07 febbraio, 2011

これからに期待

ついに禁じ手…神戸空港5年、搭乗者最低また更新 小型機ばかり埋立地も売れず

 我々が反対したからといって沖はどんどん埋め立てられ、
 署名を集めたからといって相手にもしてもらえず、埋め立てられた人工島は
あれよあれよと造成され、気がついたら滑走路はでき、あっという間に開港と
なりました。

 今に思えば当時は空港建設反対の声は多く、反対運動も起こりましたが、
その動きは大きな波とならず、むしろ空港建設反対派が上手くまとまらずに失
敗し、結局建設反対を唱える議員数は2003年の選挙ではその数を減らしてい
ます。

 ざっと上記のような状況を見ると、今現在神戸空港があることによって苦しん
でいる神戸市の財政ですが、その責任は、まぁやっぱり市民にあるんだろうと
思います。

 因みに、僕は我が家(当時)の周辺環境に関する問題が起こって以降、国政
選挙においては特別な事情が無い限り(消去法で)自民党に投票し、地方選挙
では今のところは共産党に投票しています。
 これは、他党の連中は相談に行っても「まぁ、まぁ、落ち着いてくださいよ。」
的な対応だったのでしたが、共産党は僕の話をしっかり聞いてくれて、僕がわざ
わざ仕事を休んで神戸市議会の会議室で行われた我が家の周辺の環境問題
に対して真っ向から議論を向けてくれたからです。僕は傍聴席で聞いていたの
ですが、議場外からの不規則発言で退席をさせられたのですが、その後もしっ
かり話をしてくれ結果、我々の要求は受け付けてもらえなかったのですが、あの
時は共産党だけが一住民の声を聞いてくれたことは確かであり、国政について
はともかく、地方においては共産党に限るなと思ったからです。もちろんこれは、
選挙の都度公約によって投票する先は変わるのですが、今のところは変わって
いません。

 で、その空港ですが、wikiを見ると敗戦後直ぐに計画されているようで、具体的
に計画されたのは1969年です。
 ところが1972年には神戸市議会では神戸沖空港建設反対を賛成多数で可決
しています。当時の宮崎辰雄市長も空港建設反対を掲げ再選されています。と
ころがその後空港に対する認識が変わり、神戸でも神戸沖の空港誘致を推す
意見が目立つようになってきたとあります。そんな中1982年、神戸市では空港建
設反対決議の転換書が採択され、空港建設に改めて動き出します。この時も
まだ宮崎市政なんですね。宮崎市長はその考えを180度転換したことになります。

その後1995年阪神・淡路大震災が神戸市を襲いました。この時の市長は笹山幸
俊です。笹山は市の復興に神戸空港建設をリンクさせ空港が市の復興に欠かせ
ないものとして計画を止めることなく震災復興と重ねることによってむしろより一層
加速させたと思います。笹山は「市民に財政負担は一切かけない。」と名言し、埋
立地を売却することにより空港建設に係る債務を弁済できるとしていました。とこ
ろが震災前からの市債が市の財政を圧迫し、起債残高が一般会計、特別会計併
せて3兆円にまで膨らんでいました。更に各地方都市空港の経営が上手く軌道に
乗っていないこともあり、空港建設反対の意見は大きくなっていきました。

 1998年住民投票条例の直接請求を求める署名運動が展開され、有効署名は
30万7797を獲得しました。当時の神戸市の人口は140万人前後、で世帯数は約
60万世帯ですから、2件に聞いたら1件は賛成、1件は反対といった状況です。こ
んな状況で市の財政に大きく影響する事業を進めて良いものか全く疑問でした。
僕は、当然反対署名をした神戸市民のひとりでした。

【注】
 この署名は空港建設に反対することそのものに賛成するという意味の署名では
なく、空港建設の是非を住民投票で決めましょうよと神戸市に対して求める署名で
あり、この30万余人が空港建設に反対した人というわけではありません。ただ、僕
の記憶では当時は空港建設に対する反対意見の人が多く、事実上(反対の)意見
表明をする機会をつくれという意味での署名運動でした。

 ただし、この署名を受けた住民投票条例案は空港建設推進派が多数を占める議
会により否決されました。その後は反対運動も大きな動きとならず、2006年2月16日
に神戸空港は開港しました。

 その後の神戸空港の見るに無残な姿は僕が何かを言うまでもなく皆さんご存知の
とおりです。

 一昔前、但馬空港は飛行機の離発着がなく滑走路はラジコンで遊ぶためのスペー
スになっているというホンマかウソか分からんような噂を聞きましたが、神戸空港も
それに似たようなもので、ターミナルビルでファッションショーをやってみたり、なんと
かマンショーとかやってみたりと迷走中です。そんなことになってしまう空港ならば、
そのお金を震災復興に全部まわしてくれたら良かったのに、という訳だったのです。

 とは言うものの、出来てしまったものは仕方なく、あるならば使わなければならない
訳なのですが、神戸空港の立場はホントに苦しいと思います。開港当初から搭乗者
の需要予測どうりいかず直近1年の搭乗者数は予測の約69%、貨物便も目論見の
3分の1にしか届かず、肝心の空港周辺の土地売却に至っては予定の4%しか売却
できておらず苦しい経営が続いている。

 こういうことを書くと代案を出したくなるんですけど、今のところ無いですね。むしろ、
3月から【新大阪-鹿児島中央】間が新幹線で乗り換え無しで最速3時間47分、まぁ
ざっくり4時間で結ばれるとのことです。しかも飛行機よりも5,000円も安い(伊丹発)
んです。神戸空港では一時期鹿児島便が無くなっていましたが、今は1日2便飛んで
いる様です。僕は母の郷が鹿児島ですから注目したんですけど、鹿児島空港-神戸
空港間は1時間程度で着くんですけど、空港からの便を考えると、やはり新幹線を使
うと思います。といった要素を見ると、神戸空港が復活する要素って直ぐには思いつ
かないです。それこそ神戸コレクションとか別のイベントスペースとして使ってもらうし
かないんじゃないですか?神戸空港は毎年5億6千万円の赤字だそうです。島の造成
で起こした市債の返還もままならずはっきり言ってもう首が回らない状態です。

 当時の宮崎市長が「市民に財政負担は一切かけない」などと言って無理矢理再開し
たプロジェクトだけにそう簡単に税金に手を付けることもできません。しかし、空港の
発着便数がこれ以上増える目途も無く、土地売却も進まず、であるのにも関わらず
空港建設市債の返還はしなければならないといった状況ですから、市民に頭を下げ
なければならない日もそう遠くないんだろうと思います。あくまでも僕が思うことですが。

 神戸市民もそうなってしまえば仕方がないと諦めるしかないと思うのですが、しかし、
誰かに責任をとって欲しいですよね。
 ところが、張本人と思われる宮崎辰雄はどうやら平成12年に亡くなっています。じゃ
あ、笹山の左翼野郎にやらすか?と思ったけどヤツは1期4000万円×3期分の1億20
00万円の退職金を持って京都かどこかにトンズラしてやがる。
 現職の矢田はヤツはヤツで市民からの住民訴訟で連戦連敗で当然そんな金など
持っていない。矢田は既に3選目。ヤツが辞める時に空港がどうなっていて、それに
対してどのような責任を感じているか、神戸市民は見ておくべきですよ。

 と、ここまで書いておきながら、自分は明石市民であることを思い出しました。

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