14 marzo, 2012

我等の自衛隊

金曜プレステージ『自衛隊だけが撮った0311-そこにある命を救いたい-』

を昨晩観ました。

自衛隊が残した記録だけで作られた番組です。

ひと言、自衛隊の隊員の方々に本当に頭が下がります。

自衛官の皆さんは
「自分たちが最後の砦」
「自分たちが守ることができなければこの国はつぶれる」
という思いで、救助活動や捜索活動、また原発対応ににあたられました。

被災者には温かい食事や風呂を提供し、
自分たちは冷たいごはんに缶詰、風呂はおろかシャワーを浴びることも
暫くの間はできなかったそうです。

自衛隊が昼夜を問わず活動し、
発災から昨年8月31日の災害派遣終結命令まで


活動内容(派遣規模:延べ人員約1,058万人)

・人命救助:19,286名 ・ご遺体収容: 9,505体
・物資輸送:13,906t ・給水支援:32,985t
・給食支援:5,005,484食 ・入浴支援:1,092,526名

航空機による情報収集、被災者の捜索及び救助、消火活動、
人員及び物資輸送、給食支援、給水支援、入浴支援、医療支援、
道路啓開、瓦礫除去、防疫支援、
ヘリコプター映像伝送による官邸及び報道機関等への情報提供、
自衛隊施設(防衛大学校)における避難民受け入れ、慰問演奏、
政府調査団等の輸送支援
(防衛省ホームページより)

だそうです。

助けられた方々も助けてくれた自衛官の方を忘れないように、
カレンダーの3月11日の日付のところに自衛官の方のご氏名を記入されていました。

吉田茂は昭和32年3月26日 防衛大学校 第1期学生 卒業式の訓示で

***


君達は自衛隊在職中、決して国民から感謝されたり、歓迎されることなく、
自衛隊を終わるかもしれない。きっと非難とか誹謗ばかりの一生かもしれない。
御苦労だと思う。
しかし、自衛隊が国民から歓迎されちやほやされる事態とは、外国から攻撃されて
国家存亡の時とか、災害派遣の時とか、国民が困窮し国家が混乱に直面している時だけなのだ。
言葉を換えれば、君達が日陰者である時の方が、国民や日本は幸せなのだ。
どうか、耐えてもらいたい。
一生御苦労なことだと思うが、 国家のために忍び堪え頑張ってもらいたい。
自衛隊の将来は君達の双肩にかかっている。 しっかり頼むよ。

***

と卒業生に送っています。

確かに、自衛隊の任務は国防であり、災害派遣はあくまでもプラスワンの仕事です。



しかし、時代は変わりました。
生身の人間がドンパチやる戦争はもう時代遅れで、
戦争を回避するために軍事力が存在している現代です。

地震大国日本では、自衛隊に要求される災害派遣におけるその能力は、
戦争時における戦闘力同様、高いものが要求される時代になりました。

今回の震災で東北の部隊は、被災地となり、松島基地も多賀城基地も
一時使用不能となりました。

しかし、隊員達は持てる力ですぐさま救助活動や捜索活動にあたられました。

隊員達は連日休憩もそこそこに朝から晩まで活動されたとのことです。
原発の収束にあたられた特殊部隊も線量の高いところへ行くのに、
「俺にやらせてください。」
と多くの隊員が名乗り出られ、指揮高く活動にあたられたそうです。

防大創設時とは変わりました。
自衛官は我々の想像を遥かに超えて被災地の皆さんのために活躍されました。
活躍しているとは言え、そこに笑顔はありません。
国難の時ですから。

でも、自衛隊の皆さんに最大の賛辞を送りたいです。
自衛官の皆さん、ホンマにありがとう。

誇りに思います。
日本の最後の砦、我等が自衛隊を。

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