てくるので、
なかなか結論付けられないとなると思います。

ですので、数ある資料の大半を検証することができない我々一般人が、
端から戦前の旧日本軍や時の政府は悪であったと決めつけて
口を極めて罵る連中の気が知れないということです。

朝鮮を併合し、支那大陸へ進出したのは何故なのか?
深く考えもせず、現代の常識だけを基準にやれ侵略だ植民地にした
と悪し様に言うのはどうなんだろうと思います。

当時の世界情勢はどうだったんでしょう?
日本はそこまで覇権主義だったんでしょうか?

僕は、今平和な現代で好きなことをして生活させてもらっている身で、
祖父母の世代の全ての方々を批判するなんてできません。
それはいわゆるA級戦犯とされた方々に対してもです。
きっと、その時々で重大な決断を迫られたり、
已むに已まれずそうせざるを得なかったんだろうと思います。
結果だけを見てあいつがどうだとか、東條は鬼だとか言うことは
簡単ですが、それは相当の自信と覚悟がなければ絶対に言えないですよ。
同じ時代を生きた人達にはそれぞれの立場で当時の政府や軍に
文句のひとつでも言いたい、或いはあいつホンマに殴ってやりたい
と思ったかもしれません。
一部の政治家が賄賂で赤紙を逃れたとか特需でぼろ儲けしたとか、
個々別々のケースで僕も「なんだよこいつ!」と思う人がいたかもしれません
が一々小さな問題で昔の日本は悪というのもナンセンスですし、
それと日本が大東亜戦争を戦わざるを得なかったこととは
直接関係はないんだろうと思います。

なんと言いますか、分からない癖に他人をボロクソに言うヤツを、
僕は軽蔑します。

「お前は一体何様のつもりじゃ!」

ということですね。

11 agosto, 2008

金メダル

内柴選手や北島選手の金メダル獲得の吉報に、
嬉しいと言いたいのですが、ダルフール虐殺、
チベットや東トルキスタンでの虐殺や、
餃子にアメリカ応援団刺殺、邦人記者拘束、
開会式での日本選手団への大ブーイングなど、
こんな前近代的な国家で平和の祭典オリンピックが
行われている事で素直に喜べないのが残念。

日本選手団、応援団の皆さんが無事帰国されることを
切に願うのみです。

本当に嬉しいんですけどね

09 agosto, 2008

残念でした

人生初の駐禁やられました。
昨晩0時頃須磨区にて。
場所柄近所の住人の通報によるものと思われます。
公道に車を駐車していたのだから、
切られるのは仕方ないとは思いますが、
場所と時間と状況を考えても、
僕が停めていた車がスムーズな交通の妨げに
なっているとはとても思えず、
通報した方(悪くないと思います)に、
逆ギレという大人気ない気持ちを抱いたりしました。

それと、近隣住民に言われるがままに、
反則ステッカーを僕の車のフロントガラスに
貼った警察官君、
分かった、きっちり1万5千円払ってやるから、
ウチの近所でもウルサイ
珍走団どもの首のひとつやふたつでも狩って、
僕に見せてくれよ。
そうすれば交通警察官諸君も、
地域住民の為に、奉仕してるんだなと思い、
我がの身勝手な振る舞い(路上駐車)を恥じ、
反省の念も併せてお振込みさせてもらうよ。

とりあえず現場から、珍走団検挙の為に、

・体当たりで珍走をとめることの許可
・止むを得ず発砲の“止むを得ず”のレベルを下げること
・追跡による2次的事故の度に追跡に
 「追跡に行き過ぎは無かった」と一々コメントしなくてよいこと

などを上にあげてみてはどうですか?
その他にも色々とやってくれよ。
今みたいにカメラでずーっと追い続けて、
後から特定して検挙とかみたいな、
ぬるい捜査なんかしてたらいつまでたっても
珍走団なんてなくならないよ。

ウチはナーバスになるほど珍走団の実害はないけれども、
「お~やっとるな。」
みたいな感じで大通りとかを走っているのは分かります。
実害はないけれども、あいつらの存在は不愉快です。

だから、たまにテレビなどで昔珍走団のトップやった
とかいって意味不明な自慢をするヤツ、

織田裕二 とか 宇梶剛士 とか

ヤンキーあがりだったとかいうことを“凄いだろ?”みたいに
自慢していないように自慢する芸能人とかって大嫌いだ。

お前等は社会に散々迷惑をかけてきたんだから、
死ぬまで世間様に頭を下げて生きていけ・・・とまでは言わないが、
そんなくだらない過去を出しに金儲けすることが、
いかに浅ましいかくらいは足りない頭であっても考えろよ。
と言いたい。

まぁ、今まで注意して出来るだけ有料駐車場に車を停めてきた
とは言え、今回の駐禁は免れようの無い事実なので、
しっかり反則金は払いましょう。

それと、とりあえず色んな人に話して、笑ってもらって、
1万5千円分楽しんでもらえたら諦めもつくかな。
ココに書いて10人くらいの方に見てもらったら、
あと5人に笑ってもらって忘れよう。

04 agosto, 2008

執着するには訳がある

僕が所属する母校OB会の吹奏楽団が動き出しました。
ここ半年のすったもんだの末にほとんど無理から推し進められた
設立でしたが、何とか多くのOBと協力して継続していけそうです。
ただし、課題は多いです。
システムの問題であれば何も心配ないのですが、
人の心が関係する問題はやっかいです。

あの人がいるから私は不参加です。
とか
自分の思い通りに行かないから不参加です。
とか

エエ大人が何を言うとるんや。
と憤慨するわけです。
↑のようなことを言うヤツがこのブログをみていたりします。

*お互い大人になりましょうね

ただ、その一方で二十数年程度の歴史ではあるものの400人からの
OBの中から僕(一応OB会会長です)の知らない、
これまでOB会で関わりを持つ事が無かったOBが、
参加してくれたり全OBに吹奏楽団への参加を呼びかけて良かったと
思えることもありました。

兵庫県、とりわけ神戸市は全国でも屈指の吹奏楽都市です。
コンクールでもハイレベルな演奏を多く聴けるエリアです。
ただ、そんな地域の高校のOB吹奏楽団であっても、
一握りの歴史ある高校を除いては、
あまり上手に運営できていないのが現状です。
高校も卒業し、それぞれの進路で新たな出会いが当然あるんですね。
3年間全力を注いだ部活動で、卒業後も気になる存在ではあるのですが、
急に開けた目前の新しい経験に夢中になると、霞んでしまうんでしょうね。
ですから、各OB吹奏楽団はその運営に窮するわけですね。
OB吹奏楽団で演奏するぞ!と旗を揚げても、
メンバーが揃わなければそれもままなりません。
そうこうする内にメンバー内でもそれぞれモチベーションを維持できなくて、
自然に消えてなくなるというのがパターンです。

僕はそうならないように色々手を打ちました。
ざっと周辺地域で機能できているなと思われる団体は2つです。
ウチは創部二十数年でそこに肩を並べたいと思います。

吹奏楽団では僕が先頭に何かをするわけではありません。
長く継続できる団体を目指したいので、
現団長氏にリーダーシップを発揮してもらうため、
あれこれ口出しするのを止めることにしました。
これで尻すぼみみたいなことになるのであれば、
ウチの吹奏楽団はそんな運命だったんだと諦めるしかありません。
そうならないよう、団長はじめ役員諸氏には頑張ってもらいたいです。
もちろん僕も出来ることは何でもするんです。
いや、もうしているんですね。