05 aprile, 2008

勇気ある表明

今朝のぶったま!(関西テレビ)の青山繁晴氏のコーナーで、
書写山 圓教寺の大樹玄承執事長と、金子峻祐執事が生出演され
チベットでの支那による虐殺について勇気ある意思表明をされました。
執事長らはこれにより仏教界から抗議を受ける可能性があるとのことです。
以下、その表明をテキスト化したものです。

番組内で青山繁晴氏が
「どうぞこの中身をインターネットで書き込んでください。」
とおっしゃっていたので、ここで皆さんに見ていただこうと思います。

***

 今、私たち日本の仏教者の真価が問われています。
 チベットでの中国の武力行動によって、宗教の自由
が失われることに心から悲しみと、止むに止まれぬ抗議
を表明せずにはいられません。
 私たちはあくまでも宗教者、仏教者として、僧侶を
はじめとするチベット人の苦しみを、もはや黙って見過ご
すことができません。
 チベット仏教の宗教的伝統を、チベット人の自由な意思で
守るということが、大切な基本です。
 皆さんは、日本の全国のお坊さんがどうしているのかと
お思いでしょう。
 日本の各宗派、教団は日中国交回復のあと、中国各地で
ご縁のある寺院の復興に力を注いできました。
 私も中国の寺院の復興に携わりました。
 しかし、中国の寺院との交流は全て北京を通さずにはできません。
 ほとんど自由はなかった。
 これからもそうだと、全国のほとんどの僧侶は知っています。
 そして、日本の仏教教団がダライ・ラマ法王と交流することを、
北京は不快に思うこともよく知られています。
 あくまでも、宗教の自由の問題こそ重大であると、私は考えています。
 しかし、チベットの事件以来、3週間以上が過ぎてなお、
日本の仏教界に目立った行動は見られません。
 中国仏教界が大切な友人であるなら、どうして何も言わない、
しないで良いのでしょうか。
 ダライ・ラマ法王を中心に仏教国としての歴史を重ねてきた
チベットが、今、なくなろうとしています。
 私たちは宗教者、仏教者として、草の根から声を挙げていか
なければなりません。
 しかし、私の所属する宗派が、中国の仏教界関係者から
抗議を受けて、私はお叱りを受ける可能性が高いでしょう。
 このように申し上げるのは、私たちと行動を共にしましょう
ということではないのです。
 それぞれのご住職、檀信徒の皆さんが、これをきっかけに
自ら考えていただきたいのです。
 オリンピックにあわせて、中国の交流のある寺院に参拝予定の
僧侶もいらっしゃるでしょう。
 この情勢の中、中国でどんなお話をされるのでしょう。
 もしも宗教者として毅然とした態度で臨めないならば、
私たちはこれから、信者さん、檀家さんにどのようなことを
説いていけるのでしょうか。
 私たちにとってこれが宗教者、仏教者であるための最後の
機会かもしれません。

書写山 圓教寺 執事長 大樹 玄承 
平成20年4月5日

***

極めて真っ当な主張であり、これにより抗議を受ける可能性がある
とのことで、日本の仏教関係者等とはいかなる連中かと不思議に思います。
この主張の要旨を端的に言うと、
「信教の自由は守られるべき」
のみであると思います。
もちろん執事長は一連の報道を見て虐殺行為に対する憤りを感じておられる
ことは容易に推測できると思います。
同じ仏教徒であるチベットの僧侶達が共産党から迫害を受け、
虐殺されている。
本来であれば同じ仏の道を歩むものとして、
日本の仏教界は早い段階でこの現状を憂慮する表明をすべきだと思います。
ところが、日本の仏教界は何の行動もとろうとしない。
これに苛立ちを感じてやむを得ずこのような行動に出られたのだと思います。
なぜ仏教の一宗派の一僧侶がここまでしなければならないのか?
日本の仏教界が全体で抗議をし、その上でのことであれば、
まだ余裕を持って行動できたかもしれませんが、
大樹執事長らは、ただの一個人または圓教寺という寺だけで
動かざるを得なかったのです。

大樹執事長の表明文の中にもありますが、
ここで動かなかった他の僧侶達は、

これからいったいどのようにして仏の道を説いたらいいのか?

今尚、チベットやその周辺では弾圧・虐殺は続いています。
多くの僧侶が身柄を拘束されています。

***

余談になりますが、
創価学会の池田大作は支那共のコキントウが5月に来日した際に、
会談する予定だそうです。
チベットでの支那共の蛮行を非難でもしてくれればいいのですが、
こいつには無理でしょう。
創価学会は仏教ではありません、1991年11月28日に日蓮正宗から
破門されています。
フランスでは国家からセクト(カルト)認定されています。

***

我々は偶然平和な日本に生まれて文化的な生活を送ることができています。
その恩恵に授かっている僕が他の人間にあれしろ、これしろなんて
言えませんが、世界がチベットに目を向けることによって少しでも情勢が変わる
可能性があるなら、
「皆さん!今、チベットに目を向けてください!」
と声を上げても罰はあたらんのではないかと思います。

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