20 giugno, 2009

臓器移植法改正について思うこと

 父は食道がんで長い間苦しみ、亡くなった。
特に年末危篤状態になり、
翌年1月に亡くなるまでは、
ずっと“眠ったような”状態でした。
それでも、母をはじめ家族は折れそうになる心を
必死で奮い立たせて父を看病しました。
今でも父はその日まで生きていたと思っています。

 さて、臓器移植法改正案A案が衆院本会議で
賛成多数で可決したそうです。
このA案とは、脳死を人の死とすることを柱とする法案です。
この脳死を人の死とするがどうしても引っかかる。

 我が父の最後はベッドで寝たまま、
およそ人として生活しているとは
とても言えないような状態でした。
しかし、確かに生きていた。
呼吸もしていれば髭も伸びて僕達が電気カミソリで
そってやる。言うまでもなく心臓は動いていて、
僕たちは生きている父に接していたのです。
 脳死患者の方もおそらく同じような状態で、
ベッドに横たわり日々を過ごしているんだろうと
思います。もちろん患者さんの家族も我々と同様に
看病しているんでしょう。

 患者達は果たして死んでいるのか?

 さすがに末期の我が父が元の生活を取り戻すことは
家族である僕でさえも無理と言わざるを得ないが、
脳死状態の人が元の生活を取り戻した例はあると聞きます。
A案はその可能性を端から遮るものです。
 
「とは言え、選択は患者や家族に委ねられているんだから」

というA案擁護の意見はありますが、
関係者会議でA案が施行されれば、医師は脳死を人の死と認め、
その後の医療の内容が変わる可能性があるとし、
明らかに現場が混乱すると明言していました。

 この臓器移植法改正の動きは、現行の同法のもとでは、
幼くして助かる可能性のある命が年齢制限などで、
見捨てられているという現状から始まったものと認識しています。
確かに、僕は鶴見辰吾氏を通じて“そうちゃん”を知り、
現行法に歯軋りをし、海外に道を求めたご家族を陰ながら見守りました。
 その海外も世界的な動きとして自国民の命はそれぞれの国で守る
がスタンダードとなりつつあり、日本人が海外で臓器移植を受けることが、
成人でも難しくなってきています。
 そこでの法改正でした。
 僕も難病に苦しむ家族がいて、臓器移植で助かるのなら、
何としてもお金を集めてそこにすがりつきます。
ただ、政府・行政は臓器移植にばかり目をやるのではなく、
人の生死についてもっと腰を据えて考えてもらいたい。
 現行法では年齢制限は遺言の遺すことのできる最少年齢である15歳を下限とし、
臓器移植をする場合に限り人の死とし、
本人の書面による提供意思表示と家族の同意が必要となっています。
 それがいきなり脳死は人の死とはあまりにも乱暴過ぎる。
臓器移植は普及されると良いと思うし、年齢制限についても無くなると
多くの難病に苦しむ子供達が助かるのだから改正は必死であると思うが、
 “脳死が人の死”には断じて賛成できません。

 僕は臓器移植法改正にあたっては、D案がより良いと思います。
 D案とは脳死の概念は現行法通りで、年齢制限は無し、
提供意思表示については、
15歳以上は現行通りで、14歳以下については家族の同意で可能で、
更に第三者機関による判定もあるということです。
 第三者機関の判定によることで幼児虐待などでの犯罪による
臓器提供事件は防げるだろうということです。

 このA案は欧米基準なんだろうけれども、僕達は日本人です。
日本人が日本人の考えで我々の国の制度をつくれば良いんです。
このA案が多くの国民の同意を得ているとはとても思えません。
衆議院の審議採決の際には福田康夫や中川秀直などが居眠りです。
こんなクソみたいな国会議員にこんな重要な法案は任せられません。
参議院での徹底した審議を期待します。

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