03 luglio, 2008

成長するということ

フィレツェの大聖堂への落書きの件、
ほとんどの良識ある日本人であれば、
彼等の行動は理解できないのですが、
「なぜ落書きしたらいけないのか?」
と困ったことをいう奴等もいます。
彼等には何と答えたらいいでしょうね?

二十歳もとうに過ぎたいい大人がこんな
ことを問うようであればそんな大人とは
付き合わない方がいいだろうし、
そんな奴は器物損壊でお縄頂戴でチャンチャン
だと思うのですが、
ペンや鉛筆を手にし、それで文字や絵がかける
と初めて分かった子供達に、
「こら、ダメでしょ!」
と注意しなければならないことがあると思うのですが、
「なんで?」
と聞かれて、どう答えましょう。
「ダメなものはダメ!」
と答えるのがベストだと思います。

「どうして人を殺したらいけないの?」
と尋ねられて理由を考えるのと同じようなものだと思います。
「どうして人を殺したらいけないの?」
と尋ねられたらどう答えますか?
僕は
「ダメなものはダメなんだ。
だから人を殺してはいけないんだ。」
と答えます。

子「どうして嘘をついたらいけないの?」
親「いけないものはいけないんだ。」

きっとこんな感じなんだろうと思います。
ダメなものはダメだからダメだ。
こうして大人になっていくんだと思います。

嘘がダメといったっていい大人なら誰だって
ひとつやふたつ、それ以上の嘘なんてついたことはある。
朝鮮人どものように呼吸をするがごとく嘘をつく連中は
論外だけれども、
ダメなものはダメと教えられた人であれば、
やはり後ろめたさは隠せない。
相手に「悪いなぁ。」と思いながら“仕方なく”
欺いてしまうのだと思います。
そして、気持ちの良いものではないなと
ひとり反省するのだと思います。

幼児などでも「落書きしたらダメだよ。」
と怒られるとやらなくなる。
でも、やっぱり楽しいからやってしまう。
でも落書きは悪いことだと教育されているから、
親の目を盗んでこそこそとやる。
見つかるとまた怒られる。
そのうちにやらなくなっていくんだと思う。
落書きは悪いことだと分かるし、
他にもっと興味をそそられることがいっぱいでてくる。
そうなると落書きはもう卒業なんだと思います。

評論家の三宅久之氏は子供は犬コロと一緒で人間になるための
教育が必要なんだといった趣旨のことを仰っています。
だから子供に必要以上の人権などないのだと・・・共感できます。

子供は未熟だから教育が必要で、未熟だから無限の可能性がある。
成長するのです。

で、フィレンツェの大聖堂に落書きをした連中は
ダメだと分かっていたけど
“やってしまった”のでしょうか?
それとも、
「罪悪感・・・何それ?」
みたいな感じで落書きしたのでしょうか?

そこは大事なところだと思います。

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