16 settembre, 2008

だから人生は辛くて面白い

理想と現実と打算の中でもがいていくのが、
僕(達)の日々の生活でしょうか。

リアルに中途半端な昭和50年生まれの僕(達)が
生きる今はある人からは「まだまだ若いなぁ。」
と言われ、
またある人からは「33いうたらもうエエ年やんけ。」
と言われ、
例えばサイクルロードレースの世界ではベテランです。
政治の世界では60歳でも青二才と言われます。
いったいどっちなんだ?と
大して深刻に考えないようにしようとは思いつつ、
でも、今さら転職はないなとかリアルに考えます。
(僕が転職を考えているわけではありません)

ココと思って気合い入れて打ち込んで、
いざ蓋を開けてみたらアレ?なんか違う・・・。
という事は、まだまだたくさんあります。
仕事柄、役所へ提出する書類など多くあるのですが、
所長へ見せると赤字の訂正だらけということは日常茶飯事

何というか、分かっているようで分かっていないことが、
まだまだ多いんだということです。
ただ、三十数年は生きているということで、
ある程度思い通りになることも増えてきて、
これだけやればこれだけの成果が必ずあがる(はず)と
思い込みながらやってきたんだろうと思います。

仕事も10年そこそこはやってきているので、
大概のことは一応経験済なんですが、
プラスアルファの痒いところに手が届く的な
部分で後一押しが足りないんでしょうね。

これが、新たな事業・企画であればなお更だろうと思います。
手探りでやりつつも自分のこれまでの経験でとにかく積み上げる。
そこで、出てきた結果も本人の意図したもではない事も
あるんですよね。
ここが小説や映画のように都合よくいかない現実です。
アレ?こんなはずじゃあなかったはずなのにと疑問に思い、
場合によっては愕然とします。

諦めとか打算とかネガティブな選択もできるわけですが、
冒頭の話に戻りますとですね。

昭和50年生まれって若いんですよ、まだまだ。
サイクルロードレースの世界ではベテランですが、
引退後には自転車界に残る選手もいれば、
サラリーマンになったりバーやカフェを営業したりする選手も
いるそうです。
後者の場合、は、また別の世界で一から修行し直しとなるわけですが、
そうせざるを得ない現実があるからそうしているんだという
ことではあれども彼らのバイタリティは素直に見習いたいと思います。

まだまだ、がむしゃらにやらなければならない世代なんですね。
今はほんの少しだけ傷ついたかもしれないけれど、
我を振り返り、次の新たな成功のために力を蓄える。
今すぐに何かの結論を求める必要はないでしょう。
僕(達)は、まだまだ失敗しなければならないんだろうと思います。
じい様やばあ様達からは
「お前等は、まだまだ苦労が足らんよ。」
と言われるんだろうと思います。

当時と比べても好きなことをできる今の世の中です。
我がの手でわざわざ選択肢を減らし、
可能性の芽を摘むこともなかろうと思います。
「そんな興味深いものがあるなら俺もひとつ交ぜてくれよ。」
という人もいるかもしれない。
思わぬ方面から橋渡しがあるかもしれない。

日本人男子のの平均年齢からみてもまだ半分にも達していない
昭和50年生まれの我々です。
まだまだ何でもできますよ。

こんな駄文だって書けるんです。

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