僕の友人が氏のブログ上で、
永住外国人への地方参政権(選挙権)付与について書かれています。
その中で非常に興味深い考察をなさっていたので、
僕もざっとですが、調べてみました。
氏は、まだ結論を述べられておりませんので、
それを待つべきか?と思いましたが、
お手紙じゃないんだからと、
氏のエントリーに触発されて
僕が氏のお考えとは別に僕の持っている理由・結論を
当ブログにおいて述べるものです。
異論・反論大歓迎、出来うる限り対応します。
当エントリーが間違っていれば削除せずに、
間違っていたと朱書きでもするつもりで書きたいと思います。
これをもって真実が分かるなら本望であります。
では、始めます。
友人氏がブログ内において「文理解釈・条理解釈」
について触れておられる部分について、
僕も法学部出で、現在も法律に深く関わる仕事をしていますので、
その見地からも一言述べることが出来ると思います。
永住外国人への地方参政権付与について
反対派が日本国憲法第15条を根拠とすることについて疑義がある
ということに関してです。
日本国憲法第15条と第30条につき、
「国民」の解釈が問題になるとのことです。
日本国憲法第15条
公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である
日本国憲法第30条
国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ
とありますが、
第15条で「国民」を日本国籍を有する者のみとするのならば、
第30条で「国民」を日本国籍を有する者とするのならば、
外国籍を有する者に対し納税をさせている日本国政府及び
各地方自治体は、憲法違反で告発されるのか?ということです。
両条文は現状からすると全く矛盾しているというのが
現時点での氏の見解のようですが、
以下は、高知大学教養学部 藤本富一氏の研究からです。
「租税法は、その効力の及ぶ地域内にあるすべての人に対して、
国籍の別、自然人・法人の別なしに適用される」
(出典:金子宏「租税法(第13版)」2008年100頁
「憲法第30条が「国民」と表現していることについて判例は、
同条が「国民の納税義務を宣言的な意味で定めたものにすぎず、
納税義務者の範囲を国民または法人に限定する趣旨を有するものではない。
納税の義務は、国民のみならず外国人や法人はもちろん人格なき社団であっても、
憲法84条に基づき法律をもってすれば負わせることができるのである」
(東京地裁昭和42年4月11日判決)
東京地裁の判例に至っては、実務判例からです。
(この判例自体を探し出すことができませんでしたことは明らかにしておきます。
よって僕はこの判例の全てを読んだものではありません。)
この東京地裁の判例によれば、
国民、法人、外国人、法人格の無い社団などの文言が出てきますが、
これをみれば明らかに「国民」は日本国籍を有する者で、
「外国人」は日本国内における外国籍を有する者と読むことが自然だと思われます。
更に氏は外国人に原則納税義務が課せられていることについて、
・国際的慣習
・技術的な問題
があるとしています。
国際的慣習についてはそれ以上述べる必要は無いと思います。
技術的な問題については、
「すなわち、とりわけ間接税においては、
外国人と自国民との納税義務を区分するのは不可能に近いと思われるのである。」
と述べられています。
消費税などについていちいち小売店で外国人だから免除してくれとなると、
大変ですからね。
ですから、第15条の「国民」は日本国籍を有する者で、第30条の「国民」も
日本国籍を有するものであり、このふたつの条文は矛盾しないものと考えられます。
よって、
日本国憲法第15条
公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である
を外国人の地方選挙権付与に反対する理由とすることは当然であると考えられます。
僕の個人的な考えでは、
日本国憲法第30条
国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ
とあるから、文理解釈すると外国人に納税を負わせる日本国政府に問題があるのでは?
ととらえることは文理解釈としては拡大解釈過ぎるというか、解釈になっていないと思います。
なぜなら、日本国は国民に納税の義務を負わせているとあるだけであって、
外国人については条文中になんら言及していないからです。
そもそも、日本国憲法は、国民の権利・自由を守るために国家権力の行為を制限する
ための法規であって、外国人に対しての権利義務に関して細々と決めるものではないからです。
当然にして外国人に対して記載が無いからといって国家が外国人に対して何をしても良いわけではなく、
また、外国人が日本国において何をしても良いわけではありません。
個別の法律で定めれば良いことです。
更に
日本国憲法第10条
日本国民たる要件は、法律でこれを定める
とあり、これを受け“日本国民たる要件を定めるために”「国籍法」が
昭和25年5月4日公布、同年7月1日施行されているわけですが、
同法において特別永住資格者も永住資格者も当然「国民」ではありません。
よって憲法上も日本国民とは日本国籍を有する者となります。
ですから、日本国憲法第15条をその根拠とすることは全く正当だと思います。
こられを見る限り外国人が地方選挙権を付与される法的正当性など微塵もありません。
与えて良いかどうかを考えることは日本国民の自由なんだろうと思いますが。
しかし、僕が外国人の地方選挙権付与に反対する理由はこれだけではありません。
やはり、
支那、朝鮮両国からやってくる連中の素行の異常な悪さに尽きます。
これ以外なんら理由はありません。
良い支那人、良い朝鮮人もいるんだろうとは思いますが、
過去の経緯を見る限り彼らに日本に於いて選挙権を与える理由は全くありません。
異様に欲しがるその態度に怪しさ以外の何も感じることはありません。
ですから、法的にも、心情的にも反対なのです。
最後に
法律の基礎知識として、条文の解釈は、
法規的解釈、有権解釈、学理解釈に大別されます。
いちいち解説すると別エントリーが必要になるので割愛しますが、
文理解釈・条理解釈は更にそれらから枝分かれした解釈方法であり、
いくつかある条文解釈の方法のひとつです。
法規的解釈、有権解釈、学理解釈の何れも当然の事ながら
法文の真の意味を明らかにするための技術であり、
法文を自分の都合の良い様に解釈するためのものではありません。
以上を踏まえた上で、
日本国憲法第15条、第30条を読んだとしても、
なんら矛盾しないものとあらためて僕は考えます。
31 marzo, 2010
26 marzo, 2010
渇望しています
僕は議論することが好きです。
思想的にはいわゆる保守なんだろうと思います。
だからいわゆる革新的思想を持っている方
(ご本人はそう思っていないかもしれません)
とは政治的な話などでは意見は全く合いません。
更にいわゆるノンポリの方とは、
話ができません。
で、僕の考えが間違っているのならば、
やはり考え方を改めなければなりません。
だから、僕と考え方が違う人の意見も知るために、
そういった方々のブログなどを見ることもあります。
わざわざお金を払って本を買おうとは思いませんが。
僕は僕の意見に反対する人の意見を渇望しているんですよ。
もっと賢くなりたい。
誰か僕を納得させてくれよ。
180度違う意見に納得してみたいんです。
で、今本当に成立するかもしれない法案について、
興味深く他者の意見を見漁っています。
永住外国人の地方参政権付与に関する法案です。
付与反対の意見は沢山ある。
自分も付与反対だからわかる。
しかし、賛成の積極的な意見が無いように思う。
あるのかもしれないが、説得力が無い。
根本は、日本国籍を持つ者は
本当に日本と運命を共にしなければならない。
外国籍を持つ(永住)外国人は日本に何かあったとしても、
帰る本国がある。
地方自治と言っても国防など国政と密接に関わりを持っている。
よって、日本国においての参政権は
日本国籍を持つ者のみに付与されている。
「外国籍でも日本を愛している。」
それは結構なことです。
だから参政権をくれと言われてもそれとこれとは話が別。
「外国人もより良い暮らしをおくれるようにして欲しい。」
納税していれば他の日本人と同様の行政サービスを受けられる。
きれいに舗装された道路も通行できるし、
きちんと保険料を支払えば、健康保険適用の医療も受けられ、
国民年金の給付も受けることができる。
参政権は納税とは全く関係ありません。
何度もここには書きますが、所得税を払っていない者にも、
1票の投票権はあります。
とりもなおさずこれは、この者が日本国籍を有するものだからです。
永住者や特別永住者なら与えても良いのではないかという意見に対しては、
これを特別永住できる権利だという言い方をされる方もいますが、
あくまでも資格です。許可制です。
断じて権利ではありません。
きつい言い方をすれば日本国が住まわせてあげているという言い方ができます。
日本人によって運営されているこの国に住まわせてあげているのです。
永住者、とりわけ特別永住者については、
戦時の強制連行などで主に朝鮮から日本に無理矢理に連れて来られた人やその子孫が
いるんだという人もいますが、
先日の外務省の発表では、
「戦時中の徴用令によって日本に渡航し、昭和34年の時点で
日本に残っていた朝鮮人は、当時登録されていた在日朝鮮人約61万人のうち
わずか245人だった」
とありますので、日本の永住者に関する制度に問題があるとは思いますが、
無理矢理つれてこられた人やその子孫であれば日本国籍ではなくとも
地方参政権を与えるべきではという意見はその根拠が弱まったと言えます。
むしろ朝鮮人に関していえば、不法入国してどさくさに紛れて
永住者登録をした者が多くいます。
代表的な人物で言えば「マルハン」の韓昌祐氏、彼は
「1945年10月21日、 日本でレンガ工をしていた実兄の招きを受けて
密航船に乗り込み、同年10月22日に日本へ密入国[1]。
来日後、すぐに日本の戦後の混乱に紛れて、
(本来は取得資格を有していなかった)特別永住者資格を取得。」
したことを自身の口で語っています。
若干話が脱線しましたが、外国人に地方参政権を与える(べき)理由が、
見当たりません。
与えても良いではないかではなくて、与えるべき理由がなければ
与えなくても良いではないかとなります。
日本には政府が取り組まなければならない事が山ほどあります。
鳩山内閣、民主党には本当に頑張ってもらわなくてはならないのです。
であるのに、それらよりもまず永住外国人の地方参政権付与に
まい進する今の政権与党には困惑します。
もし、永住外国人に地方参政権を付与すべきというなら、
そのための積極的な理由が必要だと思います。
重ねて意見表明しますが、
僕は永住外国人の地方参政権付与には絶対反対です。
日本丸の舵取りはこの国と運命を共にする日本人に任せてもらいたい。
それが例えアホ・バカの集団であっても、
それでこの船が沈没するならばそれはそれで納得せざるを得ません。
他に母艦を有し、なおかつ日本丸に乗りたいのであれば、
操縦室には入らないでもらいたい。
それが嫌なら止めはしません。
どうぞ母艦に戻るなり、他の融通を利かせてくれる船にご乗船ください。
我々はそれを譲ってまであなた方に同船に乗船くださいとは申しておりません。
思想的にはいわゆる保守なんだろうと思います。
だからいわゆる革新的思想を持っている方
(ご本人はそう思っていないかもしれません)
とは政治的な話などでは意見は全く合いません。
更にいわゆるノンポリの方とは、
話ができません。
で、僕の考えが間違っているのならば、
やはり考え方を改めなければなりません。
だから、僕と考え方が違う人の意見も知るために、
そういった方々のブログなどを見ることもあります。
わざわざお金を払って本を買おうとは思いませんが。
僕は僕の意見に反対する人の意見を渇望しているんですよ。
もっと賢くなりたい。
誰か僕を納得させてくれよ。
180度違う意見に納得してみたいんです。
で、今本当に成立するかもしれない法案について、
興味深く他者の意見を見漁っています。
永住外国人の地方参政権付与に関する法案です。
付与反対の意見は沢山ある。
自分も付与反対だからわかる。
しかし、賛成の積極的な意見が無いように思う。
あるのかもしれないが、説得力が無い。
根本は、日本国籍を持つ者は
本当に日本と運命を共にしなければならない。
外国籍を持つ(永住)外国人は日本に何かあったとしても、
帰る本国がある。
地方自治と言っても国防など国政と密接に関わりを持っている。
よって、日本国においての参政権は
日本国籍を持つ者のみに付与されている。
「外国籍でも日本を愛している。」
それは結構なことです。
だから参政権をくれと言われてもそれとこれとは話が別。
「外国人もより良い暮らしをおくれるようにして欲しい。」
納税していれば他の日本人と同様の行政サービスを受けられる。
きれいに舗装された道路も通行できるし、
きちんと保険料を支払えば、健康保険適用の医療も受けられ、
国民年金の給付も受けることができる。
参政権は納税とは全く関係ありません。
何度もここには書きますが、所得税を払っていない者にも、
1票の投票権はあります。
とりもなおさずこれは、この者が日本国籍を有するものだからです。
永住者や特別永住者なら与えても良いのではないかという意見に対しては、
これを特別永住できる権利だという言い方をされる方もいますが、
あくまでも資格です。許可制です。
断じて権利ではありません。
きつい言い方をすれば日本国が住まわせてあげているという言い方ができます。
日本人によって運営されているこの国に住まわせてあげているのです。
永住者、とりわけ特別永住者については、
戦時の強制連行などで主に朝鮮から日本に無理矢理に連れて来られた人やその子孫が
いるんだという人もいますが、
先日の外務省の発表では、
「戦時中の徴用令によって日本に渡航し、昭和34年の時点で
日本に残っていた朝鮮人は、当時登録されていた在日朝鮮人約61万人のうち
わずか245人だった」
とありますので、日本の永住者に関する制度に問題があるとは思いますが、
無理矢理つれてこられた人やその子孫であれば日本国籍ではなくとも
地方参政権を与えるべきではという意見はその根拠が弱まったと言えます。
むしろ朝鮮人に関していえば、不法入国してどさくさに紛れて
永住者登録をした者が多くいます。
代表的な人物で言えば「マルハン」の韓昌祐氏、彼は
「1945年10月21日、 日本でレンガ工をしていた実兄の招きを受けて
密航船に乗り込み、同年10月22日に日本へ密入国[1]。
来日後、すぐに日本の戦後の混乱に紛れて、
(本来は取得資格を有していなかった)特別永住者資格を取得。」
したことを自身の口で語っています。
若干話が脱線しましたが、外国人に地方参政権を与える(べき)理由が、
見当たりません。
与えても良いではないかではなくて、与えるべき理由がなければ
与えなくても良いではないかとなります。
日本には政府が取り組まなければならない事が山ほどあります。
鳩山内閣、民主党には本当に頑張ってもらわなくてはならないのです。
であるのに、それらよりもまず永住外国人の地方参政権付与に
まい進する今の政権与党には困惑します。
もし、永住外国人に地方参政権を付与すべきというなら、
そのための積極的な理由が必要だと思います。
重ねて意見表明しますが、
僕は永住外国人の地方参政権付与には絶対反対です。
日本丸の舵取りはこの国と運命を共にする日本人に任せてもらいたい。
それが例えアホ・バカの集団であっても、
それでこの船が沈没するならばそれはそれで納得せざるを得ません。
他に母艦を有し、なおかつ日本丸に乗りたいのであれば、
操縦室には入らないでもらいたい。
それが嫌なら止めはしません。
どうぞ母艦に戻るなり、他の融通を利かせてくれる船にご乗船ください。
我々はそれを譲ってまであなた方に同船に乗船くださいとは申しておりません。
22 marzo, 2010
名言
昨日は淡路島約100㎞行ってきました。
もちろん自転車で。
TREKさんのイベントで100kmだったんですが、
強風のため中止。
僕と常連の健脚の50代「K」氏とふたりで、
せっかく淡路まで渡ったんだからと行ってきました。
写真は一切有りません。
岩屋から洲本までは残り距離や強風のためスローペース、
広田交差点を西岸に向けての道は終始向かい風で速度が上がらず、
ホンマにつまらん区間となりました。
11時過ぎ慶野で早目の昼食、アナゴ丼を食べましたが、
普通以下の味でした。
ご飯だけ異様に多く、後の走行に不安を残すこととなりました。
慶野から岩屋までは、無風若しくは若干の追い風で、
平地では平均時速28~35㎞で快適に走ることができました。
久しぶりに長距離を乗ったんですが、とにかくケツが痛くて、
後半はサドルに当たるだけでも辛かった。
長い間乗っていなかった証拠ですね。
けれども良い運動ができて楽しかったです。
20日にも45km乗ったので、二日で190㎞くらい乗りました。
リハビリライドにしては荒療治でした。
しかも今日は急きょ出勤、
「耳たぶ以外全部痛い」
みたいな感じです。
もちろん自転車で。
TREKさんのイベントで100kmだったんですが、
強風のため中止。
僕と常連の健脚の50代「K」氏とふたりで、
せっかく淡路まで渡ったんだからと行ってきました。
写真は一切有りません。
岩屋から洲本までは残り距離や強風のためスローペース、
広田交差点を西岸に向けての道は終始向かい風で速度が上がらず、
ホンマにつまらん区間となりました。
11時過ぎ慶野で早目の昼食、アナゴ丼を食べましたが、
普通以下の味でした。
ご飯だけ異様に多く、後の走行に不安を残すこととなりました。
慶野から岩屋までは、無風若しくは若干の追い風で、
平地では平均時速28~35㎞で快適に走ることができました。
久しぶりに長距離を乗ったんですが、とにかくケツが痛くて、
後半はサドルに当たるだけでも辛かった。
長い間乗っていなかった証拠ですね。
けれども良い運動ができて楽しかったです。
20日にも45km乗ったので、二日で190㎞くらい乗りました。
リハビリライドにしては荒療治でした。
しかも今日は急きょ出勤、
「耳たぶ以外全部痛い」
みたいな感じです。
18 marzo, 2010
17 marzo, 2010
外国人参政権絶対反対!
13 marzo, 2010
恐怖の子ども手当
子ども手当は日本に住まない外国人の子供
(ただし親は日本在住)までも支給対象です。
ということで、
本国に子供を置いている出稼ぎ外国人労働者や
本国に子供を置いている留学生
にも支給されるわけですね。
更にそれが養子でもOKということで、
こんな方がいらっしゃいました。
+***
中国人のフリをして、地元の市役所に電話しました。
「母国の村の子供たち300人養子にしたのだが、児童手当ての手続きはどうするの?
そしたら子供手当ても貰えるんでしょ!」
と。
「ちなみに計算機ないから、ちょっと計算してください!」
と。
「いくらになるの?15年間で14億!」
そして、
「やったー大金持ちだー!
仲間の中国人も、みんな養子もらってくるって言ってるよー!」
この時点で担当者、声が震えてました。
(担当者いじめが目的ではないので、嘘である事を話し、謝罪しました)
ここからは、担当者の話。
「子供手当ての問題点は、自治体は認識している。
上級官庁にも伝えている。
担当者レベルでは、大問題だと思っている。
今日は、いつか来ると思っていた電話が来て、心臓が止まるほどびっくりした。
このことは、しっかりと対応して報告します。」
こんな感じでした。
自治体から危機感を煽りましょう。
まだ間に合います。
***
以上です。
役所の対応としては、
・書類に不備がなければ受理せざるを得ない。
・本国まで行って書類の内容が間違いないことを確認することは無理
ということで、
その書類を“信じて”子ども手当を支給するしかないそうです。
そんなん、現実にありえるの?
と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、
厚生労働省雇用均等・児童家庭局育児環境課児童手当管理室に
子ども手当について聞いてみた方がいらっしゃるとのことで、
以下ご覧ください。
【問】
母国に100人の養子を持つ人物に支給する子ども手当の年額はいくらか?
【回答】
平成22年度は1560万円
平成23年度以降は3120万円
更に更に、皆さんまだまだあるんですよ。
聞いてくださいよ~
【問】
1000人の孤児と養子縁組をしている
孤児院経営者が日本に住所を持った場合、
彼等全員に子ども手当てが支給されるのか?
【回答】
法的には
年間1億5600万円
平成23年度以降は3億1200万円
支給されるそうです。
まぁ、条件が揃えば疑うことなくそれだけ支給するということですよ。
子ども手当で一生遊んで暮らせるだけの金を騙し取ることができそうですな。
はははー、わろとけわろとけ・・・
ってアホか・・・、完全に国民をバカにしとる。
日本での養子縁組においては、
養子が未成年で直系卑属(子、孫)でない場合、
家庭裁判所の縁組許可書が必要となります。
更に、特別養子縁組になると、
養親は25歳以上で配偶者がいることや、
収入に一定の条件があるなど、
子供を守るための条件がありますが、
人治国家の支那など偽造書類を作成することなど
朝飯前、支那から大量の人民が日本へやってきて、
税金を納めている体をそれこそ偽造して、
子ども手当てを不正受給するケースが出てきそうだし、
今尚増える支那人がこれをしないなどとは言えません。
というか、奴等は必ずやる。
いよいよ、民主党による日本崩壊が現実味を増して参りました。
外国人に働かずしてぼろもうけさせるために
日々汗水垂らして働く日本人の皆さん、
お疲れした~(泣
(ただし親は日本在住)までも支給対象です。
ということで、
本国に子供を置いている出稼ぎ外国人労働者や
本国に子供を置いている留学生
にも支給されるわけですね。
更にそれが養子でもOKということで、
こんな方がいらっしゃいました。
+***
中国人のフリをして、地元の市役所に電話しました。
「母国の村の子供たち300人養子にしたのだが、児童手当ての手続きはどうするの?
そしたら子供手当ても貰えるんでしょ!」
と。
「ちなみに計算機ないから、ちょっと計算してください!」
と。
「いくらになるの?15年間で14億!」
そして、
「やったー大金持ちだー!
仲間の中国人も、みんな養子もらってくるって言ってるよー!」
この時点で担当者、声が震えてました。
(担当者いじめが目的ではないので、嘘である事を話し、謝罪しました)
ここからは、担当者の話。
「子供手当ての問題点は、自治体は認識している。
上級官庁にも伝えている。
担当者レベルでは、大問題だと思っている。
今日は、いつか来ると思っていた電話が来て、心臓が止まるほどびっくりした。
このことは、しっかりと対応して報告します。」
こんな感じでした。
自治体から危機感を煽りましょう。
まだ間に合います。
***
以上です。
役所の対応としては、
・書類に不備がなければ受理せざるを得ない。
・本国まで行って書類の内容が間違いないことを確認することは無理
ということで、
その書類を“信じて”子ども手当を支給するしかないそうです。
そんなん、現実にありえるの?
と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、
厚生労働省雇用均等・児童家庭局育児環境課児童手当管理室に
子ども手当について聞いてみた方がいらっしゃるとのことで、
以下ご覧ください。
【問】
母国に100人の養子を持つ人物に支給する子ども手当の年額はいくらか?
【回答】
平成22年度は1560万円
平成23年度以降は3120万円
更に更に、皆さんまだまだあるんですよ。
聞いてくださいよ~
【問】
1000人の孤児と養子縁組をしている
孤児院経営者が日本に住所を持った場合、
彼等全員に子ども手当てが支給されるのか?
【回答】
法的には
年間1億5600万円
平成23年度以降は3億1200万円
支給されるそうです。
まぁ、条件が揃えば疑うことなくそれだけ支給するということですよ。
子ども手当で一生遊んで暮らせるだけの金を騙し取ることができそうですな。
はははー、わろとけわろとけ・・・
ってアホか・・・、完全に国民をバカにしとる。
日本での養子縁組においては、
養子が未成年で直系卑属(子、孫)でない場合、
家庭裁判所の縁組許可書が必要となります。
更に、特別養子縁組になると、
養親は25歳以上で配偶者がいることや、
収入に一定の条件があるなど、
子供を守るための条件がありますが、
人治国家の支那など偽造書類を作成することなど
朝飯前、支那から大量の人民が日本へやってきて、
税金を納めている体をそれこそ偽造して、
子ども手当てを不正受給するケースが出てきそうだし、
今尚増える支那人がこれをしないなどとは言えません。
というか、奴等は必ずやる。
いよいよ、民主党による日本崩壊が現実味を増して参りました。
外国人に働かずしてぼろもうけさせるために
日々汗水垂らして働く日本人の皆さん、
お疲れした~(泣
12 marzo, 2010
小者首相
下の記事は毎日jpからですが、
鳩山由紀夫が税金をどれほど甘くみているかが分かります。
【鳩山首相:公邸入居費用に点検・清掃費281万円含まれず】
鳩山由紀夫首相の公邸への入居に伴う費用として政府が公表した
474万円に、点検・清掃費281万円が含まれていなかったこと
が11日、分かった。入居費は総計755万円になる。一方、過去
3代の首相の入居費として政府が公表した額(222万~382万
円)には点検・清掃費が含まれ、鳩山首相の使った額が突出して見
えないよう恣意(しい)的に公表したとの批判を浴びそうだ。
政府は2月23日、鳩山首相の入居に伴う内装補修や和室改修な
どに413万円、洗濯機の撤去・購入に61万円を支出したとの答
弁書を決定したが、首相官邸が11日に公表した資料では、これと
は別に点検・清掃費281万円が含まれていた。また、過去3代の
首相の入居費の内訳も公表され、安倍晋三元首相は改修費124万
円、清掃費98万円▽福田康夫元首相が改修費15万円、清掃費2
22万円▽麻生太郎前首相が改修費174万円、清掃費208万円
だった。
平野博文官房長官は11日の記者会見で「(鳩山首相に関する質
問主意書は)『工事代』という概念で、クリーニング清掃は含まな
い」とし、「極めて正確に答えた」と強調。「誤解を生んでいるか
もしれないが、決して隠したわけではない」と釈明した。
【田中成之】
【毎日新聞 2010年3月11日 20時06分
***
過去歴代3首相の入居費用
(当然クリーニング費用も含む総計)
鳩山首相 :755万円
麻生前首相:382万円
福田元首相:237万円
安倍元首相:222万円
です。
まぁ、この際入居費用くらい1千万円かかろうが、
2千万円かかろうがいいですよ。
日本の為に働いてくれるならね。
しかし、鳩山は日本国民の方など全く向いておらず、
その汚い目は支那・朝鮮の方のみ(後、小沢と)を見ている。
こんなヤツの為に税金から755万円も使われるのが
不愉快で仕方ない。
しかも、その費用が歴代の首相よりも突出していることが、
分かるもんだからワザと「点検・清掃費281万円」を
隠して入居費用として公表しやがった。
小さい男である。
かかったならかかったで、公表すればいいのです。
その代わり、私は日本国の為に骨身を削って働くと
頑張ればいいのです。
鳩山はそれができないもんだからこんな姑息なセコい
手法を取るしかないのです。
こんなヤツに我が国を任せられるものか、
鳩山由紀夫的に言うなら、
こんな小者を首相にいただく我々日本国民は
全宇宙的恥晒しである。
即刻首相の座を降りていただき、
ついでに国会議員も辞めるべきです。
国政はバカには用は無いんです。
死ぬまで豪遊しても尚有り余る金は持っているんだから、
好きなことをして余生を暮らせ。
ただ、行政・司法・立法等には一切手を出すな。
鳩山由紀夫が税金をどれほど甘くみているかが分かります。
【鳩山首相:公邸入居費用に点検・清掃費281万円含まれず】
鳩山由紀夫首相の公邸への入居に伴う費用として政府が公表した
474万円に、点検・清掃費281万円が含まれていなかったこと
が11日、分かった。入居費は総計755万円になる。一方、過去
3代の首相の入居費として政府が公表した額(222万~382万
円)には点検・清掃費が含まれ、鳩山首相の使った額が突出して見
えないよう恣意(しい)的に公表したとの批判を浴びそうだ。
政府は2月23日、鳩山首相の入居に伴う内装補修や和室改修な
どに413万円、洗濯機の撤去・購入に61万円を支出したとの答
弁書を決定したが、首相官邸が11日に公表した資料では、これと
は別に点検・清掃費281万円が含まれていた。また、過去3代の
首相の入居費の内訳も公表され、安倍晋三元首相は改修費124万
円、清掃費98万円▽福田康夫元首相が改修費15万円、清掃費2
22万円▽麻生太郎前首相が改修費174万円、清掃費208万円
だった。
平野博文官房長官は11日の記者会見で「(鳩山首相に関する質
問主意書は)『工事代』という概念で、クリーニング清掃は含まな
い」とし、「極めて正確に答えた」と強調。「誤解を生んでいるか
もしれないが、決して隠したわけではない」と釈明した。
【田中成之】
【毎日新聞 2010年3月11日 20時06分
***
過去歴代3首相の入居費用
(当然クリーニング費用も含む総計)
鳩山首相 :755万円
麻生前首相:382万円
福田元首相:237万円
安倍元首相:222万円
です。
まぁ、この際入居費用くらい1千万円かかろうが、
2千万円かかろうがいいですよ。
日本の為に働いてくれるならね。
しかし、鳩山は日本国民の方など全く向いておらず、
その汚い目は支那・朝鮮の方のみ(後、小沢と)を見ている。
こんなヤツの為に税金から755万円も使われるのが
不愉快で仕方ない。
しかも、その費用が歴代の首相よりも突出していることが、
分かるもんだからワザと「点検・清掃費281万円」を
隠して入居費用として公表しやがった。
小さい男である。
かかったならかかったで、公表すればいいのです。
その代わり、私は日本国の為に骨身を削って働くと
頑張ればいいのです。
鳩山はそれができないもんだからこんな姑息なセコい
手法を取るしかないのです。
こんなヤツに我が国を任せられるものか、
鳩山由紀夫的に言うなら、
こんな小者を首相にいただく我々日本国民は
全宇宙的恥晒しである。
即刻首相の座を降りていただき、
ついでに国会議員も辞めるべきです。
国政はバカには用は無いんです。
死ぬまで豪遊しても尚有り余る金は持っているんだから、
好きなことをして余生を暮らせ。
ただ、行政・司法・立法等には一切手を出すな。
10 marzo, 2010
『The Cove』
「アカデミー賞も地に落ちた。」
正にこういうことです。
以下、長いですが引用します。
-引用開始-
【3月9日 AFP】
和歌山県太地町のイルカ漁を撮った米映画
『The Cove(入り江)』が第82回アカデミー賞
(Academy Awards)の長編ドキュメンタリー賞を
受賞したことに、地元は反発している。
太地町は毎年2000匹あまりのイルカを人里離れた
入り江に追込み、水族館や海洋公園に売却するイルカを
選別し、残りのイルカを殺して食用にしており、
かねてから動物保護活動家の批判にさらされてきた。
映画『ザ・コーヴ』は、米誌「ナショナルジオグラフィック
(Louie Psihoyos)氏が監督した。『ザ・コーヴ』の撮影チームは
地元当局や漁民の目をかわすため、海中や入り江周辺の山林に隠し
カメラを設置して、頻繁に隠し撮りや夜間撮影を行い、
数年間かけて映画を撮影した。
太地町の漁民は海外メディアの取材に応じることはないが、
イルカ漁を何世紀にもわたる伝統漁だと主張する地元住民から
多くの支持を得ている。
太地町の三軒一高町長と漁民は『ザ・コーヴ』のアカデミー賞
受賞をうけて8日、「映画は科学的根拠に基づかない虚偽の事項を
事実であるかのように表現しており、遺憾に思う」との声明を発表。
さらに「太地町における鯨類追込網漁業は、漁業法に基づく和歌山県の
許可により、適法・適正に行っているものであり、何ら違法な行為ではない」
と主張した。
地元ガソリンスタンドで働く47歳の男性は「仕事でやっているのに
気の毒」と漁師らへの理解を示し、「映画は娯楽作品として作られており、
太地町の暮らしを真摯に描いていない」との不満を語った。
太地町公民館の宇佐川彰男館長も「これで、アカデミー賞の名声も地に
落ちた」と『ザ・コーヴ』の受賞に憤る。宇佐川館長は、漁民を「マフィア
のように」描いたと述べ、映画が怒る漁民たちを撮っていることについて
「仕事を邪魔されて怒るのは当たり前のことだ」と語った。
『ザ・コーヴ』では、1960年代の米人気テレビ番組『わんぱくフリッパー
(Flipper)』に登場するイルカの調教師を務めたリチャード・オバリー
(Ric O'Barry)氏と太地町住民らとの対立も描かれている。
『ザ・コーヴ』関連本の共著者で映画撮影にも関わった活動家のハンス・
ピーター・ロス(Hans Peter Roth)氏は8日、再び太地町を訪れた。
「漁民、町の経済、そしてもちろんイルカたち-皆が満足できる状況を
見出そうと戻ってきた。イルカ漁よりもイルカウォッチングツアーの方が
観光産業が促進されるだろう」。ロス氏は住民との対話を試みたが、
実現しなかったという。
イルカ漁は長年の伝統だとの太地町側の主張について、ロス氏は
「伝統文化のなかには正しくないものもある。文化についていえば、
スイスの伝統文化ではかつて、女性に参政権はなかった。しかし、
それは明らかによい伝統ではない」と否定的な見方を示し、「欧米人も
動物にひどい扱いをしている」と付け加えた。スイスで活動するロス氏
は以前、牛や豚が食肉用に殺される様子を描いた映画を撮っている。
一方、シホヨス監督はアカデミー賞の受賞スピーチで、『ザ・コーヴ』
は「日本たたきの映画ではない」と強調した上で、「日本人にも、
この映画を見てほしい。そして動物を食用や娯楽に利用することが良いこと
なのか、自分自身で判断してほしい」と語った。(c)
-引用終了-
長いので、ざっくり言うと、シー・シェパードがアカデミー賞受賞の
映画に関与していたということ、
この映画は日本の食文化を正しくとらえていないということ、
アメリカ人やオーストラリア人は事の本質が分からないバカな連中であること、
日本は伝統ある食文化をこれからも受け継いでいかなければならないこと、
この映画が長編ドキュメンタリー賞を取るんだから、
アメリカ人の考えるドキュメンタリーなんぞ、
ドキュメンタリーでは無いということ・・・・
ざっくり言えませんでした。
牛も豚も鶏もついでにカンガルーも殺すオーストラリア人に
どうこう言われたないわな。
ということで、日本はオージービーフ不買です。
アメリカ産牛は実行中でしょう。
これで国産需要が高まれば日本経済に僅かでも影響があるかもしれません。
しかしNational Geographicはめっちゃ好きやのに、残念。
正にこういうことです。
以下、長いですが引用します。
-引用開始-
【3月9日 AFP】
和歌山県太地町のイルカ漁を撮った米映画
『The Cove(入り江)』が第82回アカデミー賞
(Academy Awards)の長編ドキュメンタリー賞を
受賞したことに、地元は反発している。
太地町は毎年2000匹あまりのイルカを人里離れた
入り江に追込み、水族館や海洋公園に売却するイルカを
選別し、残りのイルカを殺して食用にしており、
かねてから動物保護活動家の批判にさらされてきた。
映画『ザ・コーヴ』は、米誌「ナショナルジオグラフィック
(Louie Psihoyos)氏が監督した。『ザ・コーヴ』の撮影チームは
地元当局や漁民の目をかわすため、海中や入り江周辺の山林に隠し
カメラを設置して、頻繁に隠し撮りや夜間撮影を行い、
数年間かけて映画を撮影した。
太地町の漁民は海外メディアの取材に応じることはないが、
イルカ漁を何世紀にもわたる伝統漁だと主張する地元住民から
多くの支持を得ている。
太地町の三軒一高町長と漁民は『ザ・コーヴ』のアカデミー賞
受賞をうけて8日、「映画は科学的根拠に基づかない虚偽の事項を
事実であるかのように表現しており、遺憾に思う」との声明を発表。
さらに「太地町における鯨類追込網漁業は、漁業法に基づく和歌山県の
許可により、適法・適正に行っているものであり、何ら違法な行為ではない」
と主張した。
地元ガソリンスタンドで働く47歳の男性は「仕事でやっているのに
気の毒」と漁師らへの理解を示し、「映画は娯楽作品として作られており、
太地町の暮らしを真摯に描いていない」との不満を語った。
太地町公民館の宇佐川彰男館長も「これで、アカデミー賞の名声も地に
落ちた」と『ザ・コーヴ』の受賞に憤る。宇佐川館長は、漁民を「マフィア
のように」描いたと述べ、映画が怒る漁民たちを撮っていることについて
「仕事を邪魔されて怒るのは当たり前のことだ」と語った。
『ザ・コーヴ』では、1960年代の米人気テレビ番組『わんぱくフリッパー
(Flipper)』に登場するイルカの調教師を務めたリチャード・オバリー
(Ric O'Barry)氏と太地町住民らとの対立も描かれている。
『ザ・コーヴ』関連本の共著者で映画撮影にも関わった活動家のハンス・
ピーター・ロス(Hans Peter Roth)氏は8日、再び太地町を訪れた。
「漁民、町の経済、そしてもちろんイルカたち-皆が満足できる状況を
見出そうと戻ってきた。イルカ漁よりもイルカウォッチングツアーの方が
観光産業が促進されるだろう」。ロス氏は住民との対話を試みたが、
実現しなかったという。
イルカ漁は長年の伝統だとの太地町側の主張について、ロス氏は
「伝統文化のなかには正しくないものもある。文化についていえば、
スイスの伝統文化ではかつて、女性に参政権はなかった。しかし、
それは明らかによい伝統ではない」と否定的な見方を示し、「欧米人も
動物にひどい扱いをしている」と付け加えた。スイスで活動するロス氏
は以前、牛や豚が食肉用に殺される様子を描いた映画を撮っている。
一方、シホヨス監督はアカデミー賞の受賞スピーチで、『ザ・コーヴ』
は「日本たたきの映画ではない」と強調した上で、「日本人にも、
この映画を見てほしい。そして動物を食用や娯楽に利用することが良いこと
なのか、自分自身で判断してほしい」と語った。(c)
-引用終了-
長いので、ざっくり言うと、シー・シェパードがアカデミー賞受賞の
映画に関与していたということ、
この映画は日本の食文化を正しくとらえていないということ、
アメリカ人やオーストラリア人は事の本質が分からないバカな連中であること、
日本は伝統ある食文化をこれからも受け継いでいかなければならないこと、
この映画が長編ドキュメンタリー賞を取るんだから、
アメリカ人の考えるドキュメンタリーなんぞ、
ドキュメンタリーでは無いということ・・・・
ざっくり言えませんでした。
牛も豚も鶏もついでにカンガルーも殺すオーストラリア人に
どうこう言われたないわな。
ということで、日本はオージービーフ不買です。
アメリカ産牛は実行中でしょう。
これで国産需要が高まれば日本経済に僅かでも影響があるかもしれません。
しかしNational Geographicはめっちゃ好きやのに、残念。
09 marzo, 2010
危険な集団【民主党】
民主党には一見正論を吐いているように見せかけておいて、
実はとんでもないことを言っている輩が多数存在する。
そいつらは見た目全く毒が無い、
“良い人”に見える。
みんなに良い顔しようとしている。
世の奥様方を騙すのが上手い。
ホンマ、一言で言うと民主党は、
詐欺集団である。
アホの鳩山を筆頭に岡田、原口、枝野、安住、海江田、山井・・・
などまぁ有名どころ、どうですか、ホンマに良い人そうでしょ。
これに人の良い日本人は騙される。
まぁ、民主党にも人相が悪く、その人相通り中身も悪い、
小沢や山岡、石井など
見た目も中身も真っ黒なヤツもいるわけですが・・・。
「こんな人の良さそうな人が悪いことするわけがない。」
これです。
これが日本人の良いところであり、悪いところです。
人の良さそうな感じの人でも中身は全く別なんですよ。
しかも、アホであれば自分が良い事だと思ってやっていることでも、
実は日本が不利益を被ることだってある。
確信犯的にそれをやっているなら正に、
「英霊来世」では無いが(って彼らの専売特許ではないが)
正に売国奴なのです。
で、とりあえず今回は枝野です。
↓MSN産経ニュースより
枝野行政刷新相、「傍論といえども最高裁の見解」、
外国人参政権めぐる最高裁判決で
2010.3.5 20:35
法令解釈を担当する枝野幸男行政刷新担当相は5日の参院予算委員会で、
永住外国人への地方参政権(選挙権)付与に関し、平成7年の最高裁判決が
判例拘束力のない「傍論」部分で「憲法上禁止されていない」との判断を示
したことについて、「傍論といえども最高裁の見解なのは間違いない。行政
府で(傍論と)異なる見解をとることは憲法に照らして許されない」と述べた。
ただ枝野氏は、この最高裁判決に加わった園部逸夫元最高裁判事が産経新聞
の取材に「(同判決には在日韓国・朝鮮人を)なだめる意味があった。政治的
配慮があった」ことを明らかにした点について「最高裁判事は法と事実と良心
に基づいて判決をしているのであって、政治的配慮に基づいて判決したのは最
高裁判事としてあるまじき行為だ」と批判した。
問題の判決は本論で外国人参政権を否定しながら、主文と関係のない傍論部
分で「国の立法政策に委ねられている」とした。永住外国人に地方参政権を与
えようという動きは、これを機に強まった経緯がある。
一方、鳩山由紀夫首相は参院予算委で、地方参政権付与について「憲法違反
では必ずしもない」と改めて主張し、「世界の20カ国以上が認めている。そ
ういった国が滅びる方向に向かっているのか検証する必要がある」と述べた。
地方参政権付与に反対する国民新党代表の亀井静香郵政改革・金融相は「首相
が積極的にやろうとしているわけではない」と、首相を牽制(けんせい)した。
以上
枝野は弁護士です。
「傍論」とは、と説明すると長くて難しいんですけど、
「傍論は、判例としての法的拘束力を持たない。」
「判決文のうち判決理由と関係のない部分。」
が日本を含めた世界(もちろん法治国家)的に基本とするところです。
更に言うと日本には「傍論」そのものが存在しないことになっているそうです。
ですから、
この外国人参政権に関する最高裁判決での傍論部分で、「永住外国人に対し、
地方レベルの参政権を法律をもって認めることは憲法上禁止されていない」
としたことについては判決にはなんら影響の無い裁判官の傍論というよりも暴論、暴走
と考えるべきです。
更に、この判決に関与している元判事が、
「(一般永住者に)選挙権を即、与えることは全然考えていなかった」と語った。
同法案を政府提出とすることにも「賛成できない」と表明したとのことです。
もっと言うと、
外国人参政権付与促進に大きな影響を与えた中央大学教授の長尾一紘氏が、
自身の論文について、誤りであったことをすでに指摘し、この1月に否定している。
ということです。
論文中のドイツにおける部分的許容の当時の引用は、
現下の日本の実情に事即したものではない。
まして、民主党の針路とは根本的に異なることを、
「一方、鳩山首相は地域主権論で国と地方を並列に置き、
防衛と外交以外は地域に任せようとしている。
最先端を行くドイツでさえ許していないことをやろうとするのは、非常に危険だ」
と指摘し、根本から否定している。
以上のように外国人参政権についてこれだけ後ろ向きの事実があるのにも関わらず、
「傍論といえども最高裁の見解なのは間違いない。
行政府で(傍論と)異なる見解をとることは憲法に照らして許されない。」
とゴリ押ししなければならない理由などどこにあるのか?
枝野は弁護士であるのにも関わらず、傍論にどのような意味があるのか知らず、
それ以前に弁護士のくせしやがって、憲法を知らないのです。
日本国憲法第15条1項
公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
これが全てでしょう。
民主党はマニフェスト記載の他の事項については悉く不達であるのにもかかわらず、
マニフェストに記載していない外国人参政権については蛇のようにしつこく通そうとしている。
それも僕らは悪いことしてませんよ、言うてエエ人面してやるところが、ホンマにあざとい。
こんなクソみたいな奴等にいつまでも日本を任せる訳にはイカンのです。
前回騙されて民主党に投票してしまった方々は、
とりあえず次回参議院議員選挙は日本を守る候補者なり政党に投票しましょう。
間違ってもイケメンやからとか良い人そうやからなどという安易な理由で
選ばないようにくれぐれもよろしくお願いします。
支那・朝鮮人の味方をする政治家など日本には不要です。
実はとんでもないことを言っている輩が多数存在する。
そいつらは見た目全く毒が無い、
“良い人”に見える。
みんなに良い顔しようとしている。
世の奥様方を騙すのが上手い。
ホンマ、一言で言うと民主党は、
詐欺集団である。
アホの鳩山を筆頭に岡田、原口、枝野、安住、海江田、山井・・・
などまぁ有名どころ、どうですか、ホンマに良い人そうでしょ。
これに人の良い日本人は騙される。
まぁ、民主党にも人相が悪く、その人相通り中身も悪い、
小沢や山岡、石井など
見た目も中身も真っ黒なヤツもいるわけですが・・・。
「こんな人の良さそうな人が悪いことするわけがない。」
これです。
これが日本人の良いところであり、悪いところです。
人の良さそうな感じの人でも中身は全く別なんですよ。
しかも、アホであれば自分が良い事だと思ってやっていることでも、
実は日本が不利益を被ることだってある。
確信犯的にそれをやっているなら正に、
「英霊来世」では無いが(って彼らの専売特許ではないが)
正に売国奴なのです。
で、とりあえず今回は枝野です。
↓MSN産経ニュースより
枝野行政刷新相、「傍論といえども最高裁の見解」、
外国人参政権めぐる最高裁判決で
2010.3.5 20:35
法令解釈を担当する枝野幸男行政刷新担当相は5日の参院予算委員会で、
永住外国人への地方参政権(選挙権)付与に関し、平成7年の最高裁判決が
判例拘束力のない「傍論」部分で「憲法上禁止されていない」との判断を示
したことについて、「傍論といえども最高裁の見解なのは間違いない。行政
府で(傍論と)異なる見解をとることは憲法に照らして許されない」と述べた。
ただ枝野氏は、この最高裁判決に加わった園部逸夫元最高裁判事が産経新聞
の取材に「(同判決には在日韓国・朝鮮人を)なだめる意味があった。政治的
配慮があった」ことを明らかにした点について「最高裁判事は法と事実と良心
に基づいて判決をしているのであって、政治的配慮に基づいて判決したのは最
高裁判事としてあるまじき行為だ」と批判した。
問題の判決は本論で外国人参政権を否定しながら、主文と関係のない傍論部
分で「国の立法政策に委ねられている」とした。永住外国人に地方参政権を与
えようという動きは、これを機に強まった経緯がある。
一方、鳩山由紀夫首相は参院予算委で、地方参政権付与について「憲法違反
では必ずしもない」と改めて主張し、「世界の20カ国以上が認めている。そ
ういった国が滅びる方向に向かっているのか検証する必要がある」と述べた。
地方参政権付与に反対する国民新党代表の亀井静香郵政改革・金融相は「首相
が積極的にやろうとしているわけではない」と、首相を牽制(けんせい)した。
以上
枝野は弁護士です。
「傍論」とは、と説明すると長くて難しいんですけど、
「傍論は、判例としての法的拘束力を持たない。」
「判決文のうち判決理由と関係のない部分。」
が日本を含めた世界(もちろん法治国家)的に基本とするところです。
更に言うと日本には「傍論」そのものが存在しないことになっているそうです。
ですから、
この外国人参政権に関する最高裁判決での傍論部分で、「永住外国人に対し、
地方レベルの参政権を法律をもって認めることは憲法上禁止されていない」
としたことについては判決にはなんら影響の無い裁判官の傍論というよりも暴論、暴走
と考えるべきです。
更に、この判決に関与している元判事が、
「(一般永住者に)選挙権を即、与えることは全然考えていなかった」と語った。
同法案を政府提出とすることにも「賛成できない」と表明したとのことです。
もっと言うと、
外国人参政権付与促進に大きな影響を与えた中央大学教授の長尾一紘氏が、
自身の論文について、誤りであったことをすでに指摘し、この1月に否定している。
ということです。
論文中のドイツにおける部分的許容の当時の引用は、
現下の日本の実情に事即したものではない。
まして、民主党の針路とは根本的に異なることを、
「一方、鳩山首相は地域主権論で国と地方を並列に置き、
防衛と外交以外は地域に任せようとしている。
最先端を行くドイツでさえ許していないことをやろうとするのは、非常に危険だ」
と指摘し、根本から否定している。
以上のように外国人参政権についてこれだけ後ろ向きの事実があるのにも関わらず、
「傍論といえども最高裁の見解なのは間違いない。
行政府で(傍論と)異なる見解をとることは憲法に照らして許されない。」
とゴリ押ししなければならない理由などどこにあるのか?
枝野は弁護士であるのにも関わらず、傍論にどのような意味があるのか知らず、
それ以前に弁護士のくせしやがって、憲法を知らないのです。
日本国憲法第15条1項
公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
これが全てでしょう。
民主党はマニフェスト記載の他の事項については悉く不達であるのにもかかわらず、
マニフェストに記載していない外国人参政権については蛇のようにしつこく通そうとしている。
それも僕らは悪いことしてませんよ、言うてエエ人面してやるところが、ホンマにあざとい。
こんなクソみたいな奴等にいつまでも日本を任せる訳にはイカンのです。
前回騙されて民主党に投票してしまった方々は、
とりあえず次回参議院議員選挙は日本を守る候補者なり政党に投票しましょう。
間違ってもイケメンやからとか良い人そうやからなどという安易な理由で
選ばないようにくれぐれもよろしくお願いします。
支那・朝鮮人の味方をする政治家など日本には不要です。
08 marzo, 2010
もっと労わりなさい

たまには靴も磨きます。
上写真向かって右のYANKOは先日のParis-Bruxellesの
石畳から僕の足を守ってくれました。
おかげでつま先はザクザクにささくれて、
雨勝ちの天気でろくに手入れもせずに
履いていたのでワックスはとれ、
雨が染み込んでいました。
とりあえず汚れを落として、クリームを塗って、
ワックスで簡単に磨きました。
そして、その隣スエードコンビがSaint Crispin'sです。
ほとんど勢いでパターンオーダーしたもの。
つい先日まで実家に置いていました。
昨日持ってきて、ついでに磨きました。
えらいもんで、高級靴は軽く磨くだけで、
あっという間にビカビカに光ります。
オーナーの言うとおりですわ。
Saint Crispin'sはYANKOのざっと3倍のお値段です。
YANKOも磨けば当然光りますがSaint Crispin's
ほど簡単ではなく、
輝きもそれには及びません(あくまでも僕の腕では)。
しかし、このブログでも書いていると思いますが、
不思議なもんで履き心地はYANKOの方がしっくりきます。
きつすぎず、緩すぎずほんまジャストサイズです。
ということで、先日の旅行でもフル稼働、
連日過酷な環境で頑張ってもらいました。
で、遅まきながらの今回の手入れとなりました。
一月ほったらかしにしてましたが、
手入れをしてやれば元通り、
革もしっかりしていて、まだまだ現役第一線で活躍できます。
なんや、そこまで愛着無いとか、
特に好きというわけではないとか言っておきながら
俺結構靴好きなんやんけ(笑
ただ靴に対する知識が浅いというだけやね。
05 marzo, 2010
ブーツ欲しいねん病
AUBERCYでみつけたブーツ、
オーダーということで購入を断念したブーツ、
最近、更に「僕もブーツ欲しいねん病」です。
もう季節は春なんですが「僕もブーツ欲しいねん病」です。
医者に行けばどんな症状でも
病名を考えてつけてくれるらしいですが、
今僕が医者にかかれば、
「あ~、あなたブーツ欲しい症候群ですよ。」
って言われそうなくらいにブーツ欲しい病です。
あ~、「やっぱParisで買っときゃよかったかな。」
と思ったりしますが、
圧倒的な言葉の壁、時間の壁、国境の壁の前に、
断念せざるを得なかったことを思い出して自分を慰めています。
もうスエードコンビを夏に向けては無いなと思うので、
この冬になんとか買えるようにお金貯めましょう。
ブーツといえばCinq essentielにTricker’sもあるか・・・
これなら今でも買えるかも・・・
まぁ、その前にASQUITH(でしたっけ?)です。
これは近々購入です。
26 febbraio, 2010
BMW E46 320i Msports
私の現在の愛車です。
以前乗っていたE30 M3は乗り心地や維持費の問題で、
奥さんから手放すように言われ、泣く泣く手放すことに、
でも、お互いの実家への行き来などを考えると、
車が無いと不便なので、やはり代わりの車を買うことに。
奥さんはそれこそDAIHATSU Miraとか、
「軽自動車で良いやん」と。
僕は、ついこの前までM3に乗っていたので、
Miraは無いなと、
Miraが良い車とかそうではないとか言っているわけではなく、
車そのものが比較対象にあるわけではないのです。
ただ僕の趣向がそちらにあるということですね。
できる範囲でその方向の車に乗りたいですと。
M3は昨年4月頃に手放し、
“結婚前の”僕が買うということと、
結婚後も僕がメインで乗るからということで、
色々と僕も譲歩した末に46 320に落ち着きました。
僕もあれこれ強気に出られるほど
バカバカ稼いでいるわけではないので、
46 320iは僕にはもったいない車だと思って、
今はそれなりに機嫌良く乗っています。
購入に際しては、
MACの宮本さんにえらいお世話になりました。
次の車もなんとしてでもBMWと思っていましたが、
現行型のE90のスタイルには今のところ全く興味が無く、
E87はどうせ乗るなら130i M-Sportやなぁと思うのですが、
3リッターの6速MTだったら前の車と何が違うんやとなるし、
やっぱり中古車でも高かったので却下、
値頃なE46に狙いを絞りました。
E46でも、どうせBMWに乗るならシルキーシックスに乗るべきだろうと、
直列6気筒モデルを探すことに、
それでも高排気量車は税金面での維持費で
奥さんに渋られるだろうと思いまして、
後期モデルの320i(2.2L)一本にしました。
この車、僕の想像以上に玉数が少なく、
程度の良いものは200万円近くなり、
結婚資金のこともあるから安く抑えたいなぁという
僕の希望には合わず、宮本さんには色々探してもらいました。
で、なんとか今の車を見つけることができて、
購入となりました。
まさか未だに外車に乗っとるヤツは金持ちというヤツはいない
と思いますが、まぁ色々とシビアに車を選ぶんですよ。
で、乗ってみての感想なんですが、
確かに6気筒は2リッターそこそこでも余裕の走りやなぁと思います。
しかも、当たり前ですが快適(笑。
この車に乗って確信したんですけど、
僕が好きな車は、4気筒でガンガン回すタイプのヤツ、
正に僕がこれまで乗ってきた
E36 318isとE30 M3なんだと思いました。
ボディもそんなに大きくないヤツ、
当然マニュアルミッションで。
でも、もう暫くこんな車には乗られないと思います。
仕事頑張って、自転車で体力低下を遅らせて、
もう少し稼いで、まだ僕の好きな車が世の中にあれば、
もう一度乗りたいです。
ある日あるお店でお昼ごはんを済ませ車に戻ると、
こいつが“僕の車のボンネットの上で”ひなたぼっこしていた。
かなり近寄っても逃げない、
そうしているうちに
次の餌食(エンジンの温かい車)がやってきた。
僕らは家に帰ります。
さっさとあっち行けや(笑
25 febbraio, 2010
新婚旅行に行って来ました(最終日編)
全ての日程を終え、日本へ帰ります。
1月28日6時半頃に巨匠宅から我々と
巨匠夫妻もでかけます。
我々3人は日本へ、巨匠夫妻はフィレンツェへ
向かいます。
フィレンツェでPITTIがあるんですね。
PITTI FILATI 糸の見本市でしょうか。
(下の写真は当日の朝6時代の巨匠宅付近の道路の様子)

ブリュッセル南駅でタリスの乗車手続きをしまして、
ここで巨匠夫妻とはお別れ。
3月のCinq essentielのグランドオープンに合わせて3月中旬頃でしょうか、
に日本へ来られるとのことです。
巨匠ご夫妻、ホンマにお世話になりました。
で、予定より早めのタリスに変更してもらって、
ホームへ上がったんですが、
予定ホームに停まっている電車がその電車なのかそうではないのか・・・、
ギリギリになってこれに乗ろうと一か八かで乗りまして、
少しドキドキしましたが、どうやら“当たり”でした。
名残惜しむようにベルギーの景色を眺めていましたが、
少し眠ってしまいました。
程なく(9時頃)電車は
シャルル・ド・ゴール空港第2TGV駅(だと思います)に到着、

空港へ向かいます。
奥さんとオーナーは税関で「輸出認証スタンプ」を押してもらい、
ポストへ投函。

で、“PAUL”でモーニングを食べて、
搭乗手続きを済ませて、
オーナーは仕事、
我々は免税店をウロウロ、化粧品などを買っていました。
僕も母と義理の妹へおみやげを買いました。
13時頃の関空行きで日本へ。

帰りも耳栓のおかげで何事も無く無事到着しました。
翌1月29日午前10時頃に関空に到着、
ここでオーナーとお別れ、
オーナーは一旦お店に戻って大阪の展示会へ行くとか・・・。
僕達は三宮で昼食、うどんを食べました。
そして自宅へ帰り、
この旅行の間、奥さんの咳が止まらなかったので、
病院へ行きました。
旅行中も熱や頭痛などは無かったのですが、
巨匠夫妻やオーナーには心配をさせてしまって、
申し訳なかったです。
2人だけではないちょっと変わった新婚旅行でしたが、
オーナーの日程に合わせて行って正解でした。
向こうでは巨匠やはま子さんに通訳までしていただいて、
いつも日本で会うオーナーに日本ではない別のところで
会うというのもこれまた不思議なもので、
HOTEL LOTTIのロビーでオーナーや巨匠、はま子さんに
会った時は待ち合わせの場所に待ち合わせの時間だから
そこで会うのは当たり前なんだけれども、
それがParisであることが、なんかすげーなぁとか思ったり、
ふたりで写真撮りましょうとみんなが気を使ってくれて、
僕と奥さんとエッフェル塔とか、
僕と奥さんとアレクサンドルⅢ世橋とか
僕と奥さんとグランプラス市庁舎とか
僕と奥さんと小便小僧とか
僕と奥さんとアントウェルペンの哀愁漂う運河とか
多くのふたりの思いでも切り取ってくれました。
飛行機でえらい目に遭ってからもう海外はええわ
と思っていたのですが、心強い見方も見つけて、
奥さんはヨーロッパ好きですから、
これなら海外旅行もいいかもなぁと今は思っています。
近所のコンビニや三宮や大阪のデパートに行くかのごとく
フランス、ベルギーやイタリアなどに行くことは無理なのですが、
また行くことに決めました。
オーナーは毎年展示会などで行かれますし、
巨匠夫妻はベルギーがかなりお気に入りのようで、
日本で暮らす気は無いと断言されているようですので、
困ったことがあればこの二組を頼ればいいだろう、
(先方は迷惑千万かもしれませんが・・・)
何はともあれ無事に日本に帰ってこられました。
今はもう仕事漬けです。
改めまして巨匠、はま子さん、オーナー
ありがとうございました。
良い思い出ができました。
正にハネムーン期間は終わり、
いよいよ本当の夫婦としての生活が始まります。
皆さん、これからもよろしく
僕の奥さんの写真はNGなので、
最後に
男3人アントウェルペンのフローテ・マルクト広場にて聖母大聖堂をバックに
1月28日6時半頃に巨匠宅から我々と
巨匠夫妻もでかけます。
我々3人は日本へ、巨匠夫妻はフィレンツェへ
向かいます。
フィレンツェでPITTIがあるんですね。
PITTI FILATI 糸の見本市でしょうか。
(下の写真は当日の朝6時代の巨匠宅付近の道路の様子)

ブリュッセル南駅でタリスの乗車手続きをしまして、
ここで巨匠夫妻とはお別れ。
3月のCinq essentielのグランドオープンに合わせて3月中旬頃でしょうか、
に日本へ来られるとのことです。
巨匠ご夫妻、ホンマにお世話になりました。
で、予定より早めのタリスに変更してもらって、
ホームへ上がったんですが、
予定ホームに停まっている電車がその電車なのかそうではないのか・・・、
ギリギリになってこれに乗ろうと一か八かで乗りまして、
少しドキドキしましたが、どうやら“当たり”でした。
名残惜しむようにベルギーの景色を眺めていましたが、
少し眠ってしまいました。
程なく(9時頃)電車は
シャルル・ド・ゴール空港第2TGV駅(だと思います)に到着、

空港へ向かいます。
奥さんとオーナーは税関で「輸出認証スタンプ」を押してもらい、
ポストへ投函。

で、“PAUL”でモーニングを食べて、
搭乗手続きを済ませて、
オーナーは仕事、
我々は免税店をウロウロ、化粧品などを買っていました。
僕も母と義理の妹へおみやげを買いました。
13時頃の関空行きで日本へ。

帰りも耳栓のおかげで何事も無く無事到着しました。
翌1月29日午前10時頃に関空に到着、
ここでオーナーとお別れ、
オーナーは一旦お店に戻って大阪の展示会へ行くとか・・・。
僕達は三宮で昼食、うどんを食べました。
そして自宅へ帰り、
この旅行の間、奥さんの咳が止まらなかったので、
病院へ行きました。
旅行中も熱や頭痛などは無かったのですが、
巨匠夫妻やオーナーには心配をさせてしまって、
申し訳なかったです。
2人だけではないちょっと変わった新婚旅行でしたが、
オーナーの日程に合わせて行って正解でした。
向こうでは巨匠やはま子さんに通訳までしていただいて、
いつも日本で会うオーナーに日本ではない別のところで
会うというのもこれまた不思議なもので、
HOTEL LOTTIのロビーでオーナーや巨匠、はま子さんに
会った時は待ち合わせの場所に待ち合わせの時間だから
そこで会うのは当たり前なんだけれども、
それがParisであることが、なんかすげーなぁとか思ったり、
ふたりで写真撮りましょうとみんなが気を使ってくれて、
僕と奥さんとエッフェル塔とか、
僕と奥さんとアレクサンドルⅢ世橋とか
僕と奥さんとグランプラス市庁舎とか
僕と奥さんと小便小僧とか
僕と奥さんとアントウェルペンの哀愁漂う運河とか
多くのふたりの思いでも切り取ってくれました。
飛行機でえらい目に遭ってからもう海外はええわ
と思っていたのですが、心強い見方も見つけて、
奥さんはヨーロッパ好きですから、
これなら海外旅行もいいかもなぁと今は思っています。
近所のコンビニや三宮や大阪のデパートに行くかのごとく
フランス、ベルギーやイタリアなどに行くことは無理なのですが、
また行くことに決めました。
オーナーは毎年展示会などで行かれますし、
巨匠夫妻はベルギーがかなりお気に入りのようで、
日本で暮らす気は無いと断言されているようですので、
困ったことがあればこの二組を頼ればいいだろう、
(先方は迷惑千万かもしれませんが・・・)
何はともあれ無事に日本に帰ってこられました。
今はもう仕事漬けです。
改めまして巨匠、はま子さん、オーナー
ありがとうございました。
良い思い出ができました。
正にハネムーン期間は終わり、
いよいよ本当の夫婦としての生活が始まります。
皆さん、これからもよろしく
僕の奥さんの写真はNGなので、
最後に
男3人アントウェルペンのフローテ・マルクト広場にて聖母大聖堂をバックに
24 febbraio, 2010
新婚旅行に行きました(六日目編)
巨匠宅から見える朝のブリュッセルです。

そうそう行くこともない海外旅行なので、
疲れも溜まってきています。
朝一にはま子さんに近所の安くて余り有名ではなくて、
美味しいVan Denderというチョコレート屋さんに
連れて行ってもらいました。
ここで奥さんは会社の同僚などにおみやげを
買っていました。
ウチの奥さんははま子さんをえらく気に入ったようです。
さて、この日はかねてよりスケジュールに入れていた
アントワープに行きます。
オランダ語ではアントウェルペン(Antwerpen)
だそうです。
そして、この地域の公用語はオランダ語(フラマン語)
ということでここではアントウェルペンと言うことにします。
フランス語は極力ご法度で、
「Merci」も止めた方がいいそうです。
ということで英語で頑張れということです。
ブリュッセルよりも更に北に位置し、
寒さ対策は万全にして行くようにとお達しがありました。
洋服は4枚重ね着して、腹にはカイロを付けました。
ベルギーの新快速みたいなヤツで北上、
40分程度(だったと思います)で
アントウェルペン中央駅に着きました。
この駅舎がまたごつくて、

美しく飲み込まれそうな感じでした。
駅舎を出ますとブリュッセルより更に寒いアントウェルペンの
外気が待ち構えていました。
ホンマに寒いというか痛いというか固まります。
アントウェルペンの町並みです。
写真↓から寒さが伝わりますでしょうか?

色々なお店を“視察”しつつ、
腹が減ったので昼ごはんです。
ケバブを食べに行きました。
それぞれ選んで運ばれてきましたら、
僕の分だけ
やたらと量が多い。
やたらと量が多い。
やたらと量が多いんですよ。
訳も分からず頼んだらそれだったらしいです。
で、これの肉と芋をなんとか食べて、
お店を出ました。
アントウェルペン中央駅を西へずーっと歩きますと、
「フランダースの犬」で有名なアントウェルペンの聖母大聖堂が見えてきます。
ここでネロとパトラッシュが天に召されたんでしたね。
ネロが見たルーベンスの「キリストの降架」も見ました。
というか、「どれだったっけ?」と言いながら全部写真に納めて
日本に帰って調べたらこれ↓だったということでした。

聖堂内は静かで、厳か、身が引き締まります。
アントウェルペン市庁舎を撮影し、

運河の方へ向かいます。
この日一番の寒さ、風もきつく、空は鉛色、何も無い。

冬のヨーロッパです。
そして更にアントウェルペンを“視察”です。
あれやこれやと見て回りました。
途中、雑貨を扱う店に入ったり、奥さんは楽しそうに見ていました。
僕は寒さとケバブが恐ろしいほど腹持ちが良いことに参っていました。
ひと通り見まして、カフェで休憩して、帰ります。
駅までの途中で「DEL REY」でチョコレートを買って帰りました。
行き帰りの道中「飾り窓」エリアを電車が通過するのですが、
一応写真撮りました↓。

写ってませんね。
是非行って見て体感してください(笑。
ブリュッセルに戻りましたら、巨匠は日本語を教えに出かけられました。
オーナーは巨匠宅で仕事、
はま子さんがスーパーに買い物に行くということで、
奥さんとお供することにしました。
ブリュッセルも薄っすら雪が地表を覆っており、
より一層寒さを感じさせます。

これぞ冬のヨーロッパなんでしょう。
スーパーに着きまして、色々と棚に並ぶ商品を見ておりますと、
やはり、チーズの種類は多いですね。
なんや分かりませんけど、ようけありました。
それと、肉もうさぎやら鹿やら日本のスーパーには
絶対無いようなものもありました。
それと忘れてはならないものがビールです。
3種類くらい買って帰りました。
仕度をしまして、
さて、ご飯をいただきましょうとなったんですが、
昼に食べたケバブが全く消化されていません。
みんな美味しそうに食べていましたが、
僕は、ホンマに少ししか食べられませんでした。
ベルギーでトルコ料理にやられるとは、
出国前には全く想像もしていませんでした。
しかし、男同士の話も尽きることはありません。

そうそう行くこともない海外旅行なので、
疲れも溜まってきています。
朝一にはま子さんに近所の安くて余り有名ではなくて、
美味しいVan Denderというチョコレート屋さんに
連れて行ってもらいました。
ここで奥さんは会社の同僚などにおみやげを
買っていました。
ウチの奥さんははま子さんをえらく気に入ったようです。
さて、この日はかねてよりスケジュールに入れていた
アントワープに行きます。
オランダ語ではアントウェルペン(Antwerpen)
だそうです。
そして、この地域の公用語はオランダ語(フラマン語)
ということでここではアントウェルペンと言うことにします。
フランス語は極力ご法度で、
「Merci」も止めた方がいいそうです。
ということで英語で頑張れということです。
ブリュッセルよりも更に北に位置し、
寒さ対策は万全にして行くようにとお達しがありました。
洋服は4枚重ね着して、腹にはカイロを付けました。
ベルギーの新快速みたいなヤツで北上、
40分程度(だったと思います)で
アントウェルペン中央駅に着きました。
この駅舎がまたごつくて、

美しく飲み込まれそうな感じでした。
駅舎を出ますとブリュッセルより更に寒いアントウェルペンの
外気が待ち構えていました。
ホンマに寒いというか痛いというか固まります。
アントウェルペンの町並みです。
写真↓から寒さが伝わりますでしょうか?

色々なお店を“視察”しつつ、
腹が減ったので昼ごはんです。
ケバブを食べに行きました。
それぞれ選んで運ばれてきましたら、
僕の分だけ
やたらと量が多い。
やたらと量が多い。
やたらと量が多いんですよ。
訳も分からず頼んだらそれだったらしいです。
で、これの肉と芋をなんとか食べて、
お店を出ました。
アントウェルペン中央駅を西へずーっと歩きますと、
「フランダースの犬」で有名なアントウェルペンの聖母大聖堂が見えてきます。
ここでネロとパトラッシュが天に召されたんでしたね。
ネロが見たルーベンスの「キリストの降架」も見ました。
というか、「どれだったっけ?」と言いながら全部写真に納めて
日本に帰って調べたらこれ↓だったということでした。

聖堂内は静かで、厳か、身が引き締まります。
アントウェルペン市庁舎を撮影し、

運河の方へ向かいます。
この日一番の寒さ、風もきつく、空は鉛色、何も無い。

冬のヨーロッパです。
そして更にアントウェルペンを“視察”です。
あれやこれやと見て回りました。
途中、雑貨を扱う店に入ったり、奥さんは楽しそうに見ていました。
僕は寒さとケバブが恐ろしいほど腹持ちが良いことに参っていました。
ひと通り見まして、カフェで休憩して、帰ります。
駅までの途中で「DEL REY」でチョコレートを買って帰りました。
行き帰りの道中「飾り窓」エリアを電車が通過するのですが、
一応写真撮りました↓。

写ってませんね。
是非行って見て体感してください(笑。
ブリュッセルに戻りましたら、巨匠は日本語を教えに出かけられました。
オーナーは巨匠宅で仕事、
はま子さんがスーパーに買い物に行くということで、
奥さんとお供することにしました。
ブリュッセルも薄っすら雪が地表を覆っており、
より一層寒さを感じさせます。

これぞ冬のヨーロッパなんでしょう。
スーパーに着きまして、色々と棚に並ぶ商品を見ておりますと、
やはり、チーズの種類は多いですね。
なんや分かりませんけど、ようけありました。
それと、肉もうさぎやら鹿やら日本のスーパーには
絶対無いようなものもありました。
それと忘れてはならないものがビールです。
3種類くらい買って帰りました。
仕度をしまして、
さて、ご飯をいただきましょうとなったんですが、
昼に食べたケバブが全く消化されていません。
みんな美味しそうに食べていましたが、
僕は、ホンマに少ししか食べられませんでした。
ベルギーでトルコ料理にやられるとは、
出国前には全く想像もしていませんでした。
しかし、男同士の話も尽きることはありません。
23 febbraio, 2010
新婚旅行に行ってきました(五日目編)
五日目の朝、巨匠宅にて朝食をいただき、
ブリュッセル散策です。
この日は確か最初高級ブティック街
(ワテルル通り?)へ行きました。
GUCCIやらHERMESやらが軒を連ねていました。
奥さんはエルメスでワッカみたいな何かを探していた
ようですが、既に売り切れとのことでした(残念)。
僕は興味が無いのでそれなりです。
ワテルル通りを南下しまして、
ポウラエール広場側にある工事中の
ベルギー最高裁判所(Palais de Justice)を
防音幕越しに見て、
北西へ目を向けるとブリュッセルの町が一望できました。
ヨーロッパやなぁという感じの見事な景色でした。
そこからエレベーターで下に降り、
ミニメン通り(アンティーク街?)を北へ向かい、
ロータリーを東へ向かうと、

道すがら撮影した内臓の置物(医学用?)
お約束のピエール・マルコリーニがありました。
ブリュッセル内の色んなところにありそうですね。
ここで奥さんは大好きなエクレアを買っていました。
そこから程なく歩くと、ノートル・ダム・デュ・サブロン教会
(Eglise Notre-Dame du Sablon)
が見えてきました。
「ブリュッセルで最も美しい
フランボワイヤン・ゴシック様式の教会。」
(ベルギー観光局情報)
だそうです。
ステンドグラス綺麗でしたよ。

その教会の前からトラムに乗りました。
下の写真は正に僕達が乗車したトラム

すみません、もうトラムに乗ったらどこへ向かったか
分からなくなりました。
巨匠について行くだけです。
どうやらルイーズ通りを東へ向かっているようです。
なぜ分かったかと言いますと、
めちゃ美味い“から揚げ定食”を食べることができる
お店に入ったからです。
そのお店の名前は「居酒ya」さんです。
本気のから揚げ定食が食べられてかなり満足でした。
店内は地元の方?と思われるお客さんもおり、
あっという間に満席になりました。
下の写真は“感動の”から揚げ定食

昼ごはんに満足しましたら、
晩ご飯の買い物を済ませて、
恐らく、今度は徒歩でルイーズ通りを北上したと思います。
道すがら色んなお店に入り洋服などを見て回りました。
そして、ロワイヤル広場
(広場中央にあるのは、12世紀末の第1次十字軍の
指導者ゴドフロア・ド・ブイヨン国王の騎馬像。
その背後にサンジャク・シェル・クーデンベルグ教会が建っている。)

を通って、更に北上し、アルベルティナ広場を通って
ギャルリー・サンチュベールへ到着したという感じだと思います。
広場辺りからグラン=プラスにある市庁舎の塔が見えるんですが、
綺麗ですよ。
それと共に「あ~、着いた!」って感じでもありました。
で、ギャルリー・サンチュベール内のカフェで
ベルギーワッフル商品名「MIKADO(みかど)」?を食べて、
またまたDelvaux(デルボー)へ向かいました。
実は、奥さんは今回の旅行で記念に
鞄(ええヤツ)を買うつもりでおりました。
エルメスにするかヴィトンにするか他の何かにするか・・・
だったのですが、ヨーロッパに行く前に巨匠から、
ベルギーにはDelvauxというオールベルギー生産の
素晴らしい鞄があると聞かされており、日本でも見ることが
できるかもと、あれこれ探したのですが、
大阪にあったはずのお店が、どうやら閉めており、
関西圏では見ることができませんでした。
そして、実際にベルギー初日にDelvauxに行き、
商品を見ましたらすごく良くて、かなり揺らいだらしく、
どれを買うべきか更に混乱してしまったようです。
結局その場では買わずに、持ち越しました。
六日目以降の予定も決まっており、買うなら今日(五日目)
しかなくなってしまったんです。
で、Delvauxへ入店しました・・・
3つ程候補があったのですが、オーストリッチのハンドバッグを
触らせてもらって鏡の前に立ったら・・・もう即決と言っていいくらいに
あっという間に決めてしまいました。
お値段は・・・あー、ダメだ言えない。
奥さんに言うなって言われてるから!
しかし、Delvauxの商品はエレガントで美しく、
しかも製作にもこだわっているから質実剛健でもある
極めつけはすべて自国生産!
日本も見習わなくてはとすごく思いました。
Delvaux恐るべしです。
そして、帰る道すがらにあったミニカーショップで、
懐かしの BMW E30 M3 のミニカーを衝動買い、
荷物を置きに巨匠宅へ戻り、
20時からのコンサートへ向かいました。
コンサート会場はめちゃめちゃ音響が良かったです。

指揮者はかなり変わった感じの人でした。
演奏も結構まとまった感じで良かったです。
でも、疲れてほとんど寝てました。すみません。
因みに、この晩は気温マイナス4度でした。
この日もブリュッセルの冬を満喫したのでした。
ブリュッセル散策です。
この日は確か最初高級ブティック街
(ワテルル通り?)へ行きました。
GUCCIやらHERMESやらが軒を連ねていました。
奥さんはエルメスでワッカみたいな何かを探していた
ようですが、既に売り切れとのことでした(残念)。
僕は興味が無いのでそれなりです。
ワテルル通りを南下しまして、
ポウラエール広場側にある工事中の
ベルギー最高裁判所(Palais de Justice)を
防音幕越しに見て、
北西へ目を向けるとブリュッセルの町が一望できました。
ヨーロッパやなぁという感じの見事な景色でした。
そこからエレベーターで下に降り、
ミニメン通り(アンティーク街?)を北へ向かい、
ロータリーを東へ向かうと、

道すがら撮影した内臓の置物(医学用?)
お約束のピエール・マルコリーニがありました。
ブリュッセル内の色んなところにありそうですね。
ここで奥さんは大好きなエクレアを買っていました。
そこから程なく歩くと、ノートル・ダム・デュ・サブロン教会
(Eglise Notre-Dame du Sablon)
が見えてきました。
「ブリュッセルで最も美しい
フランボワイヤン・ゴシック様式の教会。」
(ベルギー観光局情報)
だそうです。
ステンドグラス綺麗でしたよ。

その教会の前からトラムに乗りました。
下の写真は正に僕達が乗車したトラム

すみません、もうトラムに乗ったらどこへ向かったか
分からなくなりました。
巨匠について行くだけです。
どうやらルイーズ通りを東へ向かっているようです。
なぜ分かったかと言いますと、
めちゃ美味い“から揚げ定食”を食べることができる
お店に入ったからです。
そのお店の名前は「居酒ya」さんです。
本気のから揚げ定食が食べられてかなり満足でした。
店内は地元の方?と思われるお客さんもおり、
あっという間に満席になりました。
下の写真は“感動の”から揚げ定食

昼ごはんに満足しましたら、
晩ご飯の買い物を済ませて、
恐らく、今度は徒歩でルイーズ通りを北上したと思います。
道すがら色んなお店に入り洋服などを見て回りました。
そして、ロワイヤル広場
(広場中央にあるのは、12世紀末の第1次十字軍の
指導者ゴドフロア・ド・ブイヨン国王の騎馬像。
その背後にサンジャク・シェル・クーデンベルグ教会が建っている。)

を通って、更に北上し、アルベルティナ広場を通って
ギャルリー・サンチュベールへ到着したという感じだと思います。
広場辺りからグラン=プラスにある市庁舎の塔が見えるんですが、
綺麗ですよ。
それと共に「あ~、着いた!」って感じでもありました。
で、ギャルリー・サンチュベール内のカフェで
ベルギーワッフル商品名「MIKADO(みかど)」?を食べて、
またまたDelvaux(デルボー)へ向かいました。
実は、奥さんは今回の旅行で記念に
鞄(ええヤツ)を買うつもりでおりました。
エルメスにするかヴィトンにするか他の何かにするか・・・
だったのですが、ヨーロッパに行く前に巨匠から、
ベルギーにはDelvauxというオールベルギー生産の
素晴らしい鞄があると聞かされており、日本でも見ることが
できるかもと、あれこれ探したのですが、
大阪にあったはずのお店が、どうやら閉めており、
関西圏では見ることができませんでした。
そして、実際にベルギー初日にDelvauxに行き、
商品を見ましたらすごく良くて、かなり揺らいだらしく、
どれを買うべきか更に混乱してしまったようです。
結局その場では買わずに、持ち越しました。
六日目以降の予定も決まっており、買うなら今日(五日目)
しかなくなってしまったんです。
で、Delvauxへ入店しました・・・
3つ程候補があったのですが、オーストリッチのハンドバッグを
触らせてもらって鏡の前に立ったら・・・もう即決と言っていいくらいに
あっという間に決めてしまいました。
お値段は・・・あー、ダメだ言えない。
奥さんに言うなって言われてるから!
しかし、Delvauxの商品はエレガントで美しく、
しかも製作にもこだわっているから質実剛健でもある
極めつけはすべて自国生産!
日本も見習わなくてはとすごく思いました。
Delvaux恐るべしです。
そして、帰る道すがらにあったミニカーショップで、
懐かしの BMW E30 M3 のミニカーを衝動買い、
荷物を置きに巨匠宅へ戻り、
20時からのコンサートへ向かいました。
コンサート会場はめちゃめちゃ音響が良かったです。

指揮者はかなり変わった感じの人でした。
演奏も結構まとまった感じで良かったです。
でも、疲れてほとんど寝てました。すみません。
因みに、この晩は気温マイナス4度でした。
この日もブリュッセルの冬を満喫したのでした。
22 febbraio, 2010
新婚旅行記(四日目編)
1月25日(月)
7時30分、今日も朝飯美味かった。
並んでいるもの一通りいただきました。
ドライフルーツ系のものやハム、チーズ、パン・・・全部美味かったです。
8時30分から“考える人”像は無いかとセーヌ川対岸へ行きますが、
空振りに終わりました。
10時前にはチェックアウト、手続きも問題なく、
フロントのおじさんも「That's all OK!!」
と英語で言ってくれました。
パリ滞在中は「チップの類は必要ないです。」とのアドバイス通りに実行しましたが、
何の問題もありませんでした。
ホテルのドアマンにも一度もチップを渡しませんでしたが、
普通にドアの開閉をしてくれました。
今回の経験上、パリではチップは本当に必要ないようです。
渡せば、受け取る人はいるとは思いますが。
さて、今日はこれから巨匠の住むベルギーブリュッセルへ移動です。
ベルギーは、僕もこれまで馴染みの無い国でしたが、
巨匠がベルギーへ移住されてから、
行ってみたい国トップ3に入っていました。
ベルギーと言えば、ブリュッセルにEU本部があることと、
自転車界の英雄エディ・メルクスやヨハン・ムセウ
現役最高選手トム・ボーネンを排出した国くらいで、
観光スポットなど全く知りませんでした。

Thalys
9時50分パリに別れを告げ、ベルギーへ行くために、
メトロ:コンコルド駅からパリ北駅へ向かいます。
4日目ともなると、慣れたもので迷わずにパリ北駅集合場所へ到着しました。
ここで巨匠とオーナーと合流です。
11時過ぎ頃のThalys(タリス:新幹線のような乗り物)で一路ベルギーへ。
1時間程度でブリュッセル南駅に着きました。
駅から外へ出ますと、緯度が上がるだけあってパリよりも更に寒かったです。
駅からタクシーで巨匠宅へ、パリとはまた違った町並みで、
例に漏れずおしゃれな感じです。
巨匠宅へ着きますと、はま子さんが出迎えてくれました。
荷物を置き、お昼ごはんをいただきまして、早速ブリュッセル観光に出かけます。
地下鉄に乗り、(確か)ブリュッセル中央駅で降りて、
ブリュッセルで一番有名な観光スポットグランプラスへ。
事前に“歩き方”などで写真は見ていましたが、実物はホンマにでかく、
美しかったです。
中でも市庁舎は圧巻です。

グラン=プラス(市庁舎)
グランプラスでひと通り写真を撮り終えまして、
ベルギーと言えばお約束の小便小僧。
市庁舎の裏手にありまして、
我々が行った時も観光客が写真撮影していました。
大きいわけでもなく、観光スポットというには迫力に欠ける・・・。
小便少女などには構う間もなく、
ギャルリー・サンチュベールへ、ここはなんですかね、
ベルギーの小洒落たアーケードみたいな感じですかね。
ディスプレーも鮮やかで、それぞれ個性があり、楽しかったです。

ギャルリー・サンチュベール

Delvaux(ギャルリー・サンチュベールにて)
Delvauxにて後日、メイク・ミラクルが起きました。
後日エントリーにて書いてみます。
そのままギャルリー・サンチュベールを
南下して・・・巨匠がいることに安心して、地図持たずに
うろうろしたんでもうどの辺あるいたかよう分かりません。
うちの奥さんが靴の愛称が悪く、カンペールでスニーカーを買っていました。
(そのカンペールはもちろん日本でも活躍しています。)
その後はベルギーファッション事情を調査すべく、
巨匠とオーナーを先頭に僕達は後ろから着いていくのみ。
色んなお店に入りました。
日も暮れかけ、寒くなってきたのでカフェへ入り、
VEDETTとDuvelというビールを飲みました。
ベルギーにて初ビールです。
どのように表現したら伝わるか分からないのですが、
美味かったです。
20時、はま子さんと合流して晩ご飯こちら↓で

Amadeo(スペアリブが美味く食べ放題なお店)
Amadeoさんにていただきました。
ワイワイガヤガヤ店内はお客の楽しい声で大盛況です。
僕達も着席し、スペアリブを美味しくいただきました。
こちらではHoegaardenとワインをいただきました。
食べ放題でしたが、ひとつ半が精一杯でした。
こちらの店員のジョニー氏(イタリア系?)が楽しい男でした。
この日の晩ご飯は特に楽しく、5人はアホな話ばかりで
盛り上がりました。

Amadeoさんのスペアリブ(陽気な男ジョニーが持ってきてくれました。)
*ベルギーでの出来事については日にち、時間が頭の中で
整理できていないので、写真を見ながら書いたのですが、
ついでに掲載してみました。
7時30分、今日も朝飯美味かった。
並んでいるもの一通りいただきました。
ドライフルーツ系のものやハム、チーズ、パン・・・全部美味かったです。
8時30分から“考える人”像は無いかとセーヌ川対岸へ行きますが、
空振りに終わりました。
10時前にはチェックアウト、手続きも問題なく、
フロントのおじさんも「That's all OK!!」
と英語で言ってくれました。
パリ滞在中は「チップの類は必要ないです。」とのアドバイス通りに実行しましたが、
何の問題もありませんでした。
ホテルのドアマンにも一度もチップを渡しませんでしたが、
普通にドアの開閉をしてくれました。
今回の経験上、パリではチップは本当に必要ないようです。
渡せば、受け取る人はいるとは思いますが。
さて、今日はこれから巨匠の住むベルギーブリュッセルへ移動です。
ベルギーは、僕もこれまで馴染みの無い国でしたが、
巨匠がベルギーへ移住されてから、
行ってみたい国トップ3に入っていました。
ベルギーと言えば、ブリュッセルにEU本部があることと、
自転車界の英雄エディ・メルクスやヨハン・ムセウ
現役最高選手トム・ボーネンを排出した国くらいで、
観光スポットなど全く知りませんでした。

Thalys
9時50分パリに別れを告げ、ベルギーへ行くために、
メトロ:コンコルド駅からパリ北駅へ向かいます。
4日目ともなると、慣れたもので迷わずにパリ北駅集合場所へ到着しました。
ここで巨匠とオーナーと合流です。
11時過ぎ頃のThalys(タリス:新幹線のような乗り物)で一路ベルギーへ。
1時間程度でブリュッセル南駅に着きました。
駅から外へ出ますと、緯度が上がるだけあってパリよりも更に寒かったです。
駅からタクシーで巨匠宅へ、パリとはまた違った町並みで、
例に漏れずおしゃれな感じです。
巨匠宅へ着きますと、はま子さんが出迎えてくれました。
荷物を置き、お昼ごはんをいただきまして、早速ブリュッセル観光に出かけます。
地下鉄に乗り、(確か)ブリュッセル中央駅で降りて、
ブリュッセルで一番有名な観光スポットグランプラスへ。
事前に“歩き方”などで写真は見ていましたが、実物はホンマにでかく、
美しかったです。
中でも市庁舎は圧巻です。

グラン=プラス(市庁舎)
グランプラスでひと通り写真を撮り終えまして、
ベルギーと言えばお約束の小便小僧。
市庁舎の裏手にありまして、
我々が行った時も観光客が写真撮影していました。
大きいわけでもなく、観光スポットというには迫力に欠ける・・・。
小便少女などには構う間もなく、
ギャルリー・サンチュベールへ、ここはなんですかね、
ベルギーの小洒落たアーケードみたいな感じですかね。
ディスプレーも鮮やかで、それぞれ個性があり、楽しかったです。

ギャルリー・サンチュベール

Delvaux(ギャルリー・サンチュベールにて)
Delvauxにて後日、メイク・ミラクルが起きました。
後日エントリーにて書いてみます。
そのままギャルリー・サンチュベールを
南下して・・・巨匠がいることに安心して、地図持たずに
うろうろしたんでもうどの辺あるいたかよう分かりません。
うちの奥さんが靴の愛称が悪く、カンペールでスニーカーを買っていました。
(そのカンペールはもちろん日本でも活躍しています。)
その後はベルギーファッション事情を調査すべく、
巨匠とオーナーを先頭に僕達は後ろから着いていくのみ。
色んなお店に入りました。
日も暮れかけ、寒くなってきたのでカフェへ入り、
VEDETTとDuvelというビールを飲みました。
ベルギーにて初ビールです。
どのように表現したら伝わるか分からないのですが、
美味かったです。
20時、はま子さんと合流して晩ご飯こちら↓で

Amadeo(スペアリブが美味く食べ放題なお店)
Amadeoさんにていただきました。
ワイワイガヤガヤ店内はお客の楽しい声で大盛況です。
僕達も着席し、スペアリブを美味しくいただきました。
こちらではHoegaardenとワインをいただきました。
食べ放題でしたが、ひとつ半が精一杯でした。
こちらの店員のジョニー氏(イタリア系?)が楽しい男でした。
この日の晩ご飯は特に楽しく、5人はアホな話ばかりで
盛り上がりました。

Amadeoさんのスペアリブ(陽気な男ジョニーが持ってきてくれました。)
*ベルギーでの出来事については日にち、時間が頭の中で
整理できていないので、写真を見ながら書いたのですが、
ついでに掲載してみました。
20 febbraio, 2010
新婚旅行(三日目編)

1月24日(日)
今日もホテルの朝ごはん美味しかったです。
10時頃にオベリスク下であつし君とバスク料理のあつし君と待ち合わせして、
クリニャンクールの蚤の市に連れて行ってもらいました。
Wあつし君は巨匠と休日を楽しまれる予定だったと思うのですが、
無理を言いまして僕たちにも付き合ってもらいました。
ありがとう。
お2人はこちらで頑張る料理人さんです。
いずれは帰国されてご自分のお店を持ちたいそうです。
その時には是非食べに行きたいですね。
目的地のクリニャンクール、
どこにあるのか全く分からなかったのですが、地下鉄であっという間に着きました。
スリやひったくりに注意な町らしく、警戒しまくりです。
実は、クリニャンクールの蚤の市と言いますが、
僕はこの時まで、“クリニャンクール”という名前の蚤の市だと思っていました。
クリニャンクールとは地名というか、Porte de Clignancourt駅という駅があって、
そこの近くにある蚤の市なんですね。
しかも、パリ市内だけでもヴァンヴとかモントルイユとか各地に蚤の市があるんですね。
色々行ってみる価値ありです。
Porte de Clignancourt駅に着きまして、
地下鉄から地上に上がると確かに雑多な感じでパリ中心部とその趣は全く違いました。
蚤の市エリアはとても広く、目的なしでは疲れそうな感じでした。
蚤の市エリアに入って暫くは、アフリカ系のごついお兄さん達のお店で、
かなりビビります。ホンマに怖いです。何もしてないのに襲われそうな感じです。
やっとそれっぽいエリアに入りまして、
巨匠とWあつし君、僕と奥さんに別れてうろうろしました。
家具、調度品ピンからキリまであらゆるものがありました。
何か買う予定があったわけではなかったのですが、
ウィンドウショッピングに終始しまして、
あっという間に集合時間になりました。
ここはこれを買いたいと思って行かないと何も買えないですね。
言葉の問題もありますし。
でも、見ているだけでも楽しく、
本当に掘り出し物があるかもしれないニオイはしていました。
13時、蚤の市外れにあるバスクのあつし君が行くオムレツのお店に行きました。
ワインとオムレツとハムなどをいただきました。
ここのお店のアメリカ人っぽい店員が結構ツボでした。
続いて、僕の希望でエッフェル塔へ向かうことにしました。
ヨーロッパに住む3人にはべたべたなチョイスなのですが、
以外にもこの3人はまともにエッフェル塔に行ったことがないとか、
「そら行っとかなあかんやろ。」ということで、
3人も意外と楽しいかもということで5人でいそいそと向かうこととなりました。
エコール・ミリテール駅で降りまして、シャン・ド・マルス公園を北東へ向かいますと
エッフェル塔が見えてまいります。
当然上ろうということになりまして全員で展望へ。
天気は曇りだったのですが、パリの街が良く見えました。
北を見れば凱旋門、北東にはサクレクール寺院、
東下を見れば歩いてきた大きなシャン・ド・マルス公園を一望、
南西にはセーヌ川の中のシーニュ島南端にパリの自由の女神、
南、南東にはなんやかんや(すみません、よく分からないです)が見えました。
3人も“初めて見る”景色に大変よろこんでもらえて
“初”フランスの僕としても良かったと思いました。
軽く興奮した後はカフェで休憩です。
他愛の無い話で楽しんで、暗くなってきましたので、Wあつし君達とはここでお別れ、
Wあつし君ありがとう。また会える日を楽しみにしています。
義父へのおみやげを買うべくロダン美術館へ向かいました。
ところがというかやっぱりというか17時半頃に着きましたが、
既に16時30分に閉館していました。
“考える人の置物”は諦めてホテルへ、
ホテルへの道中、ナポレオンが眠るアンヴァリッドの頭を見て、
アレクサンドルⅢ橋のごっつさに驚き、
グラン・パレがグランなことに驚き
プティ・パレが全然プティじゃないことに驚き、
シャンゼリゼで石畳をまた眺め、
ホテルで荷物を置いて、晩ご飯を食べに出ました。
道中、フランス有名メゾンのショウウィンドウを眺めて目的地「ラーメン ひぐま」へ
ラーメンが日本食か否かは別にして、特別美味いわけではありませんでしたが、
良く知っている食べ物を食べることができてほっとしました。
巨匠のナイス判断でした。
お店は行列ができており、
座席に着くと周りには器用に箸を“操る”外国人が多数。
従業員が支那人ばっかりなことに憤りを感じつつラーメンをすすりました。
パリ最後の夜はラーメンで締めくくりました(満足)。
*トップの写真は夜のコンコルド広場、オベリスクです。
パリ滞在中毎日ここを通っていましたが、
ツール・ド・フランスのパリゴールの最終周回の最後のストレートへの
つなぎのこのコンコルド広場のカーブは最終日の勝敗を決める大きな
ポイントとなる場所です。
自転車なんか一台も走っていなかったのに毎日
眺めてはひとりはしゃいでいました。
昨年のカヴェンディッシュの勝利のシーンが目に浮かびます。
19 febbraio, 2010
新婚旅行行ってきました(二日目編)

1月23日(土)
9時前ホテルの朝食を食べる。
バイキング形式で種類多く、めちゃめちゃ美味かった。
10時前ホテル出発、北西へ進むとマドレーヌ教会。
初めて見た。いちいちすごいです。
奥様の希望で「FAUCHON」へ行きます。
様々な食品を見ておみやげを買っていました。
続いて奥様が予定していた「Obrey」での電池交換へ向かう。
電池交換に1時間かかるとのことで、その間に近所にあった
「BOUTIQUE SAINT JAMES MADELEINE」
で弟にバスクシャツを買ってやった。
日本でも買えるのになんでこっちで買ったんやろ?
安かったからええか、ってな感じです。
1時間後改めて「Obrey」へ、
おじさんが丁寧に迎えてくださり、
長い間眠っていた時計は再び時を刻み始めました。
この電池交換、なんと無料!
感謝です。
つたない英語で感謝を述べ「Obrey」を後にしました。
中々上品な紳士でした。
チュイルリー公園傍にあるホテルからこの界隈へは比較的
近く、昼を食べるには時間が早いことから、
あの「AUBERCY」へ行くことにしました。
買うつもりは全く無かったのですが、どうせフランスに
行くんやから店の前くらいは通りたいなぁ程度で、
地図上の位置は確認していました。
マドレーヌ教会の北側を東へ歩き、北側にガルニエ宮(オペラ座)
を見、大してオペラ好きでもないくせに軽く興奮して、
イタリアン通りとオスマン通りの交差点を南へ、
リシュリュー通りからサン=マルク通りへ、
ヴィヴィエンヌ通りを軽く北上すれば有りました「AUBERCY」。
ホンマに渋い店表でした。
ショーウィンドウには様々な靴がディスプレイされていました。
引き寄せられるままに店内に入りました。
店内ではマダムとその友人らしきご夫人が談笑、
それに若い女性店員がひとり。
「見せてもらってもいいですか?」
と声を掛けて店内の商品を見て回りました。
大して靴の知識もありませんでしたので、直ぐに見終わり、
ブーツが欲しくなったので、陳列されていたブーツを見せてもらいました。
かっこよくて
「これが欲しいんだけど。」
と英語で言いますと、
女性店員さんは英語が分からないらしく、
マダムに「どうしましょう。」
みたいな感じで相談していました。
そうしましたら、マダムと談笑していた
真紅のダッフルコートが魅力的なご婦人が、
「私は英語とフランス語が喋られるのよ。私が通訳してあげるわ。」
と出て来られました。
で、そのご婦人いわく、
「これはオーダーで16万円、2ヶ月かかります。」
とのことでした。
あぁ、ややこしいなと思って、それは諦めて、
「僕の足に合う靴を試着させてください。」
とお願いしましたら、椅子に座らせてもらって、
色々出してもらいました。
正味、カッコいい靴ばかりではなく、
“あくまでも僕の個人的趣味で”「これはいらんわ。」
みたいな靴もありました。
このあたりは冷静に見ていましたが、
おぉ、これええなぁという靴がありましてサイズもまぁぴったり
で10万円を切る価格でした。
これええわ、これにしよ。と即決でした。
その靴はそのウチ御披露目できると思います。
ちょうどセール時期であったこともこの価格で買えた理由だと思います。
良い買い物ができたと思っていたのですが、後に分かったことですが、
VAT払い戻し手続きを知らず(恥)その書類を貰わずに帰ってしまいました。
まさか自分がこんな高額な買い物をするとは思わなかったもので、失敗しました。
因みにこれをきちんと手続きすると約2万円更に安く買えたことになるそうです。
まぁ、楽しい買い物だったし、こうしてブログに書いて皆さんにバカにしてもらえたし、
PAYできたと思うようにしています。
*今、書きながら残念に思うことは、
「AUBERCY」に関する写真を一切撮っていなかったこと。
ホンマに興奮してたんやろな。
「AUBERCY」で靴を買い、ホテルの近所でパンとキッシュを買いまして一旦
ホテルに戻って昼ごはんを食べました。
その後、巨匠とはま子さんと合流、
奥様が行きたかったボン=マルシェ百貨店へ向かいました。
こちらは世界最初の百貨店だそうです。
日本に帰ってきて調べて知りました。
フランスではあれこれ建物がいちいちカッコいいんですが、これも例に漏れず
見事な建築物でした。
ここの食料品館で色々物色。塩、胡椒・・・買ってました。
ここで、はま子さんはベルギーへ帰るとのことでひとまずお別れです。
巨匠と3人でホテルへ戻りました。
このホテルのトイレもいちいちすごいんですが、
もう説明するの面倒ですので割愛。
そして、晩ご飯を食べるべくシャンゼリゼ通りを東へ。
ここはツール・ド・フランスのパリゴールであまりにも有名。
多くの観光客は上を見上げたり、周りの景色を楽しんだりするんだろうと思いますが、
僕は、車道の石畳に釘付けでした。
「おー、ここをランスもコンタドールもアンディも走ったんやなぁ~。」と。
奥様と巨匠はこいつアホかと思っていたと思います。
なんとか晩ご飯にありついて、23日も無事に終了しました。
*トップの写真はお約束の凱旋門、ちょっと傾いているのはご愛嬌ですよ。
18 febbraio, 2010
新婚旅行行きました(初日編)

平成22年1月22日(金)
正午過ぎ 関空出発
行こうか行いくまいか悩んでいたのですが、
人生で一度だけということで行ってきました、新婚旅行。
離着陸時に“耳抜き”が上手くできないということで、
嫌いな飛行機にも乗りました。
備忘録的な内容となっていますが、
お楽しみいただければ幸いです。
同日
フランス現地時間17時半頃CFG到着
フライトの後半は本当に疲れて、
いつ着くんかいなぁとモニターばかり
見ていました。
CDGから予め日本で予約していた
日本語の喋れるフランス人ドライバーのリムジンに乗る。
このドライバー、最初は機嫌が良かったが、
週末の渋滞で車が進まないとイライラし出して、
僕らへの対応もぞんざいになってくる。
長旅で疲れており、思わずこのドライバーに
文句を言いかけるが、隣に奥様がいることに
気づき、我慢する。
「フランス人なんてこんなもんよ。」
と自分に言い聞かせ、色々言ってやりたいことを我慢した。
本当にこれが普通なんだと思います。
だから、人間関係にはとても繊細な日本人は、
彼らのこういった態度を見て、びびって、
大人しくなってしまう人もいるかもしれませんが、
彼等はこれで普通なんだと思います。
思ったことを言えば良いと思います。
必要以上にへりくだることもありません。
19時頃パリ宿泊先の「HOTEL LOTTI」到着
同ホテル1階ロビーにて、
オーナーと巨匠とはま子さんとご対面、
時間が押していたため、感動に浸る余裕も無く、
直ぐにチェックインして巨匠に予約していただいていた
巨匠の友人あつし君の勤め先のビストロへ直行
恐らく20時過ぎにお食事開始
他愛の無い楽しい会話とフランス人が普段着で楽しむ夕食を
味わい、疲れていましたが美味しいワインをいただき、
10時半頃でしたか11時でしたか・・・
全員ホテルへ帰りました。
当然直ぐに寝てしまいました。
お世辞抜きでホンマに美味しかった。
ついでにおごって貰った。
ご馳走していただいた方、改めてご馳走様でした。
このあつし君とは日曜日に再開することとなります。
面白い男でした。
パリは世界中からの観光客を魅了するだけあって、
初パリの僕も空港からホテルへの道中目に入る建物に
いちいち感動していました。
この日からの一週間が楽しみになってきました。
*僕にとって重要な“耳抜き”ですが、
日本でオーナーにお勧めいただき、
「旅道具」さんというお店で即買いした
飛行機専用の耳栓サイレンシア・フライトのおかげで、
行きも帰りもまったく耳が痛くなることはありませんでした。
これはスグレモノです。
*トップ写真はヴァンドーム広場(Place Vendôme)
僕達が宿泊したホテルの直ぐ北にあり、
パリで一番最初に撮影した観光名所の写真がこれです。
詳しいことは忘れましたが、中央の柱のてっぺんには
ナポレオン像が建っているらしいです。
いちいちすごいです。
17 febbraio, 2010
コーチの価値

2月14日日曜日午前は、
まるまる女子モーグル観戦になりました。
観ていると僕ら素人でも、
やれカービングターンだの、
やれバックフリップだの、
日ごろ接することのない専門用語を
その間だけ覚えて、
はぁ、なるほどこの選手はターンが上手いから、
雪上を滑らかに速く滑ってるわ、
とか
この選手のスリーシックスティー(360°エア?)
は体の軸がぶれてないから綺麗やな。
とか、
いっぱしの専門家よろしく
にわか評論家になることができます。
そんな素人の僕がモーグルを観ていて、
素朴に疑問に思ったことが、
この競技は採点基準として、
ターン50パーセント、
スピード25パーセント、
エア25パーセント
の合計100パーセント30点満点で、
採点しているということです。
ということで、見たまんまターン技術に
重きを置く採点をしているということですね。
ということは、選手は当然このターンの
練習を最重要していると思ったんです。
ところが、上村選手はそこに気づいていなかった
んじゃないのか?と思いました。
と言うのも、上村選手はこれまでエアにこだわって
練習してきたというのです。
そして、前回大会のトリノで、3Dエアを成功させたのにも
かかわらず5位に終わって、
「一体どうすればオリンピックの表彰台に乗れるのかが…ナゾです…」
とのコメントを残しています。
いやいや、他の選手は間違いなくターンの練習を中心にやってますよ。
単純にカービングターンが上手くなればスキーを縦に滑らすことができて、
それによりスピードが増します。
この二つだけでも採点の75パーセントを占めます。
更にスピードに乗って踏み切ることができれば
エアにも良い効果が出るでしょう。
そこで、やっと2006年シーズンからヤンネ・ラハテラコーチを
招いてターンとスピードの練習に集中したというのです。
ホンマにめちゃめちゃ頑張ってはると思うんですけど、
どうもその方向性が間違えていたんじゃないかと思います。
上村選手はオリンピックのメダルにすごくこだわっていました。
だったらなぜそこに着目しなかったのかと思います。
1998年長野大会から参加して、ソルトレイク、トリノ、バンクーバー
と4度もチャンスがあってトリノオリンピックが終わるまで、
エアにばかりこだわって練習していたのであれば、
すごくもったいないことだと思いました。
良い選手であるだろうだけに。
こんなこと言う人いないと思うし、
人ごとだけど普通にめちゃめちゃ気になりました。
コーチとか誰か忠告してくれる人おらんかったんかいなぁと。
本人は常に煮詰まっているだろうから、
コーチが、
「エアにこだわるのもいいが、メダルが欲しいならターンを磨け。」
と言い説き伏せると思うけどなぁ。
そこがコーチの値打ちやと思います。
*トップの画像はシャンゼリゼ通りの“石畳”を
コンコルド広場側から凱旋門方面に向かって撮影したもの。
ツール・ド・フランスで逃げたい選手は
この道の側溝ギリギリを使ってアタックするそうです。
でも端から端まで石畳だと思うんだけど・・・
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