嘘偽りなく死ぬまで1月17日を忘れることはできません。
阪神淡路大震災から丸12年です。
僕は19歳で成人式の二日後だったこともあり、
まぁ、やっぱり大人でしたから当時の様子は
今でも良く憶えています。
地震発生の5時47分は当然自宅で寝ておりまして、
強い立て揺れに叩き起こされ急いで1階に降りました。
トラックが突っ込んだかと思ったとか隕石が落ちた
とか色々おっしゃっている方がおられましたが、
僕は寝ぼけていたこともあって、
正直なところ何がなんだか分かっていませんでした。
ご近所の方々と話をしてやっと地震のようだと分かりました。
で、そうなると高取の父方の祖父母のことが気がかりとなり、
急いで車で垂水から長田へと向かったのです。
道中の車窓の風景はそれはもう
この世のものとは思えませんでした。
須磨寺近辺の住宅は軒並み全壊で水道はあふれ、
辺りには都市ガスの嫌な臭いが立ち込めていました。
今、冷静に考えれば良くあんな中を
車で走っていたものだと思います。
道路は波打って水浸し。
遠く東方面は火災であろう煙が立ち昇っていました。
やっとのことで、祖父母宅へ着きましたが、
二人とも無事でした。
後にテレビで神戸の惨状を目の当たりにしました。
言葉になりませんね。上手く表現できません。
僕の身内は幸いにも地震の犠牲者はおりませんでしたが、
6434人の方が亡くなられたんですね。
更に「東遊園地の竹灯籠(とうろう)のろうそくは6610本。
震災による心労や病気が遠因となって亡くなった人を
犠牲者に加えた数で、昨年より15本増えた。」
そうです。
今尚地震の後遺症に悩む方や一人暮らしのお年寄りが
いらっしゃるんだと思うと地震の恐ろしさが
一層身に染みます。
僕たちは普段あの地震のことを思い出すことは
そうないのですが、ときどきある小さな地震で
直ぐに思い出しますし、また毎年1月17日は
絶対にあの恐怖の一瞬がよみがえります。
下から蹴り上げられたようなあの感触が。
地震大国日本に住むものとして、
いつか必ず訪れるその日の為に、
食料などの災害備蓄は各家庭で必ず
準備しておくべきですね。
我が家には、水、各自ラジオなど
一応あります。
是非常備されることをおすすめします。
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