23 febbraio, 2010

新婚旅行に行ってきました(五日目編)

五日目の朝、巨匠宅にて朝食をいただき、
ブリュッセル散策です。
この日は確か最初高級ブティック街
(ワテルル通り?)へ行きました。
GUCCIやらHERMESやらが軒を連ねていました。
奥さんはエルメスでワッカみたいな何かを探していた
ようですが、既に売り切れとのことでした(残念)。
僕は興味が無いのでそれなりです。

ワテルル通りを南下しまして、
ポウラエール広場側にある工事中の
ベルギー最高裁判所(Palais de Justice)を
防音幕越しに見て、
北西へ目を向けるとブリュッセルの町が一望できました。
ヨーロッパやなぁという感じの見事な景色でした。
そこからエレベーターで下に降り、
ミニメン通り(アンティーク街?)を北へ向かい、
ロータリーを東へ向かうと、

道すがら撮影した内臓の置物(医学用?)

お約束のピエール・マルコリーニがありました。
ブリュッセル内の色んなところにありそうですね。
ここで奥さんは大好きなエクレアを買っていました。
そこから程なく歩くと、ノートル・ダム・デュ・サブロン教会
(Eglise Notre-Dame du Sablon)
が見えてきました。

「ブリュッセルで最も美しい
 フランボワイヤン・ゴシック様式の教会。」
(ベルギー観光局情報)

だそうです。
ステンドグラス綺麗でしたよ。


その教会の前からトラムに乗りました。
下の写真は正に僕達が乗車したトラム

すみません、もうトラムに乗ったらどこへ向かったか
分からなくなりました。
巨匠について行くだけです。
どうやらルイーズ通りを東へ向かっているようです。
なぜ分かったかと言いますと、
めちゃ美味い“から揚げ定食”を食べることができる
お店に入ったからです。
そのお店の名前は「居酒ya」さんです。
本気のから揚げ定食が食べられてかなり満足でした。
店内は地元の方?と思われるお客さんもおり、
あっという間に満席になりました。
下の写真は“感動の”から揚げ定食



昼ごはんに満足しましたら、
晩ご飯の買い物を済ませて、
恐らく、今度は徒歩でルイーズ通りを北上したと思います。
道すがら色んなお店に入り洋服などを見て回りました。

そして、ロワイヤル広場
(広場中央にあるのは、12世紀末の第1次十字軍の
 指導者ゴドフロア・ド・ブイヨン国王の騎馬像。
 その背後にサンジャク・シェル・クーデンベルグ教会が建っている。)

を通って、更に北上し、アルベルティナ広場を通って
ギャルリー・サンチュベールへ到着したという感じだと思います。

広場辺りからグラン=プラスにある市庁舎の塔が見えるんですが、
綺麗ですよ。
それと共に「あ~、着いた!」って感じでもありました。

で、ギャルリー・サンチュベール内のカフェで
ベルギーワッフル商品名「MIKADO(みかど)」?を食べて、
またまたDelvaux(デルボー)へ向かいました。

実は、奥さんは今回の旅行で記念に
鞄(ええヤツ)を買うつもりでおりました。
エルメスにするかヴィトンにするか他の何かにするか・・・
だったのですが、ヨーロッパに行く前に巨匠から、
ベルギーにはDelvauxというオールベルギー生産の
素晴らしい鞄があると聞かされており、日本でも見ることが
できるかもと、あれこれ探したのですが、
大阪にあったはずのお店が、どうやら閉めており、
関西圏では見ることができませんでした。

そして、実際にベルギー初日にDelvauxに行き、
商品を見ましたらすごく良くて、かなり揺らいだらしく、
どれを買うべきか更に混乱してしまったようです。
結局その場では買わずに、持ち越しました。
六日目以降の予定も決まっており、買うなら今日(五日目)
しかなくなってしまったんです。

で、Delvauxへ入店しました・・・
3つ程候補があったのですが、オーストリッチのハンドバッグを
触らせてもらって鏡の前に立ったら・・・もう即決と言っていいくらいに
あっという間に決めてしまいました。
お値段は・・・あー、ダメだ言えない。
奥さんに言うなって言われてるから!

しかし、Delvauxの商品はエレガントで美しく、
しかも製作にもこだわっているから質実剛健でもある
極めつけはすべて自国生産!

日本も見習わなくてはとすごく思いました。
Delvaux恐るべしです。

そして、帰る道すがらにあったミニカーショップで、
懐かしの BMW E30 M3 のミニカーを衝動買い、
荷物を置きに巨匠宅へ戻り、
20時からのコンサートへ向かいました。

コンサート会場はめちゃめちゃ音響が良かったです。

指揮者はかなり変わった感じの人でした。
演奏も結構まとまった感じで良かったです。
でも、疲れてほとんど寝てました。すみません。
因みに、この晩は気温マイナス4度でした。

この日もブリュッセルの冬を満喫したのでした。

22 febbraio, 2010

新婚旅行記(四日目編)

1月25日(月)
7時30分、今日も朝飯美味かった。
並んでいるもの一通りいただきました。
ドライフルーツ系のものやハム、チーズ、パン・・・全部美味かったです。
8時30分から“考える人”像は無いかとセーヌ川対岸へ行きますが、
空振りに終わりました。
10時前にはチェックアウト、手続きも問題なく、
フロントのおじさんも「That's all OK!!」
と英語で言ってくれました。

パリ滞在中は「チップの類は必要ないです。」とのアドバイス通りに実行しましたが、
何の問題もありませんでした。
ホテルのドアマンにも一度もチップを渡しませんでしたが、
普通にドアの開閉をしてくれました。
今回の経験上、パリではチップは本当に必要ないようです。
渡せば、受け取る人はいるとは思いますが。

さて、今日はこれから巨匠の住むベルギーブリュッセルへ移動です。
ベルギーは、僕もこれまで馴染みの無い国でしたが、
巨匠がベルギーへ移住されてから、
行ってみたい国トップ3に入っていました。

ベルギーと言えば、ブリュッセルにEU本部があることと、
自転車界の英雄エディ・メルクスやヨハン・ムセウ
現役最高選手トム・ボーネンを排出した国くらいで、
観光スポットなど全く知りませんでした。

Thalys

9時50分パリに別れを告げ、ベルギーへ行くために、
メトロ:コンコルド駅からパリ北駅へ向かいます。
4日目ともなると、慣れたもので迷わずにパリ北駅集合場所へ到着しました。
ここで巨匠とオーナーと合流です。
11時過ぎ頃のThalys(タリス:新幹線のような乗り物)で一路ベルギーへ。
1時間程度でブリュッセル南駅に着きました。
駅から外へ出ますと、緯度が上がるだけあってパリよりも更に寒かったです。
駅からタクシーで巨匠宅へ、パリとはまた違った町並みで、
例に漏れずおしゃれな感じです。
巨匠宅へ着きますと、はま子さんが出迎えてくれました。
荷物を置き、お昼ごはんをいただきまして、早速ブリュッセル観光に出かけます。
地下鉄に乗り、(確か)ブリュッセル中央駅で降りて、
ブリュッセルで一番有名な観光スポットグランプラスへ。
事前に“歩き方”などで写真は見ていましたが、実物はホンマにでかく、
美しかったです。
中でも市庁舎は圧巻です。

グラン=プラス(市庁舎)

グランプラスでひと通り写真を撮り終えまして、

ベルギーと言えばお約束の小便小僧。
市庁舎の裏手にありまして、
我々が行った時も観光客が写真撮影していました。
大きいわけでもなく、観光スポットというには迫力に欠ける・・・。
小便少女などには構う間もなく、
ギャルリー・サンチュベールへ、ここはなんですかね、
ベルギーの小洒落たアーケードみたいな感じですかね。
ディスプレーも鮮やかで、それぞれ個性があり、楽しかったです。

ギャルリー・サンチュベール

Delvaux(ギャルリー・サンチュベールにて)

Delvauxにて後日、メイク・ミラクルが起きました。
後日エントリーにて書いてみます。

そのままギャルリー・サンチュベールを
南下して・・・巨匠がいることに安心して、地図持たずに
うろうろしたんでもうどの辺あるいたかよう分かりません。
うちの奥さんが靴の愛称が悪く、カンペールでスニーカーを買っていました。
(そのカンペールはもちろん日本でも活躍しています。)
その後はベルギーファッション事情を調査すべく、
巨匠とオーナーを先頭に僕達は後ろから着いていくのみ。
色んなお店に入りました。
日も暮れかけ、寒くなってきたのでカフェへ入り、
VEDETTとDuvelというビールを飲みました。
ベルギーにて初ビールです。
どのように表現したら伝わるか分からないのですが、
美味かったです。

20時、はま子さんと合流して晩ご飯こちら↓で

Amadeo(スペアリブが美味く食べ放題なお店)

Amadeoさんにていただきました。
ワイワイガヤガヤ店内はお客の楽しい声で大盛況です。
僕達も着席し、スペアリブを美味しくいただきました。
こちらではHoegaardenとワインをいただきました。
食べ放題でしたが、ひとつ半が精一杯でした。
こちらの店員のジョニー氏(イタリア系?)が楽しい男でした。
この日の晩ご飯は特に楽しく、5人はアホな話ばかりで
盛り上がりました。

Amadeoさんのスペアリブ(陽気な男ジョニーが持ってきてくれました。)


*ベルギーでの出来事については日にち、時間が頭の中で
 整理できていないので、写真を見ながら書いたのですが、
 ついでに掲載してみました。

20 febbraio, 2010

新婚旅行(三日目編)


1月24日(日)
今日もホテルの朝ごはん美味しかったです。
10時頃にオベリスク下であつし君とバスク料理のあつし君と待ち合わせして、
クリニャンクールの蚤の市に連れて行ってもらいました。
Wあつし君は巨匠と休日を楽しまれる予定だったと思うのですが、
無理を言いまして僕たちにも付き合ってもらいました。
ありがとう。
お2人はこちらで頑張る料理人さんです。
いずれは帰国されてご自分のお店を持ちたいそうです。
その時には是非食べに行きたいですね。
目的地のクリニャンクール、
どこにあるのか全く分からなかったのですが、地下鉄であっという間に着きました。
スリやひったくりに注意な町らしく、警戒しまくりです。

実は、クリニャンクールの蚤の市と言いますが、
僕はこの時まで、“クリニャンクール”という名前の蚤の市だと思っていました。
クリニャンクールとは地名というか、Porte de Clignancourt駅という駅があって、
そこの近くにある蚤の市なんですね。
しかも、パリ市内だけでもヴァンヴとかモントルイユとか各地に蚤の市があるんですね。
色々行ってみる価値ありです。

Porte de Clignancourt駅に着きまして、
地下鉄から地上に上がると確かに雑多な感じでパリ中心部とその趣は全く違いました。
蚤の市エリアはとても広く、目的なしでは疲れそうな感じでした。
蚤の市エリアに入って暫くは、アフリカ系のごついお兄さん達のお店で、
かなりビビります。ホンマに怖いです。何もしてないのに襲われそうな感じです。
やっとそれっぽいエリアに入りまして、
巨匠とWあつし君、僕と奥さんに別れてうろうろしました。
家具、調度品ピンからキリまであらゆるものがありました。
何か買う予定があったわけではなかったのですが、
ウィンドウショッピングに終始しまして、
あっという間に集合時間になりました。
ここはこれを買いたいと思って行かないと何も買えないですね。
言葉の問題もありますし。
でも、見ているだけでも楽しく、
本当に掘り出し物があるかもしれないニオイはしていました。
13時、蚤の市外れにあるバスクのあつし君が行くオムレツのお店に行きました。
ワインとオムレツとハムなどをいただきました。
ここのお店のアメリカ人っぽい店員が結構ツボでした。
続いて、僕の希望でエッフェル塔へ向かうことにしました。
ヨーロッパに住む3人にはべたべたなチョイスなのですが、
以外にもこの3人はまともにエッフェル塔に行ったことがないとか、
「そら行っとかなあかんやろ。」ということで、
3人も意外と楽しいかもということで5人でいそいそと向かうこととなりました。
エコール・ミリテール駅で降りまして、シャン・ド・マルス公園を北東へ向かいますと
エッフェル塔が見えてまいります。
当然上ろうということになりまして全員で展望へ。
天気は曇りだったのですが、パリの街が良く見えました。
北を見れば凱旋門、北東にはサクレクール寺院、
東下を見れば歩いてきた大きなシャン・ド・マルス公園を一望、
南西にはセーヌ川の中のシーニュ島南端にパリの自由の女神、
南、南東にはなんやかんや(すみません、よく分からないです)が見えました。
3人も“初めて見る”景色に大変よろこんでもらえて
“初”フランスの僕としても良かったと思いました。
軽く興奮した後はカフェで休憩です。
他愛の無い話で楽しんで、暗くなってきましたので、Wあつし君達とはここでお別れ、
Wあつし君ありがとう。また会える日を楽しみにしています。
義父へのおみやげを買うべくロダン美術館へ向かいました。
ところがというかやっぱりというか17時半頃に着きましたが、
既に16時30分に閉館していました。
“考える人の置物”は諦めてホテルへ、
ホテルへの道中、ナポレオンが眠るアンヴァリッドの頭を見て、
アレクサンドルⅢ橋のごっつさに驚き、
グラン・パレがグランなことに驚き
プティ・パレが全然プティじゃないことに驚き、
シャンゼリゼで石畳をまた眺め、
ホテルで荷物を置いて、晩ご飯を食べに出ました。
道中、フランス有名メゾンのショウウィンドウを眺めて目的地「ラーメン ひぐま」へ
ラーメンが日本食か否かは別にして、特別美味いわけではありませんでしたが、
良く知っている食べ物を食べることができてほっとしました。
巨匠のナイス判断でした。
お店は行列ができており、
座席に着くと周りには器用に箸を“操る”外国人が多数。
従業員が支那人ばっかりなことに憤りを感じつつラーメンをすすりました。
パリ最後の夜はラーメンで締めくくりました(満足)。

*トップの写真は夜のコンコルド広場、オベリスクです。
 パリ滞在中毎日ここを通っていましたが、
 ツール・ド・フランスのパリゴールの最終周回の最後のストレートへの
 つなぎのこのコンコルド広場のカーブは最終日の勝敗を決める大きな
 ポイントとなる場所です。
 自転車なんか一台も走っていなかったのに毎日
 眺めてはひとりはしゃいでいました。
 昨年のカヴェンディッシュの勝利のシーンが目に浮かびます。

19 febbraio, 2010

新婚旅行行ってきました(二日目編)


1月23日(土)
9時前ホテルの朝食を食べる。
バイキング形式で種類多く、めちゃめちゃ美味かった。
10時前ホテル出発、北西へ進むとマドレーヌ教会。
初めて見た。いちいちすごいです。
奥様の希望で「FAUCHON」へ行きます。
様々な食品を見ておみやげを買っていました。
続いて奥様が予定していた「Obrey」での電池交換へ向かう。
電池交換に1時間かかるとのことで、その間に近所にあった
「BOUTIQUE SAINT JAMES MADELEINE」
で弟にバスクシャツを買ってやった。
日本でも買えるのになんでこっちで買ったんやろ?
安かったからええか、ってな感じです。

1時間後改めて「Obrey」へ、
おじさんが丁寧に迎えてくださり、
長い間眠っていた時計は再び時を刻み始めました。
この電池交換、なんと無料!
感謝です。
つたない英語で感謝を述べ「Obrey」を後にしました。
中々上品な紳士でした。
チュイルリー公園傍にあるホテルからこの界隈へは比較的
近く、昼を食べるには時間が早いことから、
あの「AUBERCY」へ行くことにしました。
買うつもりは全く無かったのですが、どうせフランスに
行くんやから店の前くらいは通りたいなぁ程度で、
地図上の位置は確認していました。
マドレーヌ教会の北側を東へ歩き、北側にガルニエ宮(オペラ座)
を見、大してオペラ好きでもないくせに軽く興奮して、
イタリアン通りとオスマン通りの交差点を南へ、
リシュリュー通りからサン=マルク通りへ、
ヴィヴィエンヌ通りを軽く北上すれば有りました「AUBERCY」。
ホンマに渋い店表でした。
ショーウィンドウには様々な靴がディスプレイされていました。
引き寄せられるままに店内に入りました。
店内ではマダムとその友人らしきご夫人が談笑、
それに若い女性店員がひとり。
「見せてもらってもいいですか?」
と声を掛けて店内の商品を見て回りました。
大して靴の知識もありませんでしたので、直ぐに見終わり、
ブーツが欲しくなったので、陳列されていたブーツを見せてもらいました。
かっこよくて
「これが欲しいんだけど。」
と英語で言いますと、
女性店員さんは英語が分からないらしく、
マダムに「どうしましょう。」
みたいな感じで相談していました。
そうしましたら、マダムと談笑していた
真紅のダッフルコートが魅力的なご婦人が、
「私は英語とフランス語が喋られるのよ。私が通訳してあげるわ。」
と出て来られました。
で、そのご婦人いわく、
「これはオーダーで16万円、2ヶ月かかります。」
とのことでした。
あぁ、ややこしいなと思って、それは諦めて、
「僕の足に合う靴を試着させてください。」
とお願いしましたら、椅子に座らせてもらって、
色々出してもらいました。
正味、カッコいい靴ばかりではなく、
“あくまでも僕の個人的趣味で”「これはいらんわ。」
みたいな靴もありました。
このあたりは冷静に見ていましたが、
おぉ、これええなぁという靴がありましてサイズもまぁぴったり
で10万円を切る価格でした。
これええわ、これにしよ。と即決でした。
その靴はそのウチ御披露目できると思います。
ちょうどセール時期であったこともこの価格で買えた理由だと思います。
良い買い物ができたと思っていたのですが、後に分かったことですが、
VAT払い戻し手続きを知らず(恥)その書類を貰わずに帰ってしまいました。
まさか自分がこんな高額な買い物をするとは思わなかったもので、失敗しました。
因みにこれをきちんと手続きすると約2万円更に安く買えたことになるそうです。
まぁ、楽しい買い物だったし、こうしてブログに書いて皆さんにバカにしてもらえたし、
PAYできたと思うようにしています。

*今、書きながら残念に思うことは、
 「AUBERCY」に関する写真を一切撮っていなかったこと。
 ホンマに興奮してたんやろな。
 
「AUBERCY」で靴を買い、ホテルの近所でパンとキッシュを買いまして一旦
ホテルに戻って昼ごはんを食べました。
その後、巨匠とはま子さんと合流、
奥様が行きたかったボン=マルシェ百貨店へ向かいました。
こちらは世界最初の百貨店だそうです。
日本に帰ってきて調べて知りました。
フランスではあれこれ建物がいちいちカッコいいんですが、これも例に漏れず
見事な建築物でした。
ここの食料品館で色々物色。塩、胡椒・・・買ってました。
ここで、はま子さんはベルギーへ帰るとのことでひとまずお別れです。
巨匠と3人でホテルへ戻りました。
このホテルのトイレもいちいちすごいんですが、
もう説明するの面倒ですので割愛。
そして、晩ご飯を食べるべくシャンゼリゼ通りを東へ。
ここはツール・ド・フランスのパリゴールであまりにも有名。
多くの観光客は上を見上げたり、周りの景色を楽しんだりするんだろうと思いますが、
僕は、車道の石畳に釘付けでした。
「おー、ここをランスもコンタドールもアンディも走ったんやなぁ~。」と。
奥様と巨匠はこいつアホかと思っていたと思います。
なんとか晩ご飯にありついて、23日も無事に終了しました。

*トップの写真はお約束の凱旋門、ちょっと傾いているのはご愛嬌ですよ。

18 febbraio, 2010

新婚旅行行きました(初日編)


平成22年1月22日(金)
正午過ぎ 関空出発
行こうか行いくまいか悩んでいたのですが、
人生で一度だけということで行ってきました、新婚旅行。
離着陸時に“耳抜き”が上手くできないということで、
嫌いな飛行機にも乗りました。
備忘録的な内容となっていますが、
お楽しみいただければ幸いです。

同日
フランス現地時間17時半頃CFG到着
フライトの後半は本当に疲れて、
いつ着くんかいなぁとモニターばかり
見ていました。
CDGから予め日本で予約していた
日本語の喋れるフランス人ドライバーのリムジンに乗る。
このドライバー、最初は機嫌が良かったが、
週末の渋滞で車が進まないとイライラし出して、
僕らへの対応もぞんざいになってくる。
長旅で疲れており、思わずこのドライバーに
文句を言いかけるが、隣に奥様がいることに
気づき、我慢する。
「フランス人なんてこんなもんよ。」
と自分に言い聞かせ、色々言ってやりたいことを我慢した。
本当にこれが普通なんだと思います。
だから、人間関係にはとても繊細な日本人は、
彼らのこういった態度を見て、びびって、
大人しくなってしまう人もいるかもしれませんが、
彼等はこれで普通なんだと思います。
思ったことを言えば良いと思います。
必要以上にへりくだることもありません。

19時頃パリ宿泊先の「HOTEL LOTTI」到着
同ホテル1階ロビーにて、
オーナーと巨匠とはま子さんとご対面、
時間が押していたため、感動に浸る余裕も無く、
直ぐにチェックインして巨匠に予約していただいていた
巨匠の友人あつし君の勤め先のビストロへ直行
恐らく20時過ぎにお食事開始
他愛の無い楽しい会話とフランス人が普段着で楽しむ夕食を
味わい、疲れていましたが美味しいワインをいただき、
10時半頃でしたか11時でしたか・・・
全員ホテルへ帰りました。
当然直ぐに寝てしまいました。
お世辞抜きでホンマに美味しかった。
ついでにおごって貰った。
ご馳走していただいた方、改めてご馳走様でした。

このあつし君とは日曜日に再開することとなります。
面白い男でした。

パリは世界中からの観光客を魅了するだけあって、
初パリの僕も空港からホテルへの道中目に入る建物に
いちいち感動していました。
この日からの一週間が楽しみになってきました。

*僕にとって重要な“耳抜き”ですが、
 日本でオーナーにお勧めいただき、
 「旅道具」さんというお店で即買いした
 飛行機専用の耳栓サイレンシア・フライトのおかげで、
 行きも帰りもまったく耳が痛くなることはありませんでした。
 これはスグレモノです。
 

*トップ写真はヴァンドーム広場(Place Vendôme)
 僕達が宿泊したホテルの直ぐ北にあり、
 パリで一番最初に撮影した観光名所の写真がこれです。
 詳しいことは忘れましたが、中央の柱のてっぺんには
 ナポレオン像が建っているらしいです。
 いちいちすごいです。

17 febbraio, 2010

コーチの価値


2月14日日曜日午前は、
まるまる女子モーグル観戦になりました。

観ていると僕ら素人でも、
やれカービングターンだの、
やれバックフリップだの、
日ごろ接することのない専門用語を
その間だけ覚えて、
はぁ、なるほどこの選手はターンが上手いから、
雪上を滑らかに速く滑ってるわ、
とか
この選手のスリーシックスティー(360°エア?)
は体の軸がぶれてないから綺麗やな。
とか、
いっぱしの専門家よろしく
にわか評論家になることができます。

そんな素人の僕がモーグルを観ていて、
素朴に疑問に思ったことが、

この競技は採点基準として、
ターン50パーセント、
スピード25パーセント、
エア25パーセント
の合計100パーセント30点満点で、
採点しているということです。

ということで、見たまんまターン技術に
重きを置く採点をしているということですね。

ということは、選手は当然このターンの
練習を最重要していると思ったんです。

ところが、上村選手はそこに気づいていなかった
んじゃないのか?と思いました。

と言うのも、上村選手はこれまでエアにこだわって
練習してきたというのです。
そして、前回大会のトリノで、3Dエアを成功させたのにも
かかわらず5位に終わって、
「一体どうすればオリンピックの表彰台に乗れるのかが…ナゾです…」
とのコメントを残しています。

いやいや、他の選手は間違いなくターンの練習を中心にやってますよ。

単純にカービングターンが上手くなればスキーを縦に滑らすことができて、
それによりスピードが増します。
この二つだけでも採点の75パーセントを占めます。
更にスピードに乗って踏み切ることができれば
エアにも良い効果が出るでしょう。

そこで、やっと2006年シーズンからヤンネ・ラハテラコーチを
招いてターンとスピードの練習に集中したというのです。

ホンマにめちゃめちゃ頑張ってはると思うんですけど、
どうもその方向性が間違えていたんじゃないかと思います。

上村選手はオリンピックのメダルにすごくこだわっていました。
だったらなぜそこに着目しなかったのかと思います。

1998年長野大会から参加して、ソルトレイク、トリノ、バンクーバー
と4度もチャンスがあってトリノオリンピックが終わるまで、
エアにばかりこだわって練習していたのであれば、
すごくもったいないことだと思いました。
良い選手であるだろうだけに。

こんなこと言う人いないと思うし、
人ごとだけど普通にめちゃめちゃ気になりました。
コーチとか誰か忠告してくれる人おらんかったんかいなぁと。
本人は常に煮詰まっているだろうから、
コーチが、
「エアにこだわるのもいいが、メダルが欲しいならターンを磨け。」
と言い説き伏せると思うけどなぁ。
そこがコーチの値打ちやと思います。

*トップの画像はシャンゼリゼ通りの“石畳”を
 コンコルド広場側から凱旋門方面に向かって撮影したもの。
 ツール・ド・フランスで逃げたい選手は
 この道の側溝ギリギリを使ってアタックするそうです。
 でも端から端まで石畳だと思うんだけど・・・

16 febbraio, 2010

JAM



ベルギーの列車事故、
18人の方々が亡くなられたそうです。
驚いたと共に、真っ先に現地に住む友人の身を案じた。

僕がこのニュースを知った夜のニュースでは早速、
「現地日本大使館の情報によると
 日本人が事故に巻き込まれたとの情報は入っていない。」
とのことです。

この手の海外の大規模事故ニュースを見る度に、
頭の中をグルグル回る歌があります。

THE YELLOW MONKEY / JAM(吉井和哉 作詞作曲)

~外国で飛行機が墜ちました
ニュースキャスターは嬉しそうに
「乗客に日本人はいませんでした。」
「いませんでした。」
「いませんでした。」~

というくだりです。
イエローモンキーというバンドの名前も
何も知らずにこのネーミングを見れば、
なんとも自虐的で更にこの歌詞ですから、
この人ら・・・
と当時の僕(高校生くらい)は思いました。

吉井氏はこのくだりよりも
本当に伝えたいメッセージはその後の
「こんな夜は逢いたくて」以降の方が大切である
と言った趣旨のことを語っており、
既にこの歌詞についてなど議論しつくされていると思うのですが、
それでも僕の中では事故がおこればこのくだりがよみがえります。

「現地日本大使館の情報によると
 日本人が事故に巻き込まれたとの情報は入っていない。」
という情報が流れた時、
とにかく僕は「あ~、良かった。」と思いました。
その時に亡くなられた方やケガをされた方のことを
思ったかと言われれば、
「思わなかった。」
日本人が巻き込まれていなかったことが分かった後に、
「気のどくやなぁ。」くらいは思ったかもしれません。

JAMはこんな僕のような人間に対する
あからさまな“批判メッセージ歌”だと思うのですが、
画面に向かってお悔やみ申し上げますとも思わない僕の
心根を抉って世の中の批判に曝し上げるのです。
こいつはこんなにひどいヤツだと。

自分はというと僕は他の被害者のことが心配でなりませんとの
ポーズを取って善人ぶっている。

じゃあ、お前はどんだけ聖人君子やねんと
反発してしまいます。

お前は世界中の飢餓に苦しむ人々も、
圧政に抑圧されている人々も
全ての人を開放できるのか?と

吉井和哉氏が例えば飛行機事故で亡くなった方々の
遺児達に毎年寄付をしています。
とか、
ケガで後遺症に苦しむ人たちに例えば車椅子を送った
とかいう話は聞きません。
こんなことは表だってやることではないですが、
漏れ聞こえる話すら皆無です。

要するにこういうことなんだと僕は思っています。
そこまで相手を慮るということは、
その人の今から未来の時間にまで
思い、行動に移すことこそです。

僕が命をかけて幸せにしたいとか、守りたいと
思うのは奥さん、母親、兄弟など家族で、
できる範囲でなんとか力になりたいと思うのが、
親戚や友人、
なんとなく気が合いやすいのが関西人、
感覚を共有できるのが日本人、

結構分かると思うのが、
歴史ある国の国籍を持つ方々、
経験上ヨーロッパ方面に多いと思います。

アフリカ人とは話をしたことも無いので分かりません。
南米の方々も同じく。
北米人は理解できないことが多いです。

完全に独断偏見によるものですが、
多くの人はこんな感じなんじゃないですか?
なんだかんだ言ってもやはり家族までです。
最大で公共性を共有できる日本人までです。

要するに、日本人であれば日本を常に意識することが
当たり前で、ブリュッセルの電車事故の件で言えば、
日本で報道するんだから基本的に日本人に向けての放送なので、
「あなたの家族や日本人の友人が巻き込まれているという情報は
入っておりません。」
と伝えるのは日本のメディアなんだから極当たり前のことだと思うのです。
ベルギー人の友人がいてその消息が気になるのであれば、
安否確認の方法などはいくらでもあると思います。
気になる人は当然そこまでするだろうと思います。
ただ、日本のメディアが日本国内で放送するのに、
そこまでの必要は無いだけのことです。

JAMはそれはおかしいんじゃないの?
と言っているように僕には聞こえるんです。
「こんな夜は逢いたくて」以降の方が大切といっても
その前の“この歌詞”のメッセージ力が強すぎるものだから、
当時も議論の対象になったんだろうと思います。

たかが歌ですが、されど歌。
この歌が多くの人の心を動かしたことは事実ですから、
みんなそんなこと思ってるんかなと思ったらちょっと心配です。

日本で日本人の安否だけを報道することが正しいのか正しくないのか、
アンケートとってほしいくらいです。
僕は、正しいと思うのですが・・・

だって、こんなこと言い出したら海外の津波とか地震とかでも、
当然日本人が被害に遭うこともあると思いますが、
20万人が亡くなられたとかいいますが、この方々全てについて、
例えばお名前とか放送するわけですか?

阪神・淡路大震災では死者名については死亡が確認された方については
全て放送していました。
外国人の日本在住者の方についても放送していたと思います。
ご覧になられた方も多いと思います。
これはやはり、
日本においては大事な情報だったから
6千余人のお名前を放送したのだと思います。

ですから、僕はJAMという歌のこの部分は間違えていると思います。
何が大事かを分かっていないのは吉井氏だと思います。
5分程度の歌に綴られる歌詞は全て作者にとって大切なものだと
受けては感じます。
彼はプロで作品を世に出してそれで金を稼いでいるだから、
その作品に対して責任があります。
僕はこれについて、もっと知りたいです。
彼が何を思ってこの詞をつくったのか。

この電車に知人が乗っていなくて本当に良かった。
僕にとって「日本人はいませんでした。」
は正に朗報でした。
亡くなられた方々、ケガをされた方々には誠に申し訳ないと思うが、
間違いなく朗報でした。

*トップ写真はベルギーの美しい街並み

10 febbraio, 2010

そういうことか、勝谷


勝谷誠彦氏が執拗に民主党、というか小沢一郎を擁護するので、
なんでかいな?
と思っとりましたが、なんとしっかり小沢から貰っとったんですね。

小沢一郎側が総務省に提出した書類から分かります。
↓
http://www.soumu.go.jp/senkyo/seiji_s/seijishikin/contents/000025218.pdf

上記は総務省が一般に公開している書面です。
これ以外にも改革国民会議(旧自由党の政治資金団体)からも貰っとるみたいやし。

更に、「世論社」という勝谷誠彦氏が役員の法人があるようでして、
民主党議員のWEB製作やコンサル業務でとりあえず
約1000万円程度稼がせてもらっているみたい。

なるほど、やっぱ貰うと言えんわな。

竹島のことや、大東亜戦争のことなど納得させてもらうこと
多かったけど、この件を始めとして最近の勝谷氏については、
ホンマに目も当てられんわ。

結局お前も金かい!

政権交代ありきで考えるから、
ホンマに大事なことが見えてないわ、このおっさん。

政権交代のためやったら

↓

外国人参政権が可決されてもええんか!?
人権擁護法案が可決されてもええんか!?
日本人をないがしろにするバカが総理大臣でもええんか!?
起訴するに足る資料が無いだけで、限りなく“黒”の
糞狸が公党の幹事長でもええんか!?
売国ババアが法務大臣でもええんか!?

小沢の太鼓持ちやって、日本が特亜三国に汚染されたらあんた、
どないして責任取ってもらおうかいね。

*トップ写真は言わずと知れたLa tour Eiffel
 べっぴんさんです。
 そのうち旅行記かくかもしれません。

09 febbraio, 2010

なんともな話


うんうんと思いながら観ていました。
一昨日の「たかじんのそこまで言って委員会」です。
大阪学院大学教授の國定浩一氏と株式会社シナガワの品川隆幸社長です。
昨今の不況の煽りを受け、悲鳴を上げている中小零細企業について、
「しんどいなら辞めなはれ」
「嫌ならやめなはれ」
「まだまだ仕事はある」
と仰います。
それに対して國定浩一氏は
「やめたくてもやめられへんのや」
と仰います。
やめようにも借金がかさんで首が回らん社長さん達が多い。
更に今の状況をつくったのは他の誰でもない
小泉・竹中だと仰います。

品川社長はそれこそ血尿がでるほど頑張って
今の会社を立て直したそうです。
今現在は不況では無い、これが普通だと仰います。

僕はこれを観ながら思いました。
まず、今の自分は衣食住足りているから毎日の生活には満足しています。
しかし、多くの中小零細企業の社長さん達は日々の資金繰りに苦労されている
ようです。それこそ首を吊る寸前のところまできている人もいるかもしれません。

なんとかしなければならないことには違いないのですが、
品川社長は血のションベン出してでも頑張れ、
それができなければ辞めて次の方法を考えなさいと仰います。
一方この大不況の要因のひとつとして小泉・竹中構造改革がある。
と國定浩一氏は仰います。

國定浩一氏は品川社長の仰ることは勝ち組の論理だと。
世の中の全ての社長がゴリゴリ押して、ガツガツ前に出て、
上手く儲ける社長ばかりじゃないんだと。
いわゆる職人気質の社長、ものづくりの才能はあるけれど、
儲ける才能は無い社長、まぁ押しの弱い社長、
など色んな人がいる。
品川社長の言うように出来る人は良いよ。
しかし、そうできない人が大半なのに辞めて直ぐに次に行けと言われても
そう簡単にできますかいな、と。

うんうんとうなずきながら聞いていました。
やらんとしゃあないんです。
ですが、我々庶民は上がこうやと決めたらそれに合わすために
血のションベンまで出さんと“生きていけないのか?”

朝8時から夕方5時まで一生懸命に
仕事をしただけでは生きていけないのか?

日本のものづくりは世界一なのに首を吊らないといけないのか?

國定浩一氏は完全に小泉・竹中構造改革の失政が多くの要因を
占めていると断じています。

僕もそう思います。
全ての社長が品川社長のような人間ではない。
全ての人が真面目に働けば普通に生きていけるような社会がやはり
素晴らしい社会だと思います。

普通に生きるの普通とは何か?

と問われましても回答に困るわけですが、
漫画美味しんぼから下記のことばを借りることで回答とします。

「いやぁ、立派になんてならなくていい。
食べたい時にとんかつが食べられるくらいがちょうどいい。」

昨日、某大手企業の営業マンと食事をする機会があったのですが、
「毎日時間に追われています。」
「No残業Dayもあって19時には電気が一斉に消えるんですが、
 みんなスポットの蛍光灯付けて仕事してますよ。
 No残業Dayなんて表向きだけです。」
とおっしゃっていました。

我々の意向に関わらず、経済のグローバル化は周知の通り止まることなく、
価格競争にも巻き込まれ、我々は無理をせざるを得なくなっているんですが、
そこを上手く舵取りしてくれるのが政治じゃないのかと、
竹中は自由競争をより先鋭化させ、勝ち組にはより儲けさせ、負け組みには
どんどん首を吊らせたと。

こんなのは豊かな社会では無いと思います。
國定浩一氏は恐らくいわゆる勝ち組の部類の方だとお見受けしますが、
こういった方々に仰っていただかなければ、庶民は浮かばれません。
なんとも難しい話ですが、國定浩一氏の仰りたいことが良く分かる話でした。
もちろん品川社長もバイタリティーのある素晴らしい方だろうと思います。


*トップの写真はパリの僕たちが泊まったホテルを
 バンドーム広場側からチュイルリー公園方面へ向かって撮った写真

15 gennaio, 2010

興奮すると何を書いているのか分からなくなるんです

*興奮すると論旨がまとまらず、読んでいただいても、
 「?」しか後に残らないかもしれませんので先に 
 ざっくり、本当にざっくり言いたいことを言います。

“小沢一郎が白でも黒でもこのクソは日本の敵だから
 特捜部にはぜひともこいつの息の根を止めてもらいたい”

という暴論が私の言いたいことです。
要するに小沢のような売国奴野郎は大嫌いということです。
では、お暇で折角だから読んでやろうという方は、
以下もお読みください。


それでも日本のことを考えてくれれば、
たかだか4億円や20億円などというはした金などくれてやるのです。

ところがこの腐れ狸はそんなことには見向きもせず
せっせと朝鮮人の為に鳩山に鞭を入れるのです。

我々の金を使って明確に反日を標榜する連中のために
奔走するのです。

あちこちで民主党に騙されたという声が聞こえてまいりますが、
お宅の調査能力、物事の本質を理解しようとする力が
劣っていたからというしかありません。

私とていつも間違いなく100%の力を発揮できて、
本質という本質は全て見抜くことができるわけではありませんが、

こいつは100万年前から臭っていたんだよ!

分からんお前が悪い。
民主党の『マニフェスト選挙』に大喝采しながら、
お前らは民主党のマニフェストを読みましたか?

選挙前から民主党の政策には財源の裏づけが無いと散々言われていたのに、
それが何を意味するのか分かっていたのですか?

自民党政権がばら撒きだと言われていたが、
実は民主党のこども手当てや農家の個別保障制度などの方が
“もっと偏った”ばら撒きであることが分かりませんでしたか?

おまけに全く世界標準ではない在日外国人参政権なんぞを
4月から審議しようとしているのです。

(朝鮮人についていうと)日本に強制的に連れて来られたからとか、
日本で働いて日本に税金を納めているからとか、
いうくだらん理由にもならないことを持ち出して、
彼等にも政治に参加する権利をというやつは
一回、布引の滝で頭を冷やさねばなりません。

まず大前提として参政権は基本的に
その国の国籍を持つ者にのみ与えられた権利です。
外国人が日本で何億円税金を納めようが参政権は得られません。
その逆として、日本国籍を有するものが生活保護を受けていても、
日本国籍を有することによって参政権を保有します。

また、日本に居住する外国人は本国の参政権を保有します。
であるのにも関わらず彼らに日本の政治に関与する権利を
与えることは全くもって不必要だと思います。
因みに韓国では2012年から在日韓国人に対して、日本に居住したまま
韓国の大統領選挙(再選挙、補欠選挙含む)と
国会議員比例代表選挙に投票できるそうです(これは参政権の中でも選挙権の話)。
これでは日本の参政権など必要ないでしょう。

これら全てに臭い臭い小沢一郎が深く関与しているんです。
こんなものはくだらんニホンの大手メディアを観ていたとしても
5分パソコンの前でパチパチすれば分かることです。
それら玉石混交のデータを基に自分自身で判断することです。
これが調査であり、本質を見極めることであると思います。

私はこんなことを書きながら
「僕は他に仕事を持っているのにどうして我々の税金で雇っている
 政治家や役人を時間を割いてまで監視し、糾弾せねばならないのか」
といつも憤っています。
もし、政治家・役人が日本国を思い、我が国の歴史・伝統・日本人らしさ・・・
を守る政策を打ち出し法制化して現に実行してくれればどんなに素晴らしいか、
と思います。

しかし、現実は大東亜戦争に敗戦して以降、アメリカからの無理難題に対して、
唯々諾々と従い、
支那の不審船が国境を跨いで日本の領海を侵犯しても、腰の抜けた抗議にすらならない
対応しかせずになめられ、
朝鮮に対してもいつまでも日韓併合を持ち出され謝罪せよと怒鳴られ、
「日韓併合は世界各国の同意の下合法的に行われた。」
のひとことも言えずにただ頭を下げるだけ。

このように何を守っているか分からないがとにかく己の生まれた国を易々と
売り渡してしまう腰抜けばかりが国家の中枢にいるのだから、
私も多くの憂国の諸氏に倣ってひとこと申さねば気が済まないのです。

多くの国民はこうして日本が大東亜戦争以降の外交という外交に連戦連敗中で
あることに危機感を抱いていないようですが、
だったらあなたにとって自身の尊厳って何なんですか?
と問いたいです。

オリンピックが始まれば日本選手団のメダル数に一喜一憂し、
ワールドカップ本戦に日本が出場すれば会社を休んでまで開催国へ応援に行き、
WBCで日本が2連覇すればもろ手に日の丸を掲げヤンヤヤンヤの大喝采です。

それは結構ですよ。
日本の結果に狂喜乱舞せよ。

しかし、スポーツはあくまでもスポーツであり、代理戦争でしかないんです。
外交は武器を持たない戦争です。
国家の威信をかけて相手国に対峙しなければならないんです。
そこに侍を送り込むことこそが我々の仕事じゃないですか。

目先の金に目がくらんではダメですよ。
明日のこども手当てより、未来の日本です。

嘘でも良いから誇りを持てる日本を標榜する政治家に会いたいです。

小沢一郎のようなクソに我が国を操られるなどまっぴらごめんです。

06 gennaio, 2010

悲喜交々

12月29日 
アニメ「めぞん一刻」の93話~96話(最終回)
を見て泣く。
・五代君が響子さんにプロポーズするくだり
・ゆかりばあちゃんが響子さんに指輪を渡すくだり
・五代君と響子さんが赤ちゃんを連れて一刻館に
 帰ってくるくだり
その他数々のシーン
はバスタオルが要ります。

12月30日
日中は自由な時間を過ごし、夜三男が帰神、
家族全員(ひとり欠けてしまいましたが)で
鍋を囲む。
めったにないこれぞ正に家族団欒。
ここに親父がいたらどれだけ喜んだか、
父親には死んで欲しくなかったと泣く。

12月31日
毎年清荒神さんで買ってくる超特大カレンダーを
祖父宅へ持って行く。
祖父母は
「これくらい大きかったら良く見えるわ。」
と喜んでくれた。
しかし、最近祖父は
「もう来年(この時点では再来年のこと)の正月は迎えられんからな。」
と弱音を吐く。
祖父は確か93歳。
ここまで元気で生きてきた祖父に、まだ頑張れと鞭打つのは
酷だと思うが、それでも
「何を言うとんねん。」
と僕は切り返す。
お爺ちゃん、来年も超特大カレンダー持って行くからね。
と心で呟いて泣く。

明けて1月1日
朝から体が重い。
居間で横になって毛布にくるまって朝から実業団ニューイヤー駅伝を観る。
風邪のひき始め、症状が重くなるのを抑えるべく葛根湯と薬を飲みまくる。
頭がボーっとしてきて眠くなってきた。
目が覚めたら晩。
なんと無意味な元日を過ごしたのかと泣く。

1月2日
朝からおなじみ箱根駅伝を観る。
昼から母が兄弟のように仲良くしている従兄弟宅へ行く。
今回は弟夫婦も一緒。
母の従兄弟には僕たちも色々と世話になっている。
そんな従兄弟の中の長男氏は飲んだら泣く。
昨年長男氏の甥が結婚したのだが、
「こいつがこんなに立派になってこんな良い嫁さんを貰うなんて・・・(泣」
と泣く。
僕もこの甥君はよく知っているので、
そんな長男氏を見てもらい泣き。
でも、新年会はウチの次男の“ワル話”で超盛り上がって、
盛会のウチにお開き。
こいつを連れて行って正解であった。

1月3日
箱根駅伝復路
城西大学の学生さんの熱い走りに泣く。

彼は前回の箱根で途中棄権したらしい。
今回はその借りを返す熱い走り。
無事タスキを次走者に渡し倒れこむ。
2人か3人を抜く正に激走でした。
タスキを渡し両脇を抱えられながら部員達に、
「去年タスキを渡すことができなかったから・・・」
と泣き崩れる。
いやいや、君は今年素晴らしい走りを魅せたんだから、
卒業した先輩たちも喜んでくれているハズだよ、
とテレビの前で“僕が泣く”

1月4日
仕事初め、
朝から法務局へ、
それが済めば今日はぼちぼちで帰ろうと思っていた。
ところが三田の現場へ行って来いと指示が下ります。
え~、今日からしっかり仕事かよ~!
とアンラッキーな状況に泣く。
18時には自宅へ帰り、奥様の叔父が亡くなられたとのことで、
加古川の葬儀場のお通夜へ急ぐ。
60代で亡くなられたとのこと、
まだお若いのに残念でなりません。
一通りお通夜を済ませて別室で食事をいただきます。
結婚式に来られなかった奥様のご親族の方々に、
「よろしくお願いします。」
と挨拶をしてまわりました。
よく言われることですが、やはり亡くなられた叔父様が
普段会わない人に会わせる機会をつくってくれたのかもしれません。
感謝の気持ちと共に改めて叔父様のご冥福を祈ります。

と洗面器一杯の涙を流した年末年始でした。

今年も不定期更新頑張ります。
皆さんに頭を使っていただけるような更新を心がけたいと思います。

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悲喜交々【ひきこもごも】
一人の人間の心の中で悲しみと喜びが混じり合う、
あるいは交互に去来する状態

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どうぞ、よろしくお願いします。

28 dicembre, 2009

“毎年恒例CQ忘年会の翌年の目標発表コーナー”

昨日はCQ忘年会。
毎年お招きいただいており、
恒例行事となっております。

恒例と言えばココの忘年会では、
いつからか来年の目標を参加者の前で
発表するのがお決まりとなっております。
しかも、そのハードルが低いと参加者から
一斉のダメ出しが入りますので、
全員、毎年頭を悩ませつつ参加するといった状況です。

自分ひとりで努力すれば達成できるものから、
自分の努力だけではどうにもならないこと
「彼女をつくる」とか「結婚する」とか
など三者三様の目標を
・自分にプレッシャーを与えつつ、
・皆さんにもご納得いただき、
・更にできるものならば笑いも?取るといった
高度な技術を要するものです。

と言ってしまうとこんな
参加すること自体が罰ゲーム
みたいな忘年会は嫌やと、
来年以降の出席状況に影響がでるといけませんので、
ここからこの
“毎年恒例CQ忘年会の翌年の目標発表コーナー”
の意義について
僕が勝手に考えたことを書きます。

CQに洋服を買いに来るお客さんは、
一点のお代が安くないものを、それをめがけて周辺にある
数多の洋服やに目もくれず買いにやってきます。
「人間は見た目やない、中身や、心や、中身で勝負するんや。」
と言います。
これは、もちろん間違いではありませんが、
半分当たりで半分外れだと思っています。

人に対する印象の最初にして、恐らく最大の要所は初見です。
ここで大半が決まると思います。
まして、我々の年齢になればなおさらです。
その最高要所に心血を注ぐ人こそ中身で勝負しているのです。
それだけではなく、ここに行くのにこの格好は失礼ではなかろうか?
とか、
大好きな女性が初めてデートにOKしてくれた。
彼女に恥をかかせない服装をしなければ。
とか、
数あるシーンに自分の服装がふさわしいか否かに心を砕くことは、
中身があればこそだと思います。
「それは裏返せば全ておのれの為やないかい。」
というバカな突っ込みは聞く耳持ちません。
これに限らず全てのおのれのおこないはおのれのためだからです。

と、折角ですね、自己研鑽に励むCQ大好きっ子達なのですから、
“毎年恒例CQ忘年会の翌年の目標発表コーナー”
もその一環として、上手に活用して、自分自身に良いプレッシャーを
かける機会にすれば良いのです。
小学生時代、中学生時代には、
「来年は逆上がりができるようになる。」
とか、
「来年は通知表のA判定の数を後3つ増やす。」
とかなんともリアルな目標を立てていませんでしたか?
大人になってそんな出来そうで出来ないかもしれない
目標を立てることを面倒がっていたんじゃなかろうかと。

ですから、これはチャンスだと思います。
他人様に自分の目標を聞いてもらい、
その年は精一杯頑張る。
そして年末にその成果を発表する。
出来なくても継続課題とすれば良いんです。
みんなの飯代を持たなければならないだけ?ですから(笑
そんな“みんなの飯代被る”ようなくだらないことに固執するのではなく、
自分が目標を達成できなかったことを振り返って反省する機会です。

みんな今年は何にしようと結構まじめに考えたりする
この“毎年恒例CQ忘年会の翌年の目標発表コーナー”ですが、
これが男磨きに、人間磨きに非常に高い効果を発揮している
というかなり強引な内容なのでした。

17 dicembre, 2009

GOOD-BYE HERO

我々には平等に時間を与えられてはいません。
0時にその一生を終える人もいれば、
23時までそのロウソクに炎を灯し続ける人もいるでしょう。

我々は毎日生と死の、正に紙一重の中で生きています。

実は明日をも知れぬ人生なんです。
あなたは昨日を一生懸命生きましたか?
今日はどうですか?
明日はできそうですか?

僅か40年余を全力疾走で駆け抜けた人がいました。
もちろん自転車で。
僕はその素敵だったであろう40余年のほんの数年のお付き合いでした。

しかし、時間ではないんですよ。
その内容が全てです。

僕はその方にお会いした時には既に自転車には乗っていました。
しかし、持て余していました。

そんな僕に
「一緒に走りましょう!」
と声をかけてくれたのがその方でした。

なんと僕はツール・ド・フランスで200人からのプロトンが
集団走行しているのを毎度観ているくせに、
“他人と一緒に走ること”をそれまで一度もしていなかったのです。

その「一緒に走りましょう!」は、
僕のこれまでの自転車に対する接し方を根底から変えてしまいました。
誰かと一緒に走ることの楽しさ、喜びを教えてくれました。
集団走行が楽しいからひとりで走る時も楽しくなる。
時間があれば自転車に乗りたくなりました。
夏場はこっそり自転車通勤もしました。

今までともすれば部屋のインテリアと“成り下がっていた”
我が“愛車”をスポーツバイシクル本来の
“あるべき姿”に変えてくれたのです。

よそのお客さんだった僕に自転車の(単純ではあるが)
本当の楽しさを教えてくれたのがその方でした。

まだまだお若かったですから、やり残したことがたくさんあったと思います。
本当に無念だったと思います。
しかし、素晴らしい仕事も遺されました。
その方の意志を告いでくれる人たちを育てていらっしゃいました。
きっとその方々が、
まだ見ぬ多くのサイクリストに
「一緒に走りましょう!」
と声をかけていかれるんだと思います。

我々には平等に時間を与えられてはいません。
しかし、その不平等で限られた時間をどのように使うかは
生きる僕たち次第です。

自転車の楽しさを教えてくれてありがとう
そのさわやかな笑顔忘れませんよ。
カッコいいダンシングも忘れません。

「スポーツカーはやっぱり黄色でしょ~(笑)」
と言って全身黄色のアソスでかっこ良く決めて
颯爽と愛車で走り出す後ろ姿も忘れません。

ありがとう

僕もいつまでも自転車に乗り続けますよ。

15 dicembre, 2009

嘘塗れ

今回の中国国家副主席の天皇陛下謁見について、
民主党に直接抗議メールを送ったら、
受信確認のメールに鳩山からのメッセージが
ついてきました。

以下、構わないだろうと思うので、まるままコピーします。

<鳩山由紀夫代表からのメッセージ>
「暮らしのための政治を。」

ひとつひとつの生命を大切にする。他人の幸せを
自分の幸せと感じられる社会。それが、
私の目指す友愛社会です。
税金のムダづかいを徹底的になくし、国民生活の
立て直しに使う。それが、民主党の政権交代です。

民主党は、「国民の生活が第一。」と考えます。
その新しい優先順位に基づいて、すべての予算を
組み替え、子育て・教育、年金・医療、地域主権、
雇用・経済に、税金を集中的に使います。
生活の安定が希望を生み、意欲的になった心が、
この国全体を押し上げていきます。
国民を苦しめている古い仕組みを終わらせ、
すべての人が生きがいと働きがいを持てる国を、
つくり上げようではありませんか。

以上ですが、
税金の無駄遣い云々ってお前それはまともに税金払ってから言えよ。
と思うし、
今回故人献金だの首相が一番子供手当て貰ってるだの
散々言われまくってまだこの文章送ってくるか、
と思うわけです。

民主党中心政権に変わって、先の見通しも含めて、
ひとつここまでの評価をしても良い頃だと思うのですが、
僕は「ある程度行政が透明化されたかもしれない」こと
以外は前政権の方がまだ良かったと思います。

但し、透明化すれば良いというものではないです。
透明化して的外れなことばかりしているんです、民主党中心政権は。
国民の目に見えるように違法な決定ばかりする千葉景子法務大臣を
野放しにしたり、
明らかに国民にも分かるように
小沢一郎を政策決定のキーマンにしたり・・・

透明化してこんなことばかりしている民主党。
要するに我々は民主党になめられてるんですよ。
バカにされているんです。

バカな国民どもだから何をしても分かんねぇよって。
我々は本当にバカなんでしょうかね?

ほんまに色々不愉快

参政権法案、反対でも賛成を=民主小沢幹事長

民主党の小沢一郎幹事長は14日の記者会見で、
永住外国人に地方参政権を付与する法案について、
反対の立場の党所属議員にも、
採決の際は賛成を求める考えを示した。

先の衆議院選挙で民主党に投票したバカ共、
さっさとこのバカの横暴を止めろよ。
そもそも民主党のマニフェストに記載されていない
こんな馬鹿げた法案など審議する必要も無いのですが、
国会議員が採決に際して自分の考えを
封印せねばならんのならば、
国会議員の数なんて今の3分の1で十分だろ。
事業仕分けというのならば、
ここにもきちんとメスを入れろよ。

因みに、外国要人の天皇陛下謁見の
「1ヶ月ルール」は1995年に当時の
“自社さ連立”内閣がつくったもので、
当時鳩山由紀夫はさきがけの幹事長でした。

ということで、自分(達)がつくった決め事を、
後になって自分で反故にするという暴挙に
鳩山由紀夫は及んでいるわけです。

昨日の会見で小沢は
「1カ月ルールなんて誰がつくったんですか?」
と記者に聞いています。

言ってやれ、
「お前んとこの大将がつくったんだよ!」
と。

カスゴミは普段まともな仕事しないんだから、
こんなときくらいは世の中の役に立つようなことをしろ!

13 dicembre, 2009

日本が支那共に呑み込まれる日

民主党、皇室の政治利用

「習近平中国国家副主席の天皇陛下との会見」

こんな糞政党に「風だけ」を頼りに投票した馬鹿共には
吐き気を覚える。

ちょっとでも調べる気があるなら、
この政党がどういう方向性を持った集団かなど、
一瞬で分かるのです。

自民党が良い政党などという気はさらさらありません。
しかし、残念ではあるが民主党よりははるかにマシなんです。
自民党にも平気で国を売るバカは多い。
しかし、党としては基本的には保守です。
個人的には悔しさを残しつつも、
ぎりぎりのところで我慢できる。

ところが民主党は基本的に革新政党です。
既成概念を根本から覆す集団です。
国家ビジョンなどありません。

なぜなら、そもそも国家を否定している集団だからです。

民主党に投票した連中は、
民主党に「日本国を崩壊させること」
を空手形で承認したも同然のことをしたのです。

この政権が未だに支持率60パーセントということは、
過半数以上の国民が民主党がこのような売国行為を
行っていることを承認しているということです。

民主党を未だに支持している方々、
支那や朝鮮が好きならそちらへ行かれたらよろしいじゃないですか、
何もこんな窮屈な日本に居る必要ないでしょ。
さっさとあちらへ行きなさいよ。

日本国を思う気が無いなら選挙に行くな。
日本の歴史と伝統をないがしろにするヤツは投票するな。
支那でも朝鮮でもどこへでも行け。
誰も止めん。

日本が支那共に呑み込まれる日は間近に迫っている。

02 dicembre, 2009

報告

11月28日に無事結婚式を挙げることができました。
我々に関わる全ての人に感謝します。

これからはふたりのペースでしっかりと人生を歩んで行きます。


ブログも続けます。
たまに覗いてみてください。

26 novembre, 2009

万事OK

【前撮り】
人生の中で一番恥ずかしい写真を朝から晩まで撮影し続けるイベント


明日は前撮りです。
天気は晴れ、日ごろの行いが良いからです。

この際だから、やりたいことやります。
誰にも見せられない写真を撮ってもらって、
色んな人に見てもらおうと思います。

仕事も順調です。

当面、今が一番の頑張り時です。

21 novembre, 2009

仕事は面白いですか?

今週末は予報では晴れのようです、良かった。

更新する(精神的)余裕が無いのは結婚の準備に追われて
では無く、仕事に追われてでした。

今尚その渦中に居るわけですが、
自分がいくら頑張ってもどうにもならないことで、
行き詰まることがあるということを、
知ってはいましたが、今、目の前に突きつけられているところです。

1日24時間の内、寝ずに24時間毎日頑張っても
成果を収められないことはあります。

如何にしてそんな状況を受け入れるか、
僕にもこのような不条理を受け入れたくないという
幼い自尊心らしきものがあるようです。

多人数が共生するこの世の中は秩序維持のために
法律や常識(倫理観・モラル・世間etc...)で守られています。

当然我々もそれらを尊守し業務に当たるわけですが、
その法律や常識が時には大きな壁になることがあります。
何も我々が違法行為に及んでいるわけではありません。

法律に則り手続きをするのに
それ以外の“社会を構成する別の要素”がそれを阻止します。
我々はそれに文句は言えません。
それはそれで権利を守る正当な行為です。

まぁ、世の中にはこんなこともあるんですよ。
もっとひどい不条理もあるんでしょうね。

大人になるとはそれらを受け入れることであり、
理解することだと思います。
そして、世の中の役に立つために更に精進することです。

世の中色んなことがある。
“想定外”のことだらけなんですよね。
だから人生は面白い。
人生は面白い、だから仕事が面白いのは
あたり前田のクラッカー・・・

11 novembre, 2009

感謝感激雨嵐・・・

先日、一足早くお祝いをしていただきました。
洋服関係で知り合った方々でした。

これからも感謝の気持ちを忘れずに
ふたりで頑張っていこうと思います。

おっさんになってしまってから出会った皆様、
これからの折り返しの人生、
お付き合い末永くよろしくお願いします。