06 novembre, 2006

核の無い世界

湯川秀樹、日本で最初にノーベル賞を受賞した物理学者です。
詳細は各所で調べることができるのでこちらで敢えて書きません。

今日、某公共放送で湯川秀樹と核廃絶について特集していました。
僕は、漠然と中間子論
(この中間子とやらの意味は良く分かりません)
の湯川秀樹としか知りませんでしたが、
核廃絶運動の中心的人物だったそうです。
中川昭一の核議論発言があり、
来年は湯川秀樹生誕100周年を迎えるとのことで
この特集を組んだのでしょう。

湯川秀樹は核廃絶を唯一の被爆国日本の物理学者として
死ぬまで唱えてきたのですが、
今日の世界情勢はその思いとは裏腹に、
あちこちで核開発競争が行われています。

保有国はその数を削減することなく、
また非保有国は抑止力を期待して開発にまい進する。
そんな世界情勢の中で日本は唯一の被爆国として、
NPT締約国としてどう立ち居振舞えば良いのか?

湯川秀樹は世界連邦を提唱していたとあります。
世界の国々が核を始めとする全ての兵器を廃棄し、
良好な関係を築いていくことだそうです。
「世界連邦」で検索するとなんとも香ばしい
左翼臭のするサイトしかでてきません。
湯川秀樹がどのような思想の持ち主だったかはしりませんが、
そのような左翼的な生ぬるい思いで唱えていたとは
考えたくありません。
世界を一つの国家にできるわけなどありません。
むしろ、各国が領土拡大の野心を廃し、
それぞれの国がお互い尊重し、良好な関係を保ちながら、
繁栄を続けるとの考えが自然だと思います。

政治家は理想を腹に抱えながらも、現実世界を
俯瞰・直視できるリアリストでなければなりません。
しかし、学者は理想を捨ててはいけないと思います。
湯川秀樹は前立腺ガンで倒れた時に、
その闘病生活中余りにもの痛さ辛さに耐えられず
「現実世界に核の全廃を期待することはできそうにない、
 こうなれば、いっそのこと二人で死のうか。」
との主旨のことを奥様に漏らしたことがあるそうです。
しかし、その後闘病生活を続けながら最後の最後まで
世界に向けて核廃絶を訴えました。
そして、その思いは今も同志によって受け継がれています。

僕は、核議論はやるべき、とこのブログに書きましたが、
今は核兵器を持つべきではないとも書きました。
現在の世界情勢、とりわけ核実験に成功したと発表した
北朝鮮などを隣国に持つ国家としては、
核議論を封殺することなど座して死を待つことを、
世界にアピールすることだと思っています。
しかし、同時に世界から核が無くなることを諦めては
いけないのだろうともこの特集を観て思いました。
腐れ左翼に同調する気など毛頭ありませんが、
唯一の被爆国としてその恐ろしさを世界に発信できる
国は日本以外には無いのです。
日本は世界で一番原発を多く抱えているとか、
アメリカの核の傘の下で寝言を言うななどの
批判が聞こえてきそうですが、
そんな妄言などに惑わされることなく、
大声で世界に核の廃絶を訴え続けることが、
原爆で無くなった方々の思いに報いることになると思います。

湯川秀樹も参加したパグウォッシュ会議では、
核抑止力を訴える科学者が核廃絶を訴える湯川秀樹達の
意見を全く容認しなかったそうです。
そこで、湯川秀樹と朝永振一郎は事前に用意していた
被爆直後の広島の映像をノーカットで5時間分を
会議の参加者に見せたそうです。
そうしたら、その後の議論が一変し、
核廃絶宣言の署名に大多数の科学者が署名したそうです。
被爆者の映像が科学者達の心を動かしたのです。
日本が核廃絶の訴えを放棄したら、
誰が核拡散を止めるのでしょうか?

核議論を言う中川昭一もそれを良しとしない
反対派の人々も世界から争いごとが無くなればよいと
思う気持ちは同じなのだと思います。

“人類と核兵器は共存できない”

核議論はすべきとは思いますが、
核兵器は絶対悪であり、
日本人としてこれだけは絶対に譲れない線です。
ですから、この湯川秀樹の言葉にはまったくの同感です。

最後に湯川秀樹の言葉から

「一日生きることは、一歩進むことでありたい」(湯川秀樹)

Nessun commento: