07 marzo, 2012

河村市長、頑張れ!

河村名古屋市長による南京大虐殺否定発言が、
メディアで盛り上がらない。
おかしい?
今までならこの手の発言に対してはカスゴミが
「日本はかつてアジアの国々に酷いことをしてきたのに、
全く反省していない!」
「アジアの人々の心を踏みにじっている。」
などと脊髄反射的に反応していたのに・・・。

まぁ、理由は簡単です。

河村市長は検証しようと言っているんですが、
検証すれば支那が言うような大虐殺がなかったことが
分かってしまうから。

支那軍の行為、清野作戦や便衣兵の事実がバレてしまうから。

清野作戦とは、支那の軍隊が敗走する時に敵軍がその陣地の物や人を
使えなくするように焼き尽くしてしまう作戦?のこと。

便衣兵とは、通常軍人は各国軍のそれぞれ陸軍、海軍の戦闘服(軍服)を着用し、
戦闘を行うものですが、支那の軍は一般市民の平服を市民から奪い、それを
着用し、日本軍と戦いました。
ですから、日本軍が便衣兵と一般市民とを見誤り(というか分からない)結果的に
誤射し、殺してしまった事実は少なからずあると思います。

南京大虐殺が無かったという論者の根拠に、
南京大虐殺があったとされる当時の人口は20万人だった、それをどうやって30万人
殺すのか?
といって根拠とする人がいます。

それに対して、有ったとする人は無かった派のロジックは誤っている。
20万人とは南京の安全区の人口であり、南京市の人口は少なくとも50万人はいた
と無かった派の論拠を崩すものもあります。
しかし、当時の支那大陸には“統制できる国家”が存在していませんでした。
各国がそれぞれの権益を狙いやりたい放題でした。
そんな状態で、正確な国民、市民の数を把握することなど難しく、
実際に何人いて、その内何人が一般市民で、何人が軍人で、何人が便衣兵なのか
など誰にも分かるはずがありません。

復員兵の証言もあったという人、無かったという人、自分がやったと言う人様々です。
なぜこうも証言がバラバラなのかについては、それぞれ派兵された場所も違うし、
期間も違いますし、
戦後ソ連から引き渡された日本の戦犯が撫順戦犯管理所で認罪運動(要するに洗脳)を
課されたと言われています。
その方々が日本へ帰国した後に結成したのが中国帰還者連絡会です。
彼等は部順に収容されている間に支那に洗脳され、反戦平和、日中友好と反日本軍を
唱えるようになったそうです。当然南京大虐殺もあったし、自分がやったと証言しています。


しかし、、そんな30万人の大虐殺が行われた南京市、現在は開発され、鉄道、地下鉄、
港湾が整備された人口700万人を超える大都市となっています。
となると、当然開発時には土地を掘り返します。旧日本軍が殺した市民の遺骨が、
30万人分出てくるはずなのですが、そんな話聞いたことありません。

30万人大虐殺を世界に声高に唱える支那ですから、こんなものが出てきたら、当然
各国メディアを呼び、世界に報道させるはずです。
しかし、そんな遺骨は出てきません。




***

僕自身は学者・研究者ではないので、詳しく調べたり、取材などして、研究などできない
のですが、
手にすることのできる書物等と自分の祖父母、親戚の人間性、日本人の国民性
と旧軍の軍隊規範・規律から、
日本が日本軍として、一般市民をも巻き込んで大虐殺を行ったとは絶対に考えられません。
南京陥落後の写真などもありますが、とても30万人を殺した後の写真とは思えないくらいに
穏やかな様子が写っています。

そして、大虐殺があったか無かったかは別にして、極東軍事裁判(東京裁判)で、
当時の南京の責任者であった松井石根陸軍大将が“南京事件”の責任をとって、
絞首刑に処せられています。

因みにその松井石根大将は「日中友好論者」で、支那事変の日支双方の戦死者を
供養するために興亜観音を建立したほどの方でした。



河村市長には是非とも持論を曲げずに、ぜひ検証まで持っていっていただきたいです。

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