01 luglio, 2011

男が泣いても許される時:散文

僕は男です。
まぁ、これまでも一人称は「僕」として書いてきたから
当たり前と言えば当たり前なんですが・・・

この頃、オネエ系だとか草食男子とかいう眠たい(オトコ?)が
流行っているようだけれども、
女がキャーキャー言うのは譲るとしても、
男がそれに乗っからんが如く軽く緩い空気を自ら発する姿は、
なんともみっともないと思う。

姓同一障害とか、本当の病気などもあるようだけれども、
病名など医者が何とでも付けられるわけだし、
上記のこれらは本当の病気とはちょっと違うと思うし、
前記のそれはそのことを商売道具にしているという点では、
意地でもそれを病気などと認めたくなくなる。

日本男児たるもの!!・・・となると、敬遠気味になるのだけれども、

格好良くありたいとか、ギラギラしていたいとか、泥臭い勝ちでもいい負けたくない、
総じて男らしくありたいというのは、
全ての男が持っておかなければならない、なんと言うか矜持というか自負心であるべきだと思う。

で、表題の「男が泣いても許されると時」なんですけど、

1.生まれたとき
2.財布を落としたとき
3.柱の角に足の小指をぶつけたとき

と、小学生の時に担任の先生だったか、先生といわれる方に教えられました。

「生まれたとき」はギャアギャア泣いて生まれてこなければ、逆に
「この子大丈夫かいなぁ?」
と心配されるので、許されるどころか、尻をペンペン叩かれて強制的に泣かされる。
これは、男も女も関係あるまい。

「財布を落としたとき」は泣いても許されるというか、泣きたい気分になる。
これで本当に泣くときってもう全財産失って途方にくれたときかなぁと思うけれども、
そんなときって、きっと泣くことすら忘れて茫然自失となるだろうなぁと思う。

「柱の角に足の小指をぶつけたとき」・・・これは感情的に泣くというよりも、
痛さを紛らわすために、自然と目に涙がうかぶと言った方が正しいような気がする。
感情的に泣いているわけじゃないので、男が泣いても良いときとは言えないだろう。

三つとも僕の中では否定された。
他にもあるかもとググってみたらやはりあった。

・父親、母親を亡くしたとき
・妻を亡くしたとき
・自分より子が先に亡くなったとき

・・・・etc

どれも、ごもっともと思うが、何かおもしろないんですよね。

「お~!!なるほど」と思う説が無いものかと思ったんですけど、
ありませんでした。

で、結局そんなものどうでも良いんだと思うようになりました。

これは、男が男らしくあるためには、どう行動すべきか、どうあるべきか
考えるきっかけなんだと。

例えば、まぁ、小学生の男の子が運動場で遊んでいて、走っていてこけて、膝を擦りむいて
「ウェ~ン!」と泣いていると。
そしたら、先生がやってきて、
先生:「おい、たけし(仮名:とりあえず“たけし”としといてください)。それくらいで泣くな。
男の子やろ。男が泣いてもエエとき言うたらな・・・
な、たけしは強い子やろ?だから泣くな。」
たけし:「うん。分かった。」

みたいな感じで使われるもので、その3つなり5つの具体例は(その時は) 何でも良くて
、というか、財布落とすとか子供にはピンとこないだろうし、

「男の子は強くないとアカン、だから泣いたらアカンねんで。
お前は強い男の子やろ?」

ということを言わんが為の言い回しの都合で出てきたモノだろうという結論に至りました。

そんなこととはつゆ知らず、僕はこれを今まで無意味に覚えていて、
ふとした瞬間に思い出しては、色々悩むというか思い巡らせていたということです。

しかし、これはありがたい教えだったと思います。

男は男らしくあれとは、一般的にごく当たり前のことであって、
男には男の適正、女には女の適正があり、お互いがお互いに無い部分を補い合って、
両性が協力して社会を構成している。

それも突き詰めれば精神論的な部分になると思うけれど、
両性の根本的な文化論、サブカル論的に、自分はこうありたいと考えることは、
悪くないことというよりも、すごく良いことだと思います。

いわるゆオネエと言われる人たちが存在することは事実で、否定できないけれども、
ヨーロッパを中心に世界的に認められ、市民権を得ている事実は知っているけれども、
テレビに出てきてその汚い風貌を晒して、金を稼ぐその精神は男としてというよりも、
文明・文化社会の中の人として僕は容認できない。

日本男児は日本男児たるべきであると思う。

で、僕が思う男が泣いても良いときとは・・・

人生の目標を達成できたときだろうなぁ。
ということは、死ぬ間際で、
「なかなか楽しい人生だった。」
と言えたら、その時に出る涙はうれし涙で、
心の底から泣ける瞬間だろうと。

と、逆に、愛する人を守るために死ぬとき

ということにしておきます。

というわけで、まだまだ精進します。

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