なぜ民主では無く、自民を仕方なくでも選ばざるを得ないか
について書くことになりました。
政治の話なんで理論的に書きたくても理論的に書けません。
が、読んでいる人に納得してもらえるように頑張って書くことにしました。
この最悪の2者選択については、視点として保守(日本の国体を維持する)
であることを基準に選ぶので、
僕と思想が違う人が読んでもうなずいてはもらえないこと請け合いです(笑う
この基準を更に具体的に絞ってみると
「我々日本人が老後も日本人として安心して日本で生活できる」国
を築いてくれる政党です。
2者択一となっていますが、既存の公明党、共産党、社民党については
何れも書類選考時点にて落選されています。
一々落選理由を書くのも面倒なので、ばっさり割愛しました。
で、まず55年体制について言及せねばならないのですが、
55年体制とは自由民主党と日本社会党が2大政党として日本の国政を
動かしてきた体制のことを言うのですが、1955年から1990年代中盤まで
のことを言います。
でこの55年体制とはどういうものなのかざっと述べますと、
このふたつの政党が“なあなあ”で政治を捌いてきた。
これに尽きます。
衆議院内での勢力分布から衆議院の再可決をできず、
かといって政権交代もできない状況で国際情勢をみれば米ソの冷戦状態が続き、
国内は経済は右肩上がりで国民も政治を特別意識することも無く働け働けの時代でした。
そんな中で自民党と社会党は談合政治を続けてきたのです。
今の両党の中枢にはこの時代のどちらかの政党に所属していたものが多いので、
一概にやれ北方領土、竹島の問題を自民党が片付けてこなかったというのは
かなり無理があるので、やっぱり近年特に民主党が誕生するあたりからの両党
を見るのが一番的確だろうと思います。
で、今の民主党は1998年に小政党を吸収する形でできています。
党の理念、党是については色んな政党が集まっているということで、
今も良く言われています「民主中道」です。
この言葉、説明があるんですけど、意味が良く分かりません。
第三の道論なのだそうです。
中道左派、保守中道を寄せ集めたいわゆる「寄り合い所帯」は
政党成立時からだったわけです。
で、その頃自民党はというと、55年体制が終わりミニ政党乱立により離党者が
相次ぎ1993年には衆院過半数を割り、翌年にはあの悪夢の
「自社さ」連立村山内閣の誕生です。
偶然にも今日のエントリーなので書きますが、我々はこのことを忘れてはなりません。
平成7年1月17日の阪神・淡路大震災の時の内閣がこの村山内閣です。
震災3日後の衆院本会議で当時の村山首相はなんと
「何分初めての経験でもございますし、早朝の出来事でもございますから、幾多の混乱が
あったと思われまする。」
と答弁しています。
そして同年8月15日にいわゆる「村山談話」が閣議決定に基づき発表されています。
その後の記者会見をよく読めば特に「びびる」ほどのものではないと思うのですが、
これ以降の政権は必要以上に「村山談話」に縛られることになります。
その後、自社さ連立は解消されますが、小沢一郎の自由党と組み、
程なく自自公連立です。
さすがにこの頃には自民党はダメだなって思いました。
公明党と手繋いでしまったらね。
で、自由党は一部は自民党、一部は民主党と合流してなくなりました。
そして、小泉内閣です。
平成13年から平成18年まで続きました。
小泉内閣というか小泉純一郎の評価って色んな人に聞いても分かれますね。
貧富の格差を拡大したとか、“ポチ”だとか。
僕は貧富の格差拡大は小泉純一郎がというか、竹中平蔵の方だろうと思います。
それを登用したのは小泉氏だから同罪ではありますが。
小泉氏は元々郵政民営化だけがしたかったんだと思います。
だから靖国神社参拝も本当はどっちでも良かったんだと思います。
しかし、格差拡大はいやおう無く国際競争に晒されているわけですから
もう逃れられないものと思います。だから小泉政権が格差拡大を増長した
というのは間違いだろうと思います。
じゃあ、その頃の民主党。
とにかく詰めが甘い。ブーメランとは民主党のこととまで言われていました。
平成16年小泉内閣の麻生、中川、石破の三氏の年金未納を取り上げ
当時の菅代表が「未納三兄弟」と揶揄したところ自身の未納が発覚、即代表辞任、
平成17年当時小泉首相の靖国参拝を批判した小沢一郎が1986年に「誰もが
自然の気持ちで(参拝に)行くべき。」と発言していたことが持ち出された。
平成18年永田メール問題。
その他、まとめサイトができるほどのブーメランっぷりです。
その後、自民党は安倍晋三、福田康夫、麻生太郎と総理大臣が入れ替わり、
平成21年の衆議院議員選挙で大敗下野となりました。
民主党は平成19年以降着実に両院にて議席を獲得し、西松問題などを
抱えつつも日本の閉塞感からくる政権交代への期待という風を受けて
平成21年の衆議院議員選挙で大勝、首班指名で鳩山由紀夫を指名し、
与党第一党となりました。
もう後半は面倒になって飛ばし飛ばしで行きましたが、
ざっと振り返ってみて、結局遠い過去についてはどちらがどうというものではなく、
どっちもどっちという感じでした。
しかし、理念、政策を見ると良く分かります。
自民党は結党以来「憲法改正」を党是としており、安倍政権下で国民投票法を成立させ、
その足がかりをやっとつくりました。
外交・安全保障については日米同盟を機軸としていますし、価値観外交を外交の
基本姿勢としています。
そして平成17年に党綱領にて「質の高い教育」を掲げ日教組による反日教育との決別を
鮮明にしています。
また平成22年の綱領にて反共産・社会主義」「日本らしい日本の確立」を標榜し、
自民党が保守政党であることを明示しています。
民主党は結党以来党としての基本方針を示す綱領を発表していません。
ですから、この党が日本をどうしていきたいのかまず分かりません。
鳩山由紀夫氏は元々憲法改正論者ですが、同党には社会党系議員が
多く所属しており、それを綱領に織り込むことができなかったのが原因だろうと
僕は思っています。
民主党のホームページには基本理念が書いてあります。1998年の成立時の
ものなのですが、「日本」という文言が冒頭にひとつあるだけで、大してながい文章
でもないのにその後全く出てきません。
その代わりといってはなんですが“地球社会の一員として”という意味不明な造語
が出てきます。
憲法については改憲なのか護憲なのか創憲なのかは書いてありませんでした。
外交政策では「集団的自衛権は行使しない」
「海外における武力行使はしない」
と明記してあります。
政治については国民の政治不信を取り除くとありました。
政治を直接監視する多様な仕組を整備するとありました。
総理大臣及び内閣のリーダーシップを強化し責任体制を明確化するとありました。
定住外国人の地方参政権を早期に実現するとありました。
後、応援したい政治家がどれだけいるか、考えてみました。
自民党
衆議院議員
安倍晋三、麻生太郎、石破茂、稲田朋美、伊吹文明、小泉進次郎、
下村博文、高市早苗
参議院議員
ありむら治子、鴻池祥肇、小阪憲次、末松信介、西田昌司
他にも優秀な方がいらっしゃるかもしれませんが、とりあえずです。
中でも参議院議員の西田氏は一押しです。
民主党
衆議院議員
玄葉光一郎、松原仁
参議院議員
無し
ということです。
嫌いな議員もやろうと思ったのですが、これは双方結構な数になるので
どっちもどっちということです。
民主党政権下での施策でも良いものもあります。
与那国島西部の防空識別圏見直しは本当にGJです。
他にもあるかもしれませんが、分かりません。
ただ、今の自民党が与党になったところで大したことができないでしょう。
そもそも執行部がいまいち。
総裁の谷垣はそもそも思想的に左気味、
幹事長の石原は疲れすぎ、
総務会長の小池は何かあれば直ぐに裏切られそう、
政調会長の石破、頑張れ!
といったところです。
やはり僕の基準は端的に保守人か否かですね。
経済政策とかは良く分からないです。
日本を大事にする政策を進める人ならば、
経済政策も間違えないだろうといったところです。
しかし、今の日本では外交政策を頑張っても票に結びつかないといいます。
これは本当に残念なことです。
何度も言いますが主権が無ければ経済もありません。
敗戦によって日本はとてもいびつな形をした国家になってしまいましたが、
徐々に以前の普通の国家に戻したいです。
ざっくりですので、個々一々についてはその都度個別に書きますし、
コメントにもお答えします。
ということで、しぶしぶ自民党です。
で、何度も言いますが真正保守政党の誕生を期待します。
この真正保守政党の国会議員はどれだけ私腹を肥やしてもらっても結構ですので。
Nessun commento:
Posta un commento