18 agosto, 2008

心構え

加川良さんというフォークシンガーが、
ご自身が作詞作曲された「教訓Ⅰ」という曲を
歌っておられるのを拝見しました。

率直な感想として、
多くの方々からの批判を覚悟のうえで申しますと、
聴きながら本当にそう思ったんで・・・

「あ~、こういう奴等が日本を腰抜け国家にしたんやな。」

でした。

「命はひとつ、人生は一回だから命を棄てたらだめだよ。
 御国のために命をすてて男になれといわれたらしりごみ
 しなさい、逃げなさい、隠れなさい
 女で結構、女の腐ったのでいいじゃないか。
 死んで神様と言われるよりも生きてバカだといわれましょう。」

といった感じの歌詞です。
作者には失礼かと思いますが、歌詞を継ぎはぎしました。
フルの歌詞を読みたい方はご自身でお調べください。
すぐに出てきます。

今でもこの歌を歌っているということは、
ご自身で作詞作曲されているということもあり、
そう考えていると受けとって良いと思います。

1971年につくられた歌ですので、ベトナム戦争なんかを
意識しているのかと思うのですが、
“御国のために命をすてて・・・”
なんていうフレーズをみると、
大東亜戦争も頭にはあるんじゃないかと思います。

御国のために命をすてるというけれども、
出征されたほとんどの方は、意識の中では
国を守るというよりも自分の家族や大事な人たちを
守るために已むに已まれず戦争に行ったというのが
大部分なんじゃないかと僕は思います。
システムとしての国家を守るために出征した人はいないと
思います。

この歌には“御国”いう言葉が2度出てきますが、そのいずれも
国家をただ単に無機質で意味の無い存在と見せかけるレトリックが
みられ、そんなものに縛られずに行きていこうよいうメッセージを
伝えるためのキーワードとなっていると思います。
国家解体は左翼連中の悲願だからな。

僕は大切な人が殺される、犯される危険な状況にある時は、
命を懸けて守ると思います。
本当にその状況になって自分の死と引き換えにその人を守る
ことができるかどうかは別にして今はそう言える。

しかし、この人はそれすら否定している。
戦争は確かに(とりわけベトナム戦争までくらいは)目に見える
殺し合いだった。
だから、今のバーチャルウォーなんかと比べて、
その悲惨さが目に見えて分かる(分かりやすい)。
だから、即戦争反対となる。
しかし、戦争はそんな単純なものではないと思う。
国家と国家のエゴがぶつかる外交においては、
話し合い決裂後には最終手段となる。
地球上の全ての国が戦争を手元に留保している。
そんな時に敵国を目前に全員が逃亡をはかると
国家はどうなるか。
間違いなく侵略され、男は殺されるか奴隷にされ、
女は犯され殺される。
これは歴史が証明している。

侵略された国の国民は生きているが死んでいる状態にされるのです。

逃げろ隠れろというのは勝手だが現実はそうもいかんだろう。
だから男である僕は平和な今の世の中だけでくらいは、
もしそのような状況になれば武器を持って戦うというのです。
反戦平和主義者にとっては命そのものが目的かもしれないが、
僕は違います。

李鵬が中国の総理の時に当時オーストラリア首相であった
ポール・キーティングに対して、
「日本日本などという国は20年後には消えてなくなる。」
と言ったとされています。
この発言の真偽はともかく、今の支那の状況をみれば
連中がそう考えているかもしれないことは大げさではありません。
チベットや東トルキスタンへの侵略・現在に至るまでの虐殺、
毒餃子・毒野菜、尖閣諸島問題などでの支那の様子をみれば
納得もできるでしょう。
いつあの国が化けるのか、日本を呑み込もうとするのか、
その時に僕は逃げるのか、隠れるのか、だまって隷従するのか、
それとも武器を持って戦うのかということです。

折りしも現在虐殺国家支那で“平和の祭典”オリンピックが
開催されていますが、このオリンピックやワールドカップなどが、
“俗に言う代理戦争”というやつで、各国の選手達は国の威信をかけて、
戦い、またそれぞれの国民は国旗を掲げ選手を応援する。
金メダルの選手は万感の思い出自国の国家を聴くのです。

戦争など誰だってしたくないし、させたくない。
しかし、その手段を永久に放棄することなど、
世界常識からは全くかけ離れていることです。

ただ、加川良さんがそこまで深く考えて、
奴隷だっていいじゃないか、
命を大切にしようよと歌ったかどうかはしりませんがね。

*「代理戦争」とは本来の意味としてベトナム戦争のように、
 小国を介して大国同士が間接的(武器供与など)に
 関わる戦争のことを言うようです。

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