18 maggio, 2007

覚悟あります

みんなが言いたかったことを代弁

愛知県の元暴力団組員の立て籠もり事件について

木本巡査部長が重傷
林巡査部長が死亡

容疑者は依然立て籠もり、その妻は人質

初期の段階で突入を決めていたら木本巡査部長も
早く救出できたし、
林巡査部長は死なずに済んだんじゃないでしょうか。

人質の安全を第一に容疑者の説得を続けている
といったって、その人質は容疑者の妻でしょ、
容疑者は元暴力団組員で、その家庭には拳銃があり、
どう考えても普通の家庭ではないじゃないですか、
その普通じゃない家庭の元暴力団員の妻は、
自分が死ぬかもしれないことなんて
覚悟していたんじゃないの?
それは、夫に殺される覚悟のみならず、
その筋関連の抗争などに巻き込まれたり、
夫が鉄砲玉に狙われたりした際に一緒に殺られたり、

岩下志麻やら三田佳子、かたせ梨乃あたりやったら、
とうに覚悟を決めてだんなと刺し違えるくらい
したんじゃないかと思ったりします。

法律の壁はとても厚く警察は外から機会を伺うくらい
しかできなかったのでしょうが、
仲間が撃たれそこに倒れ、犯人の意思ひとつでその仲間が
直ぐにでも殺されかねない状況に
“こんな”日本を恨んだんじゃないでしょうか。

福田赳夫第67代内閣総理大臣は在任中に起きたダッカ事件
の際、「人命は地球より重い」と
身代金の支払いおよび、超法規的措置として
メンバーなどの引き渡しを決断・実行したのですが、
これはこの手の事件への対応としては最悪の選択でした。
なぜなら、これを容認すると人質をとれば、
日本はどんな要求でも受け入れると判断され、
人質を取る事件が増える恐れがあるからです。
「テロには屈しない。」
は絶対条件なんです。

で、この事件に戻りますと、人質は容疑者の妻です。
「人命は地球より重い」に照らすと、
まずは容疑者の妻の救出を第一に考えるわけですが、
福田内閣時ではあまり考えられもしなかったかもしれませんが、

平時であればそんなことを考えることすらないでしょうが、
こういった切羽詰った状況においては、
人の命にも重い・軽いがあるんではないでしょうか?

今回の場合、
言うまでもなく重い命は木本巡査部長・林巡査部長の命であり、
彼らはまっとうに生きていて、守るべき家族がいるということ。
軽い命は容疑者とその妻の命です。

犯罪から平和を守る彼ら警察官も命を落とすかもしれない覚悟は
当然必要なのでしょうが、その前提として自らの命を守る
手段は絶対必要です。
警官が逃走する犯人に1発発砲したとか2発したとか・・・
今の日本はこんな感じですよ。
逃走する犯人を捕まえることが出来たのか否かが
一番大事なのであって発砲した玉数なんて報道するほどの
ものではないと思います。

今更の話ですが、もっと早い段階で突入すべきだったことと、
それが出来ずに木本巡査部長を救出することを決めたのなら
盾で保護することは勿論ですが、犯人に銃を向け
“いつでもお前を殺せることを意識させるべきだったと思います。

これが出来なかったのは、未だ犯罪者を擁護する
日弁連や日教組に代表されるような世の中の左翼的風潮、
それらを容認するような主張を続ける政党が未だに
国会に議席を持ち続けている世の中の甘さにあると思います。
警察が腰を据えて犯罪者に向き合える世論づくりといいますか、
やむを得ず犯罪者を殺さざるを得なかったときに、
マスコミなどが
「警察の対応に問題がなかったのか?」
と問えないような空気を我々がつくらなければならないと思います。

ただし、警察も清廉潔白の組織ではありませんので、
追求すべきところは手加減なくすべきです。
これは当たり前です。

*とかなんとか書いていると人質が自力で脱出したそうです。
 けがもないようです。

殉職された林巡査部長の勇気を称え、ご冥福を祈るとともに
重傷の木本巡査部長は早期回復されますよう、
関係機関の対応を望みます。

併せて、日本が早く普通の国になりますように

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