19 novembre, 2006

神への冒涜

代理出産(借り腹)について、サンデープロジェクトでやっていました。
賛成の医師と反対の医師と民主党の枝野議員と蓮舫議員が
討論していました。
不妊治療をしている人が46万人いらっしゃるそうです。

親による虐待により子が死亡するというニュースを
苦々しく見る日が多かったので、これはこれで
興味を持って見ました。

賛成する側は親、とりわけ妻の苦悩を取り去ること
などを最大のメリットに上げ議論していました。

反対の医師は、生命倫理、危険性、出産後のトラブル、
商用に対する倫理などを上げ議論していました。

番組では、枝野議員と蓮舫議員は分からない、
難しすぎると言って結論は述べていませんでした。
まず、法制化すべきとのことです。

なんとも、難しいなと思いながら見ていましたが、
高田延彦さんと向井亜紀さんの代理母の一件のとき
にも話題にのぼりましたが、現行法ではやはり無理、
要するに養子縁組するしか方法はないのでしょう。

そんなことよりも、まず代理出産医療そのものの
倫理性が問われなければならないと思います。

50歳代後半の女性(母)が不妊に悩む娘に代わり
子どもを出産、
つまり「祖母」が「孫」を産んだということになる。

これ、どうですか?
いくら不妊に悩むからといってもこれじゃあ、
むちゃくちゃですよ。
受精卵は夫婦のもので、母体はその母で、出産は
その母がする。

人間が神の領域に土足で踏み込んだとしか思えません。
不妊で悩むご夫婦の心情は察するに余りあると思います。
しかし、子供ができないこともこれはこれで運命と
悟らなければならないのではないでしょうか?
人生なんて自分の思い通りにならないことが大半で、
それらに一つ一つ対応してやっていくことが大事だと思います。

医学的には確かに代理出産や受精卵の凍結により本人の死後に
その子が誰かの母体により出産されることも可能かもしれません。
しかし、人間は余りにも驕り高ぶりすぎていると思います。
人の生き死に余りにも関与しすぎています。

医療技術の進歩に我々は助けられ、亡くなるはずだった命が、
助かったことなど数知れません。
既にある命を助ける医療は法整備や医療モラルの高度化により、
適正に運用されれば良いと思いますが、
まだ存在しない命を医療技術によって如何様にもするというのには、
僕は、抵抗感を拭えません。

当たり前だと思うのですが、母が子を産むのが出産だろうと。
そこに人間が介在するのは神に対する冒涜だと思います。
まァ、別にキリスト教信者では無いのですが、
そこに踏み込むと人はいつか痛い目にあう、
取り返しのつかない事態になると思います。

里親制度や養子縁組によって、望まれずに
生まれてこざるを得なかった
子供たちにその愛情を注ぐことも
立派な子育てだとも思います。


これは、そんな悩みに苦しんだことの無い僕のたわごとですが・・・

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